大井川鐵道井川線 川根両国車両基地  2002年7月30日()

民宿…千頭駅―(大井川鐡道)―川根両国駅・車両基地取材―(大井川鐡道)―井川駅…電力館見学…井川駅―(大井川鐡道)―千頭駅―(大井川鐡道急行かわね路)―金谷駅―(東海道本線)―小田原駅・解散



川根両国の車両基地にて、大井川鐡道井川線のディーゼル機関車の整備点検、車両の性能、車両基地の設備について学びました。



井川線は、井川ダムを建設する時に、資材を運送するために1954年に敷設されました。195981日より一般客も利用するようになりました。千頭駅、井川駅間25.5kmには、61か所のトンネルと55か所の鉄橋があります。



井川線の客車は、井川ダムを建設している時に使用されていた貨車を改造したものです。扉が手動で開閉されます。



千頭駅、井川駅間を結ぶ、主力ディーゼル機関車です。



台車には、急勾配でもスリップをしないようにレールに砂をまく装置が設置されています。




井川駅から足を伸ばして電力館も見学しました。



途中、長島ダム建設のために路線変更したときの旧路線への分岐やアプト式路線と電気機関車も見学しました。



アプト区間には、ラックレールが敷設され、電気機関車が90‰の急勾配を客車を押して登ります。



千頭駅で、大井川鉄道各車両を撮影しました。



井川鐵道3000(元京阪電気鉄道)。京阪電気鉄道本線、淀屋橋―三条駅間を走る特急車両として1969年に製造されました。1995年に大井川鐵道に譲渡されました。京阪電気鉄道の軌間は1435mm、大井川鐵道の軌間は1067mmなので、営団地下鉄5000系の台車を組み合わせて運行しています。



大井川鐵道21001(元南海電気鉄道)1958(昭和33)年に南海電気鉄道高野線、特急、急行用として製造されました。高野山への50‰の急勾配も登り、河野平野を110km/hで走り抜ける高性能車です。大井川鐵道初の冷房車で、接岨峡温泉の宣伝車両も走っています。車内には、自動販売機が設置されています。



大井川鐵道6010(元北陸鉄道)1963年にアルミ製車体として製造され、北陸鉄道加南線で「しらさぎ」という愛称で運行されていました。同線廃線後、197110月に600Vから1500V車に改造され、大井川鐵道に導入されました。



C11−227形、C11−312形です。C10形の改良型として登場したタンク式蒸気機関車です。時速100km/hで走行し、大井川鐵道の急勾配も登ります。当初、都市近郊の高速列車用として製造されましたが、万能的に使用されました。戦後を含めて400両が製造されました。



C10−8形。日本国有鉄道が全国的統合をした頃、最初に新造された近代型タンク式の蒸気機関車です。後進も可能ですが、試作的要素が強かったので、23両しか製造されませんでした。



千頭駅から金谷駅までの帰りは、蒸気機関車の急行「かわね路」に乗りました。



大井川鐵道402(元近畿日本鉄道)1953(昭和28)年、近畿日本鉄道名古屋線の特急車両として製造されました。冷房化の改造をされた後、1959年の伊勢湾台風まで、名古屋線を走りました。最後、近畿日本鉄道養老線で運用されたいました。1995年に大井川鐵道に譲渡され、近鉄特急時代の塗色に戻されました。



大井川鐵道312(元西武鉄道)。西武所沢工場で製造された全面窓が湘南型の車両です。19771980年に2編成4両が大井川鐵道に導入されました。車内はクロスシートで、車体には大井川鐵道オリジナル塗色が施されています。台車には、旧型国電に物が利用されています。



東京へ帰る途中、東海道本線を走る寝台特急「ふじ」を見ました。