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タカオ通信気まぐれ号
タカオ通信、大変御無沙汰しています。
お久しぶりです。サボリにさぼっていました。
この通信は、一般には公開していませんから本音で書けるのは気分爽快です。
四国八十八ヶ所歩き遍路の旅からの後日談
「しばらく知らない人が家にいるようで落ち着かなかった。黒目が白く透明になっていて、何も見ていないのか、心がここにないのか・・・・・。」「こりゃ、また、四国に行くね」そんなことを女房に言われていました。朝、5時過ぎると目が覚めて、起き出してきます。外で、猫の鈴が鳴ると、杖の鈴の音と間違い、出発しなくてはと、身体が反応します。一方で身体はもう歩きたくないと、拒否しています。それでも数回、出発前に歩いた元宇品一周5kmの散歩に出かけました。めがね橋を渡り、三叉路をプリンス側と反対から、灯台を目指すとすぐに、小学校に上がる急勾配の坂があります。ここをゆっくり登って行くのです。身体は覚えていて、息も上がらずに登ることが出来ました。四国では、このような坂を2時間くらい登り続けたこともありました。小学校をすぎると、尾根づたいに先端の灯台を目指して行きます。散歩をしている人にたくさん会います。四国では、あれだけ挨拶が飛び交ったのに、こちらから挨拶をしないかぎり声が聞こえてこないのは寂しい思いです。灯台から、余裕のある時は灯台のそばの坂を下り海岸線に出て、プリンスの外側の広場を抜けて、スノ−バを見ながら、楽群の側を抜けて御幸松を通過して帰ります。所用時間は50分から1時間。
先日、報告会で話しをしたとき、聞かれたのが「どこが辛かったですか?」答えに窮します。「それは、肉体的なことですか、精神的なことですか?」結局、私はどことは答えられませんでした。
実は、楽しかったからです。
苦しさは当たり前と覚悟をした旅でした。肉体的な苦しさは、1400kmも歩くのだから、楽なはずはありません。1日25kmから35kmの距離しかも標高差1000m近くもある山野を歩くのですから。自分の人生において、はじめての経験であり想像だに出来るものではありませんでした。加えて49日間1日も休みなく歩き続けるのですから押して知るべしです。
「どうしてこんなに苦しい思いをして歩かなくちゃならないのか?」の自問自答の日々でもありました。引き返す事は出来ない。がんばっただけ、前に進んでいる現実。車に乗ってもよし、電車に乗ってもよし、どの道を歩くのもよし。目的地に着くことしか考えていませんでした。あとは、自分が納得するように目的地に着くだけです。1kmでも乗り物に乗ったら、最後に後悔するのは自分だと思えば、乗ることは出来ませんでした。疲れた身体を引きずりながら道を歩いていると、そっと車が寄ってきて「乗って行きませんか」と言われます。後ろから見るとさぞ疲れた様子で歩いているのでしょう。天使のささやきのように聞こえます。「すいません、歩くと決めているので、ありがとうございます。」とお礼を言い辞退します。
山中の獣道のような遍路道を歩いていると、誰もいなく本当にこの道でいいのだろうかという不安にかられます。しかし、誰もいない森のなかで鳥の声を聞きながら歩く自分を、上から眺めているような錯覚に襲われます。遊体離脱に近いものかもしれません。しかし、自分が辛いと思って歩いていると、ひたひたと別のお遍路さんが近づいてきて抜いていってしまいます。抜かれるのは、気持ちがいいものではありません。「はっと」して頑張りますが、所詮体力がものをいいます。抜いて行く人もいます。抜かれないはずの人が近づいてきたときは、さすがにショックが大きくなりました。
後ろから近づいて来たのが判ると、大抵の人は直前ではなく20m位のところで立ち止まっていて「先に行って下さい。」と言います。平地ではないことです。私も、比較的早いほうだったので、追い抜く場面には遭遇しましたが、杖の鈴の音がしないように押さえてゆっくりと近づくようにしていました。相手が気がついたら、一気に抜くようにしていました。自分自身後ろで鈴の音が長い間しているのはいやだったので・・・・。
「どこが楽しかったですか?」と訊いた人は誰もいませんでした。修業に行ったと思っているので、訊きづらいかったのかもしれません。
私にとって、49日間も毎日カメラを肌身離さず、しかもシャッタ−を押し続けたのは、人生で初めてでした。3年前、中国に行き2週間撮り続けたことがありました。四国では、いつも首からカメラがぶら下がっていました。これこそが幸せであり楽しみでした。いつでもシャッタ−が押せる状態で旅をしていました。旅の途中で知る会った俳人堀田さんが私のために、一句作って下さいました。「遍路旅カメラ離さず求めけり」当初は、たまたま宿が一緒になった程度だったので、お付き合い程度に一句作って下さったらしいのですが、実際に歩いている途中や撮っている姿をみて「カメラ離さず」という言葉に代えたそうです。最初の言葉は聞いていなかったので判りません。多分撮り時にバックから取り出して撮るのだろうと想像していたみたいです。のちに、他のお遍路さんから聞きました。
四国お遍路の魅力の一つに、全行程の旅の中、人生の縮図というか山あり谷ありとはよく言ったもので、四国を出発したときはあれだけまわりに歩き遍路さんがいたのに、四国から高知に入る頃には、激変し高知を出発する頃には、半分くらいになっていました。瀬戸内に入る頃になると、同宿のお遍路さんくらしか出会うことはなく、1日に10人も歩いていないのではないかと聞きました。
まず、1番を出発した頃は、あたりはお遍路さんで溢れかえっているような状態でした。まだ、身なりも綺麗だし、杖も長く、バスや車で回る遍路さんと区別がつきません。地図を見なくても、ついて行けば次のお寺に到着出来るような状態でした。ゆっくりとスタ−トするつもりだったので、5番札所と6番札所の間の民宿に泊まりました。13時頃にはついてしまい、宿でぶらぶらしていました。次の日は、11番札所まで行きましたが、ほとんどがフラットな場所にお寺があり、330段もあるお寺も余裕で行くことが出来ました。しかし、3日の11番札所から12番札所焼山寺への15kmの遍路道は、噂には聞いていましたが一番の難所にあたり、標高差1000mを土砂降りの雨の中、階段を8時間近く登ったり下ったりしながら進みました。これ以降遍路の数が激変したような気がします。本当に行けるんだろうかという不安がよぎりました。まわりの遍路の人たちは情報豊富な人が多く自信満々に見えました。
その後も、しばらく山中を歩くことが多く、鶴林寺や太龍寺などの山寺も苛酷でした。海岸線に出ると今度は、何もない海岸線を86kmも歩かなくてはなりませんでした。室戸岬の札所を通過すると高知までは、比較的お寺があり、距離さえ頑張ればスム−ズに行けました。高知に入ると、休むために連泊する人や帰る人が多く、急にまわりが寂しくなりました。
足摺岬で、台風に遭遇しました。「めったに無いことだから、台風に向かって行こう。」「台風だから、通過するまで民宿に避難しよう。」と二派に別れました。私は、前者でしたから台風が足摺岬に上陸したときに足摺岬の国民宿舎にいました。山が風に吹かれ、稜線・木々が生き物のようにうねり返す姿を目に焼き付けることができました。3つの難所は、焼山寺・横峰寺・雲辺寺と聞いていましたが、実感としてはこれらのお寺は、心の準備と前日からの体力の温存をしていたので想像以上のものではありませんでした。結構、話題にのぼらなかった500mから600m位にあるお寺の方が道が険しく苦しい思いをすることが多くありました。
特に、雲辺寺を過ぎると、あとは楽だからという言葉を信じて旅をしたのが、一番裏切られたような気がします。傾斜角21度の道を40分近く登る苦しさは、想像していませんでした。
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NEWS
季刊情報誌「旬遊」VOL.2が9月24日に発売されました、
書店に行って見て下さい。定期購読の申込用紙も入っていますので、よろしくお願いたします。
6月24日に発売された創刊号は、取材時期が遅れたこともあり、四国出発に間に合わなくなり、吉岡早百合さんや竹本宗文さん等にお願いしてのこととなりましたが、今回は、かなり多くのペ−ジを担当しました。全体の40%近くを担当しました。
元々もコンセプトが、タカオ倶楽部に近かったので引き受けたいきさつもあり、是非皆様には、見て読んで頂きたい気持ちです。タカオ倶楽部の関係者もぼちぼち登場するかとも思います。
タカオ通信は、藤原隆雄が個人的に編集している通信です。
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