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◎今までの記念講演会


1996年(平成8年)6月16日() 吹田市立総合福祉会館1階社会適応訓練室

講師: 大阪府保険医協会難病相談室 室長 乾死之生 先生


≪難病と共に明るく生きるために≫

 皆さん今日は。大阪府保険医協会難病相談室の乾死乃生と申します。

 今日は、こんなに沢山お集りいただいて、そして私のような者を、お招き戴いて有難うございます。

 与えられた時間は、60分ですので、十分お話できるがか非常に不安ですが、よろしくお願いいたします。

 今日は、前段に私的なことをあげさして戴いたのは、与えられた時間内で、レジメの内容を全部お話できないと思いますので、私がやっておりますディサービスの事をお話したいと思います。

 私は大阪府の保健所に30年間勤務をしまして、退職して18年になります。退職したときから(55歳)還暦後(61歳)は、ボランティアとして自分の好きな道を自由に歩みたいと、こんな夢を描いておりました、長年続けた看護の技術を生かしして少して少しでもお役に立ち、そして少しでも社会にお返しが出来たらいいという考えでおりました。そして私の父が80歳でなくなって、その時に約150坪の土地を私のために残してくれましたので、そこに、お年寄りの家を建てたいと思っていました。しかし、この地域は(富田林市伏山)は市街化調整区域で農地以外に転用できない土地だったわけです。

 しかし、例外というものがあると聞いて、それから3年間、大阪府の方へ、いろんな方を通じてあらゆる働きかけをして、建築の許可を頂けるようにしましたが行政の壁はどういうのか厚く頑として動かなかったのです。

 例外というのは、駅とか、学校とか、医療機関とか、老人ホームとかで、これらは認められていることらしくて、私の方も法人組織にすれば厄介なことで経営面も大変になりますから、どうしても当初の考え通り、我が家として無料で開放したいと思っておりました。

 そして、ついにそれが建てられなくなったものですから断念をしまして、そこから少し離れている我が家を壊してそこに現在のディサービスの施設的なものをつくりました。そこでありがたいことには建設に携わって下さった大工さんがお年寄りの家が建つのだとボランティア精神で、4ケ月で見事に完成さしてくれました。

 また、私の退職金はこれだけしかありませんと言ってありました、その範囲内で1990年(平成2年)の4月7日に「赤鬼園」として、近所のお年寄りや、ボランティアさんの方30数名が集まって第1回のディサービスがスタート致しました。

 部屋の広さは30畳あって物入れが6畳と保健相談室が8畳と身障者用のトイレが4畳とそこに私の小さな住まいが併設してあります。

 それから、部屋は多目的に利用したいと考え、メインは、高齢者、障害者を中心に集団生活を通して生きがいを見出していただくこと、また、簡単な技能回復訓練、リハビリをするとか、療養相談や体操や介護教室をやりたいという、夢がふくらんでいたのですが現在それだけ盛り沢山のことは思うようには出来ません。

 最初から寝たきりにならない教室を週1回開設して、いきいき体操というものをはじめました。何故週1回かといいますと、ご紹介いただいたように大阪府保険医協会の「難病相談室」というものを作っていただいて、週3回、隔日に勤務して、この6月で13年になりますが、このディサービスの方を大事にして、力を注ぎたいと思っています。そして、皆さんに少しでもお役に立てるようにと仕事を2つにしぼってやりたいと思います。

 このディサービスですが、最初に歌を歌って手足をうごかしての体操を行います。この歌体操の考案者は看護婦さんで、これがすばらしいと思うんです。医者でも他の職種でもないところが。特別養護老人ホームで、お年寄りの動作をつぶさに見てこられた人が、歌に合せての体操がお年寄りにいいんではないかと。手を出し、足を動かすということを、看護婦さんが考えだされたということです。そこで理学療法士の方やお医者さんの協力もあって、単行本も2冊出しておられます。

 現在このホームには、毎回20〜25人位の方が集まって下さるのですが、30畳の部屋で手を広げてやったりしますと、私達看護職が援助しても、端っこの方で小さくなっている方もおられる位です。

 発足して、いま7年目で丸6年経過しましたが、当初は74歳位の方が多かったんですが、今、平均年齢80歳になりました。最高が86歳で、この7年間で亡くなられた方は2人でございます。最低が63歳の方です。

 平均年齢80歳といいますと殆どの人が複数の慢性疾患を持っておられて、全く健康だと言われる方はたった1人しかおられません。パーキンソンの方も2人、ポリオの方もいらっしゃいます。卒中の後遺症の方、痴呆の方もお1人。だから毎回こられる方の3分の1が身体的に障害をもった方なのです。

 最初に大きな声で歌います。上手、下手は問題ではありません。歌というのにはお一人お一人にそれぞれ思いでがありますから、心を開くきっかけになります。

 私の喜びというのはお年寄りの方から心身の不調が改善された、例えば何か、ここ「赤鬼園」にくると、気分がスーットするとか、腰痛が楽になったとか、便秘がなくなったとか、中には嫁姑の関係が非常に良くなって家庭が明るくなったと喜んでくださる方もおられて、本当に涙ぐむようなこともあります少しでも効果の兆しをみますと,私は、「赤鬼園」を作って良かったなあとしみじみ思いますと胸がぐっとしまるものがあります。

 1人でもいい、2人でもいい、障害者の方とか患者さんや家族の方が「赤鬼園」に行くのが楽しいといわれるような園にしたいと思って来ました。

 開設日には、病院の脳外科の先生がかけつけて下さり、現役の看護婦さん、保健婦さん、理学療法士、ヘルパー、老人ホームにおつとめの方々がどう言っているのかというと、「自分の勉強のためだ、ここで学んだことを自分の職場で生かすためだ」と聞いて素晴らしいことの思い、また、なによりも有難い事だと思っています。

 どうしてこれだけの方がと考えますと、類は友をよぶというか、これは、心の法則だと思っていますが、仲間が手伝って下さるということ。多くの人々の善意に支えられて、皆さんから喜ばれています。

 開設して6年経ちますが、中には寝たきりというか寝かせきり寸前の方もありました。しかし、皆で支え合い、励まし合い、助け合ってということで、来て下さる。杖をつき、ある人は両方に杖をついて下さる方もあります。

 脇を支えられながら来る方もあります。園には車椅子もありますが、やはり地域の方ですから自分で積極的に園に行くのだと、いう気持ちを大切にして、車椅子はあまり使っておりません。

 この6年間の中で、お年寄が、本当にいきいきとして、輝いて居られる、だから手伝って下さる方も人が変わった人ではどういうくらいみなさんも元気にいます。私がこの「赤鬼園」をつくって、どのように考えているかと申しますとそれは私が在職中から、保健婦として当然のことをしてきたんだ、だから今生かされている私が何らかのお返しをしたい、これは偉いことでも何でもない、戴いた退職金というものはみなさんにお返しするためのものと考えて、この園をつくりました。いわば当たり前のことを当たり前にして、当たり前だということが私の原則であってみなさんからよく年金だけでやっていけるのだなあと言われますが、少しも不自由だとか困ったということはなく、みなさんに助けられて来ました。「お金ですか」と聞いて「お金なら銀行にいけば幾らでもある、私が預けていないだけの事です」と言って笑ったりしています。これが私の生き方の選択です。この選択が生き方でもあるんです。

 

 では本題に入らしていただいて、病気の受け止め方いうことからお話をしたいと思います。

 みなさん病気をどのようにとらえられているかということです。ある心理学者が乳ガンの患者さんの手術後に面接調査をされました。それによりますと、否認・闘病心旺盛・自制・絶望、という4つのグループに分かれています。否認というのは、ガンという診断を信じようとしない、だからあまり心理的な動揺もなかった。闘病心旺盛の方はある意味では楽観的で、また、ガンのことをくわしく知りたがって医者とか友人に聞いたり、ガンに打ち勝つために、あれがいいよ、これがいいよと教そわれば、それをなんでもするという闘病心旺盛ということです。自制というのは、診断は受けるが病気や症状を無視する。自分で自分の欲望や、感情を抑える。絶望というのは悲観的になって希望がもてず感情的な不安定が続くということです。これは難病を抱えている患者さんが難病だということで、どの部類にあてはまるかということです。

 この調査では、5年間経過を観察されて、闘病心旺盛の方が最も予後が良かったんですね。その次は否認だったんのです。

 だから5年間で亡くなった方は、20人中2人だったのです。次に自制グループは、32人中10人が亡くなられているということです。最後の絶望の方は、5人中4人が亡くなっているということです。だから非常に心理的というか精神的な動揺があるということで、ストレスの蓄積というものが病気を悪化させて、最終的にこのような結果を招くということがこの調査が物語っていると思います。

 これらの4つの型(グループ)をふまえて難病と確定され、告知されたとき、どのグループに属するかということです。この1週間前のことですが、私は筋委縮性側策硬化症(ALS)難病中の難病といわれていますが、だんだん進行して、振興の早い方も緩慢な方もありますが、また、年齢にもよりますが、筋力の力の低下が始まって言葉が出なくなり、食べられなくなって、これは舌まで委縮して落ちこんでしまうからなのですが、ついには呼吸ができなくなるということで、そうすると気管切開をして人工呼吸器をつける、そうすると介護が大変なことになります。

 その方は、最近あちこちの医療機関で診てもらっておられたのですが、国立病院でALSだといわれたということで、私の所属しておりますALS近畿ブロックのさしてもらっているのが会報に載っておりますので、私のところに電話があって、その方は和歌山の串本の手前の周参見という所/で、患者さんを連れてくるというのはとても出来ないので奥さんが相談室に3時間かけて来るというのを聞いて、私から出かけていきますと、中間の和歌山市の駅でお話を聞くということで、お会いして話を聞きました。

 このときに、お医者さんは、この診断がつくまでにあちこち回って、あやふやな治る希望とか、生半可に伝えるようなことがあるから、他の医療機関に診てもらいに行く、その間に月日が経って進行していく、だからハッキリと告知した方が「あなたはALSでこの病気の経過はこうですと、そこまでやればいいんですがもう治らない病気だからおいしい物でも食べて、好きな所へ旅行でもしてお過ごしなさいといわれたら」、一遍に目の前が真っ暗になって、はじめ歩いて行かれたのが、歩けなくなってしまったと言うのです。

 告知というのは、何時、どういう場合、誰が、どれだけの責任を持って、予後の事とか、患者さんと家族とも今後付き合っていくいくということを真剣に告知して頂けるかということにかかっていると思います。

 それが安易な告知のされ方をしたものですから、これは、何もその病院だけではなく、大阪の大きな病院の神経内科の先生も無造作に言われて初め歩いて行かれたのが、足が立たなくなったという位のショックがある。だから言葉というのは大切に、生かすも殺すも言葉ですから、どのように患者さんや家族に話すか、それが生きた言葉として、生活の中で闘病の中で生かしていくことになるわけです。

 この病気は、言葉すら発することが出来ない、呼吸も出来なくなる、それでも凄い生き方をしておられる方があります。

  

 次に病気を科学的にとらえる  病気を正しく知ること

 

 自分の体をよく知ることが大切なことです。病気の性質というものを理解する。それは、どういう病名なのか。また、薬は何と云う薬を飲んでいるのか、どういう副作用があるのかということです。自分は今、何をしたらよいのか、安静にというのか、働いてよいのか、日光に当たってはいけないのか、こういうことをきっちりとらえてよく知っておく。また、知るということです。それなくして、病気の性質とか、薬や副作用のことを科学的にとるえることになりません。これをなくしていたずらに不安を感じたり、悲観したりすることにより自分に出来ることを知ることが大切です。しかし、自分だけの主観的な判断をせず、自分の病気治療方法をたしかめて、そして医者、第三者の協力を得て、病気を治していくという考え方が必要なのではないでしょうか。治すのは本人自身であって医者はそれを手助けする。協力者、援助者なのです。

 

 患者会は

 

 そのために医療講演会とか、相談会をもったり、機関紙を出したり、交流会等で情報を交換したり、経験交流をされています。今日もこの後交流会だそうですが、その中でみなさんの経験談、体験談を話し合う事が大切ですし、病気と闘う気構えをもつことです。病気に負けないように、これも病気を正しく知ることで、病気と闘う勇気とか、共に生きていこうという広い心を持っていないと病気に負けてしまいます。だから、治らないとか、大変重い病気だとか、珍しい病気だとか言われた時の気持ちというものは患者は皆、経験しています。

 将来に希望を失ってご家族共々暗くなってしまうことがありますが、決して自分だけが不幸だとか、あの人は症状が軽いからとか、そんなことは思わないで、こんな時こそ患者会というものが声をかけて励まし合ったり、気持ちを引きたてたりするのが患者会の役割であってですね、だから患者会というのは本当に親しい友人であり仲間であって何でも話し合えるということで自分もあの人のようによくなれる、頑張ろうという気持ちになって戴きたいと思います。

 難病連の方々は皆さん明るくてびっくりします。どこが悪いのだろうかと、どこが病気なのかと、今日もさきほどそういう方たちにお会いしましたが、見るとどこもお悪いようには見えないわけですね、けれども矢張りいろんな症状がでる、疲れやすいといったものがあるそうですが、外見だけでとらえない、日常生活に支援がある。それが難病なのですね。だから決して外見だけでとらえない。体は病気でも心までは病気にならないようにして戴きたいということ。

 

発想の転換です

 

 慢性疾患中心の時代ですから、大抵の人は、何らかの病気をもっている。だから難病なのだ。もう駄目なのだ。めずらしい病気だ-からとか、暗い面だけで考えないように、発想の転換というものが必要ですね。

 この慢性疾患時代ですから、殆どの人が病気を持っています。病気という状態を特殊に考えないこと、これも、どういう考え方をするのか。

 高血圧症であっても糖尿病であっても、喘息であってもですね、または脳卒中であっても、ガンであっても、リウマチであっても、こういうものはみんな慢性疾患であってそして治る見込みがない、また、原因不明だということですね。糖尿病でも重症になれば命とりになりますし、高血圧でも、いろんな病気を併発してくるわけですから、こういう疾患をもっておられる方が私の所に来られる。老人の方も複数の病気を抱えておられます。だから、気持の持ち方で、80歳でも歌って、踊って頑張っておられます。

 こういう時代では病気をもっていることが一般的といえるのではないでしょうか。心臓病にしても肝臓病にしても神経疾患にしても皆慢性疾患なのです。だから、自分は難病と確定された。しかしそれだけが慢性疾患ではないのです。他の病気も原因は解らないのです。

 これから高齢化が進んで、もうすでに超高齢化の時代に入っているわけですから、障害をもつ人が、ますます増えてきますから、何らかの障害や病気を持っている方が普通だといえます。だから病気や障害をもっていても不幸なことばかりではありません。何かプラスになることがあるはずだと積極的に探すことが大事です。

 病気になる前には、気がつかなかったような人間の細やかな心の機微というようなものが、難病になったお陰で発見するとことがあったり、家族間でのいたわりというものが生れてくるわけです。

 同病者の積極的な生き方に啓発されたとか、美への感受性が深まったとか、自分の心が考え方の転換によって、心が豊になったような気がすることがあるはずなのです。私は物事をすべて良いほうに解釈するのです。こういう性質に生れているわけでもないのですが、いつの頃からかそうなったのか分りませんが、今、74歳なのですが、電車に乗って吊革につかまっても幸いに前の方が席を譲って下さると「ありがとうございます。助かります」と座らせてもらいますが、座れなくても今は立っている方がいいのだ、座ると2つ折りみたいになってしまって胃も圧迫するし、立っていると背筋が伸びているから次に歩き出す時、うまく歩けるからと、だから立っていなさいと、言われているのだ、これはこじつけでも何でもないのですが、そうするといやな仕事でも、吹っ飛んでしまって気持ちがスーッとして、これが仕事の上でどんな事でも、例えば悪いことがあってもこれは良くなる前兆なのだと、有難いと受け止めて物事を良いほうに考え方を転換すると、何か気持ちの上で幸せというかそんなものを感じる気がするのです。

 

 病気とし上手く付き合うこと

 

普通の生活をしながら病気とつきあっていくことです。

私は慢性関節リウマチの患者会の会長さんと病院で良く合うんですかが、リウマチの場合なんかは、特に気持ちがイライラしたり、痛い痛いと人に当たったりしていると余計に憎悪するということを、その会長さんにいつも聞いていますので成程なあと思っています。心の持ち方というか、そんなものが痛みというものを誘うんですね。笑いとユーモアによるというところの療法を続けられたところが、これは膠原病の患者さんですが、病状が急速に快方に向かったというのです。お陰で難病を克服したということをある本で読みました。

 ある精神科の有名な先生が患者さんに音楽療法を取り入れて素晴らしい成果を挙げられています。ですから私どもの「赤鬼園」でもこれを試みて専ら歌体操に拘わっています。パーキンソンの患者さんが継続して来られている。パーキンソンの患者さんは姿勢が前屈状態で、そして無表情で動きが鈍いといわれています。この方もリズムに合わせて、動かなかった指が気がつくと動いている。足がすくんでいたのが出るようになって来たというように変わってくる。また、年に1回カラオケ大会をやっているのですが、介助してもらいながらマイクをもって歌う表情が非常ににこやかで笑っていらっしゃる。私、これは素晴らしいことだと思って、私自身が涙ぐんでしまいます。

 ガンに対しても免疫機能に影響することがいわれています。ですから反対に絶望とか抑鬱という状態では、免疫機能が低下するということも証明されています。このようなことが実験、実証で証明されていることも私たちは信用しなければいけないとおもいます。ALSの患者さんが発病するまではそのような病気の素因もなかったといわれますが、どこも動かなくなって口にくわえてそして素晴らしい絵を描かれる、神経を集中すればできるのですね。また、5本の指も全く動かなくても、ほんの2〜3o程しか動かなくても、パソコンを使って患者さん同士が文通をされている。こういう方がたくさんいらっしゃいます。

 

人とのつながり、社会とのつながり

 

 身近な協力者、相談相手というものを何としても、ご家族、友人、仲間、保健所の保健婦、または、ソーシャルワーカーというような保健、福祉の専門職ですね。そういう協力者をつくるということです。決して1人で悩まずオープンに話す、そして人生を明るく過ごすということです。患者会は相談仕合、支え合っているというのも重要な事です。この中で皆さんが助け合って益々強固なものにしていただきたいと思っています。地域では平素から隣、近所の人との人間関係を作っておく。声掛け運動というのですが、大事な事だと思うのです。

 これは2〜3日前のニュースですが皆さんもご存じかと思いますが、東京都豊島区での餓死事件ですが、非常にむごいですね。母親が77歳、息子さんが41歳、福祉事務所にこんな状態ですと訴えられているのに誰も見に来ない。   

こんな事を聞くと行政に対する怒りを覚えますね。係りの人がいろいろと弁解されていましたが、住宅密集地のアパートで、この2人が日記に書いておられて、役所の人は来ない、行けないのに役所まで出て来なさいと、手紙で1回連絡があっただけというのです。しかし、訪ねて行くというのは役所だけに限らず、ご近所にもなかった、そしてこんなに追い詰められていらっしゃった、これを聞いて矢張り福祉がないのだと思います。私は協会の帰り、夜遅く帰って来ますが犬の散歩をしている方に出くわす、私自身犬が好きだということもあるのですが、「お散歩ですか」と声をかけ、この頃それぞれに花をたくさん植えられている所があるので「まあきれいなこと」っていいますと家の中から奥さんらしい人が出てこられて、私が「きれいなお花で、いつも往き帰りに見せてもらっているのですよ」と言いますとそんな会話から「奥さんこんなに遅くまで・・・」と言われて「いま、私はお仕事でね、実はボランティアなんです。実はこういう患者さんが沢山おられて相談させていただいているのです」「まあ、えらいですね」てなことで今度お会いしたら「私、そういう方のお手伝いを出来ませんか?」ということになって、これは矢張り一声かけるというところから、花をほめて、犬をほめてというところから全然知らなかった人との関わりが生れるのです。

 だから病気の場合も恥ずかしがらずに人に対して本当に助けていただいたという時には病気をオープンにするということなんです。必ず協力者がいます。話さなければ手を差し伸べたいと思っている方でも分からない。孤独になり、 孤立化して、家族だけという方がおられまいすが、一声かけることがいかに大事かということです。

 神戸の震災でも誰も声をかけなかったために、何十人という人が孤独死されています。声かけというのは大切だと思います。

 

 最後に患者会の重要な役割であるところの本当の福祉社会をつくるために。

 

 国民の理解や連帯とか協力というのは、どうしても必要ですね。健康保険が改正されて2割負担、3割負担になってくる。保険料が高くなる。保健所がなくなる。矢張り国民の生活にどれだけ負担がかかってくるを考えれば、こういうことに歯止めをしなければいけない。

 患者さん達が自分の病気を正しく知って、負けないようにしようという気持ちをもっていても、現在の日本では大きな障害というか壁が立ちはだかってどうにもならない。その壁を何とか取り除かなければなりません。患者さん一人一人は無力ですけれど-も、お金だってありませんが、そこで患者さん達が集まってその障害のあることを多くの国民の方に知って貰って一緒に取り除くという手立てをしなければいけないと思います。その時に患者さん達の経験を具体的にしらせるのが一番理解してもらえるのではないかと思います。

 特定疾患といわれる難病の多くの方が全身症状などが出ていますので病院指向がちになりますね。皮膚科だとか、眼科だとかですね。内科、歯科、整形などというようになることですね。だからそれは地域のお医者さんにかかるということで全身症状のでる方が多いものですから1つは総合病院とか、専門医ということになって、これは遠いということで通院のための交通費など。

 初めにお話した和歌山の周参見の患者さんにどうして病院にいかないんですかと尋ねると、一回行くのにタクシーで一万円以上かかるのだそうです。ではJRかバスではと言いますと、JRにはスロープがないので階段でいかなければならない、駅員さん4人で車いすを抱えてもらえればと言うと、駅員1人しかいないというのです。そういう相談を受けるのですが、大阪市でもタクシー券は出ていますが1区だけですね。他ではまだまだそこまでしていない所が多いのです。1人では行けない、運転手段がない。付添やヘルパーさんの制度はあるのですが、これも自治体によって違う、リハビリ施設にしても送迎バスも歩行可能の患者さんが対象であったり、高齢者を対象にしているとかで、障害を持っている方とか難病患者は対象にされていないのですね。吹田でもそうでしょう。吹田と言えば大阪でも1〜2といわれる位いろんな福祉の施策が行われていると聞いていましたが、難病の方などが除外されていると知って怒りを覚えたくらいです。どうして高齢者だけで障害者とか難病の方が除外されているのかでかね。在宅療養の問題でもヘルパー派遣の問題にしても、バスの乗り降りにしても、リフトバスでも道路脇に止まりましたら段差があるし柵のあるところもあったりして、配慮がなされていないし、車いすがスイスイとおれるようになっていないですね。挙げて行けばきりがないのですが、身障手帳でも内部障害者にはないのですね。矛盾が沢山あります。

 だから患者さん達が経験を土台にした、邇9度と同じ苦しみを味わう人が出ないように、願ってですね、1人の力ではどうにもならなくても、1人より2人,10人、100人というふうに数でもっていろんな問題に協力を得ながら対処していくように意識を変えないといけないのですね。だから矛盾を正しく改善をしてもらうよう皆で努力をしなかったらだめなのです。

 

これが患者さん達が果たすところの社会的な役割

 

 といえるのではないかと思います。患者会の活動の1つ1つによって社会が少しずつ変わってきたとしたら患者さんは病気というものを通してこの社会に貢献していることが出来たと思うことが出来ると思います。難病というものがなくなる日まで、このような運動を続けなければと考えます。最後に、また「赤鬼園」の話になりますが、私の住んでいる所は旧村といわれる所でまだまだ保守的なのです。外から転入されてこられた人は、余所者として扱うのです。だから近所付合いの出来ない新興住宅地、一戸建ての分譲住宅それから都市の高層マンションでは、隣はなにをする人ぞ、というようなことで保守的な閉鎖的な私の村では、転入してきた人が疎外感を持つのです。「赤鬼園」にくるお年寄りには、1人でも多く、家に閉じこもりがちなお年寄りや障害者を引っ張り出してもらうということをやってもらっています。私は30人の人に一口メモとして案内の、お知らせを、リーダーになってもらっている3人の人に配って貰っているのです。

 こういったことが人間関係を作る上で大半ではないかと思います。

 時間が足りなくてはしりぱなしの話で、つたない内容になってしまいましたが、どうぞ皆さん病気と闘って下さい。きっとよくなります。この事を最後に申し上げて終わらせていただきます。どうも有難うございました。