青梅鉄道公園 2000年6月18日(日)
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今日は、青梅鉄道公園に行き、新幹線0系、蒸気機関車や電気機関車を見学しました。写真は、立川駅で見かけたJR東日本のジョイフルトレイン485系「宴(うたげ)」と「パノラマエクスプレス」。
写真は、110形蒸気機関車です。1872年10月14日、新橋駅−横浜駅間に開業した日本で初めての鉄道に使われた10両のうちの1両です。3号の番号が付与されているので、「3号機関車」と呼ばれています。
写真は、5500形蒸気機関車です。明治後期から大正期の始めに旅客用として活躍した中距離用の蒸気機関車で、炭水車(テンダ)を連結しています。動輪は二組(B型)あり、高い位置に斜めにシリンダーが取り付けられ、機関車の大きさに比べて先輪のついている台車が長いのが特徴です。明治期には連結器が螺錠(鎖)式でしたが、後に自動連結器に交換されています。
写真は、2120形蒸気機関車です。日露戦争の頃、今までより大きな力の機関車を必要とすることから造られたもので、中型のタンク式で動輪が三組(C型)あります。明治後期の代表的な機関車で使いやすく、別名「B6」の名で呼ばれていました。貨物や勾配区間用として活躍し、1955年頃まで入換用に使われていました。
写真は、9600形蒸気機関車です。大正時代の標準形貨物用機関車(D型)で、国産独自の技術が各所に使われています。取り付け位置の高いボイラーはこの機関車の特徴で、火室面積を広げるために独特の設計になっています。四国地方を除く全国各地で784両が活躍し、「キューロク」の愛称で親しまれました。蒸気機関車が国鉄から最後になくなった1976年まで使われました。
写真は、8620形蒸気機関車です。蒸気機関車が国産技術で製造されるようになり、本格的な標準形式として生まれた、大正時代を代表する旅客用機関車(C型)です。動輪の大きさも1600ミリと大きくなり、蒸気の力を車輪に伝えるバルブギアなど構造的にも成熟しています。一形式で687両製造されましたが、当園の『ハチロク』はこれらの中でも、最初に製造した栄誉ある1号機です。
新幹線0系です。1964年に開業した東海道新幹線用に製造された0系の東京寄りの先頭車です。写真の車両は、22-75号といい、大阪万国博覧会の輸送のために増備されたうちの一両です。0系は、「ひかり」として世界で初めて時速200kmを超える営業運転をした車両です。全部の車両にモーターが付いている世界的には珍しい電車方式の高速列車です。
晴天に恵まれ、保存車両をゆっくり見学できました。