日立電鉄 常北太田駅・久慈浜車両工場 1998年12月11(金)
上野駅―(常磐線)―水戸駅―(水郡線)―常陸太田駅…常北太田駅・撮影―(日立電鉄)―久慈浜駅・車両区・取材―(日立電鉄)―大甕駅―(常磐線)―勝田駅・撮影
期末試験と答案返却の間を利用して、日立電鉄を見に行きました。常磐線、水郡線を乗り継いで常北太田駅へ行きました。日立電鉄の常北太田駅は、JR水郡線の常陸太田駅より国道349号を挟んだむかえにある大きな駅です。常北太田駅には、1972年に建設されたコンクリート2階建ての駅舎があります。車庫には、日立電鉄の2000形が何両か止まっていました。
日立電鉄は、1927年7月30日に 常北電気鉄道株式会社として設立した鉄道会社です。1941年に日立製作所の資本傘下となりまし。常北太田駅−鮎川駅間 18.1kmの路線を有します。
私たちは、日立電鉄の2000形電車を撮影しました。2000形は、老朽化した旧型車両の置き換えのため、帝都高速度交通営団(現在の東京地下鉄)銀座線で使用されていた2000形を導入した車両です。
2000形の導入では、レール幅や集電装置が異なるため、日比谷線3000系のFS-510形台車・パンタグラフ・主電動機などを流用しました。
車内には、地下鉄線では利用されなかった日除け用のカーテンが設置されました。京王重機整備により改造され、1991年に日立電鉄に導入されました。主にラッシュ時2両・3両編成用の片運転台の2000形17両(制御電動車の2000形10両・制御車2200形7両)、主に閑散時単行運転用の両運転台の制御電動車の3000形7両が運行しました。
塗装は赤色に白と黒のストライプが入るデザインで、正面貫通路は灰色で塗られ、窓下には日立電鉄の社紋と「HITACHI DENTETSU」のロゴが入れられました。
側面に広告が入った編成もありました。電動車の2000形、制御付随車の2200形があります。このうち2000形は機器によって2つに細分化されます。2000形のパンタグラフは連結面側に設置されました。車両の運転台の位置は、両形式とも奇数車が鮎川駅寄り、偶数車が常北太田駅寄りです。
私たちは、日立電鉄に乗り、久慈浜駅の車両工場を取材しました。2000形の導入当初は、主に車掌乗務の2連運用に使用されまし。Mc2の3両は、ラッシュ時の増結用として使用されました。1996年には全列車のワンマン運転が開始され、ワンマン表示灯の設置、運転席からのドア扱いを可能にする等の工事が行われました。これら一連の工事は久慈浜駅の車両工場で行われました。
1997年には3連運用が消滅し、増結用のMc2は運用されなくなりました。このうち2008・2009は「ビア電日立号」(呑電日立号)へと改造されました。
私たちは、久慈浜駅の車両工場を取材した後、大甕駅で常磐線に乗り換え、勝田駅でJR各車両を撮影し、茨城交通の取材へ向かいました。