東京駅 寝台特急を撮影  2002年10月17日(木)

日本学園…明大前駅―(京王電鉄)―新宿駅―(中央線)―東京駅―(山手線)―上野駅―(山手線)―東京駅―(中央線)―新宿駅・解散



夕方、東京駅と上野駅に出向き、特急列車を撮影しました。東京駅でさざなみ・ビューわかしお・富士・さくら・はやぶさ・あさかぜ・出雲、上野駅でスーパーひたち・フレッシュひたちなどを撮影しました。写真は、103系快速府中本町行。



183系特急「さざなみ」



特急「さざなみ」は、東京駅―君津駅・館山駅間を京葉線・内房線経由で行き来する特急列車です。





寝台列車 特急「さくら」長崎行を牽引するEF66−51



 1912年6月に、新橋駅―下関駅間を結ぶ日本初の特別急行列車1・2列車が登場しました。関釜連絡船を介して中国・欧州と日本を結ぶ国際連絡路線でした。1923年7月に東京駅―下関駅間を結ぶ特別急行列車3・4列車が登場しました。1929年9月の公募で「さくら」と名付けられました。1・2列車は、一等車と二等車のみで編成され、洋食堂車が連結されていました。それに対し、3・4列車「さくら」は、三等車を中心に編成され、和食堂車が連結され、大衆向けの列車だったようです。



 高度経済成長期になると、東京と九州を結ぶ長距離寝台特急列車として、「あさかぜ」に続き長崎本線系統の特急列車として運行を開始した列車として「さくら」が運行を開始しました。1965年より1999年まで佐世保線を経由して佐世保駅まで乗り入れていた。後に運行を開始する鹿児島本線系統の「はやぶさ」、日豊本線系統の「富士」と共に、九州ブルートレインとして国鉄・JRの寝台特急となりました。写真は、「さくら」の最後尾に連結された14系客車B寝台車



 東海道・山陽新幹線や航空機との競合、1970年代から続いた運賃・料金の値上げなどにより、乗客が減少しました。1999年12月4日から「さくら」の佐世保駅発着列車が廃止されました。そして、熊本駅発着の寝台特急「はやぶさ」と併結運転を開始しました。写真は、「さくら」に併結されている寝台列車 特急「はやぶさ」熊本行 24系客車です。



寝台列車 特急「富士」大分行 



「富士」は、1964年10月1日に東京駅― 大分駅間を結ぶ寝台特急として登場しました。1965年10月には、運転区間が日豊本線経由で西鹿児島駅まで延長されました。東京駅 ― 西鹿児島駅間の1574.2kmを24時間かけて運行する日本最長の距離を行く定期旅客列車となりました。



1980年10月には運転区間が東京駅―宮崎駅間に短縮されました。1997年11月には、利用者の減少により、運行区間が東京駅―大分駅間に短縮されました。



寝台列車 特急「出雲」出雲市行を牽引するEF65−1111



寝台列車 特急「あさかぜ」下関行を牽引するEF66−47



「あさかぜ」は、1956年に東京駅―博多駅間を結ぶ夜行特急列車として登場しました。1960年代には、冷暖房完備の新造車両である20系客車が投入されました。「東洋一の動くホテル」として、国鉄を代表する花形列車となりました。当時は、一等寝台車、後のA寝台車の割合が高い編成でした。



写真は、スハ25形ラウンジカーです。航空機や夜行バスの増便とハイグレード化に対抗するために、1989年度から「あさかぜ」にA寝台車とラウンジカーを連結することになりました。



本日は、夜行寝台特急を撮影するために、東京駅と上野駅を行き来しました。ホームがすいていたので、ゆっくり写真撮影をすることができました。