京成電鉄 高砂検車区 1999年2月12日()

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鉄道研究部の部員たちは、柴又、帝釈天を見学した後、京成電鉄高砂検車区を取材しました。高砂検車区は、京成電鉄の都心の拠点として、車両の留置を主体としている基地です。金町線の4両編成車は高砂検車区を拠点としています。宗吾車両工場と同じく列車検査・月検査も実施しています。



留置能力は約160両で、夜間は自社車両のほか京浜急行電鉄の車両も留置されています。高砂検車区は1963年より1968年までは車庫の施設を東京都交通局と共同使用していました。 高砂駅は、開かずの踏切が問題になっていて、金町線の高架事業などが計画されています。




京成電鉄3200形です。1962年に京成電鉄で初めて両開き扉を採用した車両です。それまでの赤電グループの車両からより通勤輸送に特化した車両が3200形、そこから車内の手すりの増設などを行ったのが3300形です。



また3200形のうち3290番台は特急「開運号」用の車両として片開き扉として登場しました。




京成電鉄3100形電です、1960年から1998年まで京成電鉄に在籍していた通勤形電車です。1960年から1962年にかけて3050形と同様に31013116312131362両固定編成1632両が製造されました。3050形と異なることは、前照灯が左右上部に振り分けて配置され、側面乗務員室扉が大型化された点です。



31013116196011月に落成された1次車です。31213136196111月〜19622月に落成された2次車です。2次車では京成電鉄では初めて空気バネ台車が本格採用されました。




京浜急行電鉄600形電車です。1994年に登場した通勤型電車です。日本の地下鉄対応車両としては珍しいオールクロスシート車両です。混雑時の収容力と閑散時の快適性の両立を狙った可動式座席を採用して製造されました。



他の関東地方の大手私鉄や東日本旅客鉄道は多扉や大型扉の車両をラッシュ時の運行円滑化のために導入していた時期でした、京浜急行電鉄はクロスシート車を導入して「個の尊重」を打ち出し、利用者の快適性を優先しました。初期製造車は1500VVVFインバータ制御車と台車以外同一の機器を採用しました。



1996年製造車からは編成構成の自由度を高めるために機器構成が大幅に変更され、可動式座席も廃止されました。1994年から1996年にかけて8両編成8本、4両編成6本の計88両が製造されました。1998年の羽田空港駅開業時に設定されたエアポート快特にも運用され、同駅開業関連のポスターにも使用されました。




都営地下鉄浅草線5300系電車です。北総公団線との相互直通運転の開始に伴い増備したアルミニウム製の車両です。



省エネルギーとメンテナンスフリー化のためVVVFインバータ制御方式を採用しています。




京成電鉄モニ10形電車、京成電鉄で使用されていた電動貨車です。1968年に2両が製造されました。1968年に登場した電動ホッパ車です。大栄車輌で製造されました。塗装はJRの配給車に準じて、前面の警戒帯が黄色である以外は青色に塗られています。



走行機器は210形を更新した際の余剰品を利用しており、釣り掛け駆動方式です。専らリキ100形と連結した4連でバラスト散布輸送を中心に使用されていました。間もなく老朽化に伴い廃車になるそうです。片運転台構造で、上野方がモニ12・成田方がモニ11と車号が振られました。運転室の後ろは作業員用の控え室になっておりその上にはパンタグラフとIRアンテナが設置されています。



1両の全長はモニ20形よりも850mm短い17150mmです。控え室の後ろは最後部まで荷台が続いています。荷台はバラスト散布に適した構造となっていて、作業用のライトとホッパー操作用のハンドルを備えています。荷台部分の荷重は15tです。自重は33tです。968年の登場時は2連を組んでいましたが、1971年のリキ100形登場後はほぼ同車と4連を組み、バラスト散布を中心に活躍していました。




本日の取材では、京成電鉄高砂検車区の方々が詳しく案内して下さったので、高砂検車区の設備と役割、各車両の特徴と検査について学ぶことが出来ました。ありがとうございます。