信越本線 横川駅 横軽区間見学  1997年3月31日(月)

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間もなく長野新幹線が開通し、横川・軽井沢間の在来線がなくなると聞き、横川・軽井沢間の路線を見学しました。タクシーを利用して、廃線となった旧信越本線のレンガつくりの路線も見学しました。写真は、横川駅です。


 

1885年に上野駅横川駅間が、1888年に軽井沢駅直江津駅間の鉄道が開通しました。1888から1893年にかけては碓氷馬車鉄道が、横川駅と軽井沢駅を結んでいました。

 


1893に後の信越本線である官営鉄道中山道線が、横川駅・軽井沢駅間を開通しました。この区間は、碓氷峠を越えることから碓氷線、または横川と軽井沢から横軽(よこかる)とよばれました。

 


横軽区間はトンネルが多いので、蒸気機関車で走ると、乗務員が煙で吐血窒息にみまわれました。1911に横川駅付近に火力発電所が建設され、1912に幹線としては日本で初めて電化区間となりました。

 


電気機関車の運用により、横軽区間の所要時間が80分から40分に短縮されました。

 


2次世界大戦後、輸送力を増強するために、最大66.7 の急勾配を一般的な車輪による粘着運転で登坂することになりました。1963、従来の横軽区間の北側をほぼ並行する路線で新線が開通しました。

 


1966年にアプト式路線が廃止され、旧アプト式線の一部を改修工事し、複線となりました。そして、横軽区間の所要時間が40分から下り列車は17分、上り列車は24分なりました。

 


横軽区間の急勾配は、通常の車両では対応できず、登坂力とブレーキ力を補うためにEF63補助機関車として連結することとなりました。電車や気動車もこの区間では、補助機関車の動力のみで走行することになりました。

 


横軽区間を通過する車両は、車体の挫屈を防止するために台枠と連結器を強化されました。編成は、最大8両に制限されました。1968以降には、EF63形との協調運転により最大12両編成での通過を可能とした電車(169489189:識別として形式の末尾番号が9)が投入されました。

 


 急行「信州」号。

 


急勾配でアプト式のラックレールを用いる場合、列車の推進力を考慮する必要がありました。列車の推進力を得るために、レンガ製のアーチ橋を配置しました。工事中の1891濃尾地震が起き、レンガ製の建造物が倒壊しました。そこで、橋脚に石柱を組み合わせたり、レンガを縦に積むなどの地震対策が採り入れられました。

 


この様な耐震技術が評価され、レンガ製の橋梁と隧道が、1993から1994年に近代化遺産として国の重要文化財に指定されました。アーチ部分は、1894の東京湾北部地震でひびが入り、1896までにレンガの補強が行なわれました。