大井川鐵道 千頭駅と新金谷車両基地を取材 1999年4月30日(金)
民宿ニュー久保田…接阻峡温泉駅―(大井川鐵道井川線)―千頭駅―(大井川鐵道)―新金谷駅・車両基地・取材―(大井川鐵道)―金谷駅―(東海道本線)―小田原駅・解散
民宿を出て、接阻峡温泉駅へ行きました。今日の天気は、たいへん良い日和でした。
接阻峡温泉駅から見た、接阻峡の集落です。
接阻峡温泉駅からトロッコ客車に乗って、千頭駅を目指しました。
千頭駅は、大井川鐵道井川線と本線の乗換駅です。大きな車両基地があり、客車や蒸気機関車が停車しています。
写真は、元京阪電気鉄道の3000系電車です。1971年から1973年にかけて製造された特急形車両です。3000形3008と3500形3507の2両が大井川鐵道へ譲渡されました。これらはワンマン化されたが、塗装は京阪時代のままで使用されています。車内には自動販売機が設置されています。
新金谷駅の車両基地で、大井川鐵道の各車両を見学しました。
写真の電車は、元南海電気鉄道21001系電車です。高野線山岳区間への直通運転に対応した車両として、初めてカルダン駆動を採用した車両です。クロスシート車であった第1・2編成の先頭車4両(モハ21001 - 21004)が大井川鐵道に譲渡さました。大井川鐵道に譲渡された編成は、南海時代の旧塗装である緑の濃淡を塗色として使用しています。
写真は、元近畿日本鉄道6421系電車です。1953年に名古屋線の特急専用車として製造した電車です。1950年代の近鉄名古屋線を代表する優等車両でした。1960年以降の後続系列出現に伴って急行・普通列車運用に転用されました。一般車として運用されるようになってから、中央扉が両開きの3扉化改造とセミクロスシート化改造が行われました。1992年から1994年に全車が運用を離脱して廃車となったが、1編成(モ421-ク571)が大井川鐵道へ譲渡されました。旧近鉄特急色に塗装された状態で現存しています。
写真は、元西武鉄道の電車です。1977年に西武鉄道のクモハ365-サハ1426-クモハ366が、1980年にはクモハ361-クモハ362が大井川鐵道へ譲渡されました。西武所沢工場で2扉車に改造され、西武5000系レッドアローの発生品を流用して扉間の座席をクロスシートにしました。
新金谷駅の車両基地にて、蒸気機関車の運転について取材しました。
蒸気機関車は、発車3時間前から釜焚きなどの準備が必要で、金谷駅から千頭駅まで客車を連結して走破するのに5tぐらいの石炭が必要だそうです。
写真は、新金谷駅の基地に準備されている石炭の山です。
写真は、新金谷駅の車両基地にある給水装置です。蒸気機関車の運転には、前方確認や釜の中への石炭の挿入など、5人のスタッフが必要などと、電車の運転に比べ大変な労力が必要な事が分りました。
写真は、SL急行に使用される客車です。かつて日本国有鉄道で急行列車や普通列車に用いられていたものです。
写真は、E10形電気機関車です。1949年に大井川鐵道が本線の電化に際し導入した直流用電気機関車です。E101・102が三菱重工、E103が日立製作所で製造されました。大井川本線で貨物列車を牽引しました。SL急行が運行されるようになってからは、SL急行の補助機関車として使用されています。1983年には、大井川本線での貨物列車が廃止されました。現在、E10形は、主にSL急行の補助機関車やイベント列車として運用されています。
今回の大井川鐵道の取材では、鉄道会社の方々に親切に案内していただき、沢山の資料もいただきました。部員たちは、たいへん喜びました。