迫り来るエネルギー危機

世の中何かおかしいと感じませんか?(H27.11.12 一部改訂)

  最近、グローバリゼーションやグローバル・スタンダード(世界標準)、また、自由競争に基づく市場経済が世の中の新しい方向として語られています。 この流れは資金を直接、証券市場に依存するアングロサクソン型資本主義とも関連し、制限のない自由化と金融資本主義化が社会を揺さぶり始めているようです。 先の金融恐慌の引き金となったサブプライムローン問題は、あらゆるものを金融資産化するという自由化の一例と言えます。 これらの流れを反映して、最近の経済対策は”カネ”の流れだけを見るものになっているようです。 その結果は、格差社会を広げ、生活保護者が200万人を超えるようになってきました。 また、格差は、個人だけでなく、人口集中が起きる豊かな都会に対して、地方は老齢化が進み、ついに始まった少子化社会の進行と共に破産寸前の地方自治体が増えていることにも表れています。 しかし、国は地方にも都会と同じような経済成長を望み、困窮する地方の行政も自らの方向を見極めることなく、ただ傷を広げているように見えます。
  このような世情を反映して新聞の社会面には、働いても働いても生活に追われるワーキング・プアと呼ばれる人達やマンガ喫茶難民に続いて最近では下流老人の話が増え、街にはコンビニ強盗や引ったくりが横行し、振り込め詐欺は巧妙化するなど暗い話題ばかり増えています。 他にも、泥沼化した五輪施設やエンブレムの問題に加え、相も変らぬ不透明な政治資金処理、公務員の天下りや渡り、消えた年金問題、裏金疑惑、談合、汚職、さらには最近も話題となった車や食品の”偽装問題”など、暗いニュースが目白押しです。 一方、IPCCの報告では「”地球温暖化”は人類のエネルギー消費などが自然の許容範囲を超えて増えていることが原因」と警鐘を鳴らしていますが、政治・経済の世界では、相変わらず「経済成長」を目指した政策が歓迎され、「大量生産」「大量消費」「大量廃棄」の方向を変える気はないようです。 これまで繁栄を享受してきた先進諸国が、これ以上、有限な地球資源の消費の抑制と環境汚染の防止を進めるための努力を始めるべき時期に来ていると思われますが??? どうも、この世はアダム・スミスが前提とした道徳的感情を無視した経済学、すなわち”おカネ”だけが主役の「品格」のない無責任社会に変貌してしまったかのようです。

 さらに、この間にも、地球環境は加速度的におかしくなっているようです。 わが国でも、2015年の気候は大いに荒れ、酷暑に加え九州をはじめ各地での集中豪雨や鬼怒川に代表される洪水、さらには各地での竜巻などが話題となりました。 「50年に一度の」「これまでに経験したことのない」と言う形容詞のついた気象予報を何度聞いたことでしょう。 世界的にもオーストラリアの干ばつ、カルフォルニアの山火事などの話題に加えて日本が冷夏のとき、ヨーロッパは酷暑になったり、日本が暖冬で雪がないのに北米を寒波が襲ったりしているようです。 また、ハリケーン、サイクロンや竜巻が多発し、大規模な山火事の発生のニュースも多く耳にするようになったと思いませんか? さらに、身近な環境を眺めても、明らかに豊かな自然は減り、荒廃した山は保水力を失って地滑りや陥没などが増えています。 その結果、森の食料を失った猪、猿、鹿、熊などの動物が里に下りてきて農作物を荒らす問題が各地で頻発しています。 海は海で、温暖化の影響からか本州近海にサンゴが生息するように大きく環境が変わりつつあることを感じさせます。 重要なことは、この生態系を含む地球環境の変化が産業革命以降、人間の生み出した経済や科学・工学を利用した活動が巨大化した結果ということです。

 このような状況にも拘らず、世の中は地球終末時計が人類滅亡まであと 5分と報じ、地球環境に関して環境危機時計が残り 3時間を切ったことを報じても、まったく無反応で、動ずる気配はなく、ましてや、その原因が膨大な化石燃料によるエネルギー消費によることを一向に気にしていません。 その証拠に、政府はせっかく取り決めた二酸化炭素排出量の削減目標をつぎつぎと先送りするだけです。 一方、国民は二酸化炭素の排出量を低減する技術が開発されたという報道が流れると、全てが解決したかのように安心し、エコ製品が売り出されれば、今使っているものを捨てて買いに走り、石油、天然ガスの枯渇が騒がれれば、食糧への影響には頓着せず雪崩を打ってバイオ燃料に向かい、休日の高速料金が値下げになれば、排出する二酸化炭素のことは考えずに車で走りまわる有様です。

複雑に絡む現代社会の課題の根っこは?

 現在、人間社会のかかえる問題については多くの意見や対策が公表されています。 よく知られているものに電力中央研究所を中心とする「トリレンマ」の考え方があります。

トリレンマ-1

 これは、現在のままの文明社会を継続するならば、21世紀には人類が望む「経済の発展」・「資源・エネルギーの確保」・「環境の保全」という3つの目標を同時には達成できない(トリレンマ)ことを指摘しています。
 さらに、「トリレンマ」の克服には、発想、価値観を変えて、3つの目標(項目)に対してバランスを保った持続可能な地球文明に帰ることが必要だと主張しています。 次の図は「トリレンマ」の構造を示したものですが、これをもとに問題の本質が何なのか考えてみます。

 3つの目標のうち、「環境の保全」が必要となるのは人間の経済活動による自然破壊が原因であることは疑いのない事実です。 つぎの「経済の発展」は「豊かな社会・豊かな人間生活」を目指す活動であり、現在の社会では大量生産・大量消費・大量廃棄によって支えられています。 最後の「資源・エネルギーの確保」は前二者を実現するために必要なものです。 すなわち、経済の発展に伴う大量生産・大量消費・大量廃棄は多量の資源・エネルギー消費を伴い、このエネルギー消費によって環境破壊が加速されているという繋がりになっています。 しかも、悪化した環境の回復・保全には、さらに大量のエネルギーが必要となる事実が隠されています。

 結局、トリレンマは経済発展により人類が「豊かさ」を追求した結果に対する請求書であり、大切なことは「豊かさ」を追求する全ての過程が、「エネルギー」に支えられていることです。 すなわち、「トリレンマ」の本質は、「エネルギー問題」だということができます。

現代社会の課題を解決する基本は、まず”エネルギーの視点”で

  「トリレンマ」の議論から、われわれの抱える問題は、まず、”エネルギー”と深くかかわりを持つことが理解できると思います。 しかし、われわれの周りを見ると「エネルギー」ではなく、ひたすら”おカネ”を追いかけていて、これが格差社会という問題を生み出していることも確かです。 本当に”おカネ”だけあれば、”豊かさ”は手に入るものなのでしょうか?
 例えば、わが国はカロリーベースで約 60%の食糧を外国から輸入していますが、その外国が異常気象などで不作になったり、作物のバイオフューエルへの転換を進めたりして輸入食糧が不足するとどうでしょうか? まず、食糧の価格は高騰し、最後は恐らく大金を積んでも食糧が手に入らなくなるでしょう。 しかし、日本の場合は、減反政策などで多くの田畑は転用されたり、荒れた休耕地になっています。 たとえ必要な面積の田畑が確保されていたとしても、再び、米や麦を生産するには多くのエネルギーと時間が必要です。 このように、今後、食糧やエネルギー環境が危機的状況に近づいたときに、おカネだけで豊かな生活を維持するのはかなり難しくなってくると思われます。 さらに、悪いことに金融資本主義のもとでは、最近の金融危機の対策によってだぶついた投機マネーが利潤を求めて、食料・エネルギー分野に流れ、問題をより極端に、かつ深刻にしているのは、周知の通りです。

 確かに、われわれの豊かな生活は物質文明によって支えられています。 その基本となる”もの(商品・財)”は素材とエネルギー(どちらも有限な地球の資源です)を使って作られています。 素材もエネルギーの助けを借りなければ入手できませんから、とにかくエネルギーがなければ”もの(商品・財)”はできません。 一方、お金は流通のための手段ですから世界に”もの”が溢れているときには有効です。 しかし、食糧危機の例のように、ひとたび”もの”が不足すると、その価値を失います。 すなわち、常に、全ての”もの”がおカネで買えると考えるのは錯覚で、豊かな生活を維持するには、おカネよりエネルギーを(身近に)確保すべきなのです。 今回の東日本大震災でも、被災地からの救援物資は、まず食料、次にガソリンであったことからも、われわれの生活がいかにエネルギーに依存しているかが良く判ります。
 アジェンダ2030でも持続可能な社会を構築するには、われわれがどのような経済社会の下にいたとしても、まずエネルギーの問題を解決することが必要であることは同じです。

 このような観点から、本稿ではまず、エネルギーと豊かさの関係に着目して、問題解決への道を探してみたいと思います。

続いて、地球環境破壊人口食糧問題について見てみます。

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