上高地から蝶ヶ岳キャンプ指定地へ  1998年7月29日(水)

―(松本電鉄バスさわやか信州号)―大正池…田代池…河童橋…明神池…徳沢…塀山…吊橋…蝶ヶ岳ヒュッテ・テント設営・夕食



前日まで真夏日が続いていたというのに、朝大正池に立つと、霧がかかり肌寒い空気に包まれていました。大正池の中にある立ち枯れの木々の様子が、上高地を代表する風景のひとつとして多くのメディアで紹介されます。大正池は1915(大正4)66日の午前に、焼岳が大噴火をおこし、その際に噴出した多量の泥流により梓川がせき止められてできました。水没した林は立ち枯れとなり、神秘の景観をもたらしています。大正池はできた当時、梓湖と呼ばれたこともありますが、大正年間にできたことから大正池と呼ばれる様になりました。今日は霧がかかり、大正池のほとりにある焼岳は見えませんでした。



大正池から自然探求路を歩き、田代池に立ち寄りました。田代池は、原生林の中に、ある草原に広がる湿原の浅い池です。池の中には幾つかの島々があり、まるで水田のように明るく穏やかな風景です。「田代」とは水田のことで、水田の様な湿原という意味のようです。田代池では、夏はイチョウバイカモや周辺のニッコウキスゲ、コケモモが箱庭の様な景観が見られます。



次に上高地の中心地、河童橋で記念写真を撮りました。上高地は、飛騨山脈の梓川沿い、
大正池から横尾までの前後約10km、幅最大約1kmの堆積平野です。かつて岐阜県側に流れていた梓川が焼岳火山群の白谷山の噴火活動によってせき止められ池ができ、そこに土砂が堆積して生まれたと考えられています。



次に明神池に行きました。明神池の前に嘉門次小屋がありました。上條嘉門次のひ孫に当たる
4代目が当主を務める山小屋です。上條嘉門次は、日本近代登山の父、W・ウェストンの山案内人として知られる人物です。嘉門次小屋は、明治131880)年に建てられた当時の雰囲気を伝える小屋で、囲炉裏で焼いたたいへん美味しい岩魚を食べられます。



明神池は、河童橋から梓川の左岸沿いを上流へ、
1時間程歩いた所にあります。明神から梓川に架かる明神橋を渡ると明神池へと到着します。明神池は一之池と二之池、大小2つからなる池で、池畔には穂高神社奥宮が鎮座する神域です。明神池は梓川の古い流路が、明神岳からの崩落砂礫によってせき止められてできた池です。明神岳から常に伏流水が湧き出ているため、冬でも全面凍結しない水面が透明な池です。毎年108日には明神池で、穂高神社奥宮例大祭(お船祭り)が行われます。



明神池でゆっくり休んだ後、徳沢で食事をし、蝶ヶ岳ヒュッテを目指して長塀尾根を登りました。徳沢キャンプ場は、北アルプス前穂高東壁を舞台に描かれた、故・井上靖の長編小説「氷壁」にも描かれています。



文中に登場する「徳沢小屋」は氷壁の宿・徳澤園のことで、山登りを愛した井上靖氏の常宿でもありました。宿には井上靖氏直筆の手紙が飾られています。



蝶ヶ岳ヒュッテは、
標高2677mの蝶ヶ岳山頂のすぐ北側に位置し、長塀尾根と常念山脈との分岐点にあります。小屋のすぐ南側にはキャンプ指定地があります。私たちは、早速テントを設営しました。



小屋の前にある展望台は、
穂高岳槍ヶ岳の良い展望地となっています。雲が解け、雲の合間から槍ヶ岳の穂先が少し見え隠れしました。また松本盆地の街並みが見渡せ、その夜景やご来光が望めます。こちらも、雲が解け、少しだけ松本盆地が見えました。