秩父鉄道 広瀬河原車両基地 荒川橋梁  1998年11月4日()

大麻生駅…広瀬河原駅・取材…大麻生駅―(秩父鉄道)―長瀞駅…荒川鉄橋・撮影…長瀞駅―(秩父鉄道)―御花畑駅…西武秩父駅―(西武鉄道)―池袋駅・解散



蒸気機関車を撮影した後、貨物駅と車両基地がある広瀬河原駅を取材しました。秩父鉄道は、武甲山から産出される石灰石を運ぶ貨物輸送が盛んで、路線を貨物列車が行き来しています。私たちは、秩父鉄道の電気機関車について詳しく取材しました。



広瀬川原車両基地は、埼玉県熊谷市にある広瀬川原駅に隣接した秩父鉄道の車両基地です。19693月、熊谷駅の南側に設置されていた車両基地を移転して設置されました。熊谷駅の車両基地跡地は、一部が留置線として残りました。広瀬川原車両基地は、秩父鉄道を走る全ての車両が所属します。ただし、電車は始終点列車が多く留置線がある熊谷駅・秩父駅・三峰口駅などに、電気機関車は三ヶ尻線が分岐する武川駅に留置されていることが多いです。蒸気機関車C58 363も広瀬河原基地に所属し、転車台もあります。



秩父鉄道デキ500形電気機関車です。日立製作所製の直流用電気機関車です。501, 5021973年に登場しました。デキ300形の増備機で、空気圧縮機がAK4から高速型のC-1000に変更されたこと以外はほぼ同一です。塗装が従来の茶色から現在の標準色である青に白帯に変わり、ライトがシールドビームになったことが外観上の識別点です。



503, 504197910月の三ヶ尻線開通に先立ち、同年3月に入線しました。正面窓が大きくなりひさしもつきました。



50519803月に増備されました。ライトケースと避雷装置が変わりました。506, 50719809月に増備された秩父でもっとも新しい機関車です。尾灯がデッキの手すり取り付けから車体に埋め込まれました。デキ507は太平洋セメントの私有機です。




秩父鉄道300系電車です。秩父鉄道に在籍していた急行形電車です。優等列車である急行「秩父路」に使用されていた秩父鉄道のオリジナル車です。1959年に日本車輌製造で製造されました。登場当時はデハ300(M1)+デハ300(M2)2連でした。秩父鉄道の方より、「この電車が秩父鉄道最後の自社発注の電車だよ。」と案内されました。



300系の正面は1950年代に流行していた湘南型の2枚窓です。デザインは同じ日本車両で1956年に製造された富士山麓電気鉄道(現在の富士急行)3100形と似ています。WN継手駆動、三菱電機製モーターや制御器など、機器についても共通する部分が多いです。第1編成の台車は同じ日本車両製の長野電鉄2000系と同じNA4P、第2編成は秩父鉄道初の空気バネ台車NA301でした。車内は車輌の中ほどに寄った片開き2ドアで座席はボックスタイプのクロスシートでした。



私たちは、広瀬河原車両気を取材した後、秩父鉄道に乗り、長瀞へ行き、荒川陸橋を渡る秩父鉄道各車両を撮影しました。荒川橋梁は、埼玉県秩父郡長瀞町長瀞と皆野町下田野、秩父鉄道の上長瀞駅と親鼻駅の間にある鉄橋です。1914年に建設された10連、全長約167mのポーナル型プレートガーダー橋です。煉瓦橋脚と橋台が印象的です。



私たちは、荒川鉄橋を行き来する貨物車や上長瀞駅を通過する蒸気機関車を撮影した後、御花畑駅へ行きました。



御花畑駅より西武秩父駅まで歩き、西武鉄道に乗って東京へ帰りました。本日の取材では、秩父鉄道の方々が、詳しく案内して下さったので、秩父鉄道の取り組みや電気機関車の仕組みについて詳しく学ぶことが出来ました。ありがとうございます。