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 空界

四国八十八ヶ所歩き遍路の記憶

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第四章





 

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24日目 46326歩

2003年6月1日(日)晴れ

札所 39番 赤亀山 延光寺

長い旅であった。6時20分に安宿旅館を出発。ものすごい北風を受けながら、山間部を目指して進む。山道は、舗装道路がだらだらと登って行く。前後に歩いている人がいるが、いつの間にか見えなくなる。あとは、1人旅通常は、1時間歩いて10分休憩をとるようにしているが、全く休むところもないだらだらとした林道。ついつい長丁場を歩いてしまう。途中民家を見つけて、お水を分けてもらい飲む。それほど人気のない林道。遍路道らしくないので、なおさら疲れがたまる。途中、街中に入りお接待所があった。温かいお茶を飲ませてもらう。もらったバナナを食べる。遅れて歩いていた人も追いついてきた。岸本親子も合流。しばし話しをした。出発して2時間以上休んでいなかった。みんなぺ−スが違うので、なかなか揃うことはない。なんとなく温かい。途中の道に、牛の放牧がありしばらく写真を撮っていた。軽トラックの男性が、車を停めて飴のお接待をしてくれた。他の遍路さんにも配っていた。車に準備をして、見かけたら配るようだ。広島では多分受けとらないだろうが、お四国では自然に出来る。39番でも飴のお接待を受けた。今夜の宿には、岸本親子がいた。

宿泊地 民宿 嶋屋 〒787-07 宿毛市平田町中山 TEL 0880−66−1432


 25日目 43791歩

2003年6月2日(月)晴れ

札所 40番 平城山 観自在寺

荷物を民宿磯屋に持って行ってもらえるということで、身軽に出発した。32km足の調子も悪いので国道をひたすら歩いた。身が軽い分だけどんどん前へ進む。岸本親子と一緒に歩いた後国道で別れた。先陣を切って歩いていたが、トイレの為喫茶店に入り先陣を譲った。あとから来た人にも抜かれた。町中はいろいろな道があり迷った。道を聞いた女性2名からコ−ヒ−の接待の申し込みを受けたが、先を急ぐので丁重に辞退して写真だけ撮らせてもらった。露出オ−バ−かもしれないと心配しながら歩いた。幼稚園へ行く親子も撮った。国道は単調でだれもいない。時間的には早く着いたが実りはなかった。孝太郎君は、お遍路道を通って来た。つらい坂があったようだ。40番の札所は、面白い石仏がありしばらく、落ち着いて写真を撮った。別のグル−プのお遍路さんがいた。女性1名男性2名のグル−プ。もっと先まで足を伸ばすらしい。岸本さんのお父さんは、途中バスに乗ったみたいだ。一度車に乗ると、なかなか誘惑には勝てなくなるらしい。今後も多々ありそうだ。

宿泊地 民宿磯屋 〒〒798-41 南宇和郡御荘町長崎 TEL 085−72−0467


 26日目 37117歩

2003年6月3日(火)  晴れ

朝7:20出発。距離が短いののもあり何となく落ちついている。磯屋は船宿とのこと、何となく家族的な宿になっている。句の人は、大阪に帰って行った。お遍路道は険しいとのこと、ひざのことを考え、国道を行く。フラットな海岸線を回って行く。出発が遅れたぶん気温が高くて苦しい。何度も休みをとって進む。昨日の荷物が軽かった分今日が重く感じて辛い。望遠レンズのキャップを落としてしまう。ケ−スからレンズを取り出すのに手間取り、遅れをとっていたので、道ばたにキャップなどをおいて前に進んだ。かなり歩いて撮影が終了してもどったが、急いで道ばたの道具を持って進んだつもりが、キャップだけを取り損ねたままになってしまったことに気がつかず、途中まで引き返したが見つけることが出来なかった。これがないと、今後レンズに傷が付くので、すぐに広島に連絡して補充してもらうことにした。しかし、届くまでに1週間はかかる。そのことが気になって1日が済んだ。途中の坂道を歩いているときに、近づいてきた車から、お接待と言われてオロナミンCを頂いた。そして、しばらく歩いていたらうどん屋さんがあったので、昼食に入った。そこに、先ほどのオロナインCの女性が昼食をとっていた。話しを聞くと、名古屋の方で、ご主人と息子夫婦は現在、孝太郎君がチャレンジしている遍路道を歩いているらしい。先の下山地点で拾うらしい。「早いですね」と言われた。人間の歩く力は、結構早く、5分もあれば500m位は進んでいる。昼食後またまた歩き続けて、津島の町についた。町の中心部までが結構長い。やっと、川の側の三好旅館に着いた。古い格式ある旅館であった。岸本のお父さんは、予想通りすでに着いていた。バスを利用したらし。孝太郎君はすこぶる不機嫌である。香山さんたちも合流してきた。明日、一緒に歩くことになる。食事が済んで、香山さんに頼んで、レンズキャップをとりに行ってもらった。20分程車で走った処の歩道に黒いキャップはあった。あれだけ一生懸命歩いた成果が、車だと20分で到着してしまう。むなしさに近い気持ちになった。香山さんには、20分しか見れない景色を、歩くと1日かけて見ることになる。充実度が違うんだと説明した。夕食は、うなぎだった。毎日、カツオのたたきに飽きていたので嬉しかった。

宿泊地 三好旅館 〒798-33 北宇和郡津島岩松 TEL 0895−32−2107


 27日目 44451歩

2003年6月4日(水)雨のち曇り

札所 41番 稲荷山 龍光寺 42番 一果山 仏木寺

香山さんが合流した旅となった。同行の人は、車で先回りしている。全体に少し楽な道ではあった。来るときに明日歩く道を通過してきたらしく、今日でよかったと喜んでいた。私自身気を使ったのか、ぺ−スが狂いおなかの具合を壊し、ディックに行ったりしてトイレを使ったりして時間を食った。宇和島の町中を通過したため、前半は平坦な道ではあった。岸本さんの息子は番外にも行くということで、宇和島の駅前で別れた。我々は、駅前のベンチで休憩する事にして行くと、ボランティアの人たちがお花の手入れをしていた。街路樹になっていたプラムの実をとっていたので、分けてもらって食べた。なかなかの味だった。メンバ−に市議会議員さんがいた。道ばたを歩いていると、突然中年の女性が財布から、お金を取り出して「これでジュ−スでも飲んで下さい。お接待します。」と言って240円下さった。香山さんは、突然の出来事に驚き少し涙ぐんでいるようにも感じた。

宇和島の街を抜けると、登りの道になった。バス停にお婆さんがいたので休憩をしながら話しを聞いたが、結局よく話しは判らなかった。ヤクルトのお姉さんにヤクルトを買って飲みながら、道のことを聞いた。「最後の坂が大変ですよ。それ以外はたいしたことはありません。」と言われて元気を取り戻して歩く。途中イメ−ジのあう橋があったので、孝太郎君に歩いてもらい写真を撮った。急な坂道を上がりきると、盆地のような土地に出た。だらだらと歩いて行くと、41番札所番龍光寺に着いた。やはり急な坂が待っていた。門前の食堂「長命水」に入り、遅い食事をとった。話し好きな夫婦でコ−ヒ−をお接待して下さった。弘法大師からのすばらしい名水の話しが出た。お礼に夫婦の記念写真を撮らせてもらった。42番札所仏木寺に着く。ここの茅葺きの鐘楼が珍しい。

ここで、香山さんたちは、車で帰って行った。「明日の道は凄いですよ。」と言い残した。今夜の宿の名前は、とうべ屋どうも屋号らしい。遍路仲間では人気の民宿と聞いていた。案内地図に載っている宿は、評判が悪くみんな避けているらしい。食事後は、宿の前の田んぼに出かけ、蛍の乱舞を見た。私たちの興味は、明日の山越え(鎖場がある)と聞いていたので詳しく聞いた。「苦を選ぶか、楽を選ぶか」という看板があるから選びなさいと言われた。もちろん苦は鎖場の遍路道。楽は車道とトンネルの道。ここから20km程で次の札所が待っているとのこと。地図にはない、楽な山越えの道があることを知った。

宿泊地 民宿とうべ屋  愛媛県北宇和郡三間町則1582 TEL 0895−58−2382


 28日目 45913歩

2003年6月5日(木)晴れ

札所 43番 源光山 明石寺

5時半に食事。6時には出発して遍路道の山越えをする。地図には載ってない道なので、岸本息子と一緒に行く。霧の中、狭い山道を登り始めた。宿の主人が言った、分かれ道では、楽と書いたある車道を選んでトンネルを越えたが、それでも山越えに2時間半もかかってしまった。その後平地を20km程歩くと、43番札所明石寺がある。山の中腹にあり、しばらく急な坂道を登って行った。大きな落ち着いたお寺だった。納経後は、来た道ではなくお寺の横を通り、山の中の遍路道を歩き街に出た。前夜あった、17日目の健脚の人が追いついてきた。杖は半分くらいになっていた。ここで新しいのと買い換えた。どんなに早いのか興味を持って見ていた。山中で追いつかれた。下りは小走りで下って行った。昔、テレビで見た修験者のような走り方をしていた。あれぐらいなら17日も可能かもしれないと思う。しかし、多分時間の挑戦をしているだけで、まわりの景色や、人情に触れるひまがないようだ。それでは面白くない。昨夜話しを聞いていて感じた。もったいないなと。新しいお遍路さんが参加してきた。私は、昭和天皇とあだ名を付けた。しかし、後半は急勾配の車道を駈け下った。途中、反対車線の車から男性が降りてきて、お接待ですと大きなポンカンを2ヶも下さった。とにかく車道は暑い。何とか店の影にスペ−スを見つけて休憩。他に2名のお遍路さんが休憩していた。しばらく雑談をしていると、孝太郎君が追いついてきた。どこかに寄り道をしていたらしい。番外のお寺もこまめに納経している。落合さんに電話をして現在位置を確認した。ずいぶん近づいてきている。無理をしなければいいのだが。最後の500mくらいの時、古い建物の2階で女学生が、外に向かってシャボン玉を吹いて遊んでいた。チャンスと思ったが、ついにカメラに手が届かなかった。気力が無かった。しかし、シャッタ−チャンスを逃した、幻の3枚目になった。ことぶき食堂は、古い大洲の街の中にあった。ずいぶん歩いた気がしてくたびれて到着したが、岸本の親父さんが、浴衣姿で手を振って向かえてくれた。お接待で宿の前まで乗せてもらったらしい。親子で言い合いがあった。しかし、半ばあきらめたような感じもあった。ベストを求め過ぎて、とん挫するよりはベタ−で最後まで行くのも方法だよと慰める他はなかった。瀬戸内海に近づいたのか、木江の宿に似てきた。古い宿。この日は、親父さんも元気に「ビ−ル3本持って来て。今日はせがれの誕生日だから」と堂々とビ−ルを飲んでいた。アルコ−ル依存症の父を立ち直らせるために願をかけて旅に出たらしい。「完全歩行。禁酒」微妙な顔を孝太郎君はしていた。孝太郎君も、この旅に禁酒していた。私もつい、つきあっていた。

宿泊地 ことぶき旅館 〒795 大洲市大洲559 TEL 0893−24−4135


 29日目 47722歩

2003年6月6日(金)晴れ

古いことぶき旅館を7時に出発して、高橋旅館に向かう。30kmは少し苦しい旅である。平坦な道ではあるが、暑さに耐えられない。午前中になるべく距離を稼がなくてはならないが、がんばったつもりが内子まで15kmがいっぱいだった。内子の古い町並を少し歩いた後に、山岳地帯に入り高橋旅館を目指した。景色を見る余裕もないほど暑さに参る。見かけないお遍路さんが、前後に歩いていて抜いたり抜かれたりしながら旅した。休憩所らしきものがないので、整備されたバス停で休む。水分補給が頻繁になる。お遍路道と車道が川を挟んで平行していた。車道にこだわった私は、直射日光の強い道を歩く羽目になった。旧道は、林に囲まれた車の少ない道だった。途中交差するところに、立派な休憩所がありここで、しばらく休んだ。多く岸本親子とは、ここで合流したが、他のお遍路さんは先にどんどん行ってしまった。道を聞きながら、夕方高橋旅館に着いた。ツバメが住む旅館だった。誰もいなくしばらく待った。近所に気になる喫茶店」があったので、孝太郎君と二人で入り、コ−ヒ−を飲みながら情報収集をした。近所の主婦の集会所と言った風情。明日行く場所の出身の人も居て、詳しく教えてくれた。吉井さんに電話をして、近況を知らせておいた。44番45番の札所をどちらを先に回るかというのが大きな問題になった、距離が30km以上ありこれを行けば45番札所の近くの国民宿舎に行ける。しかし、場所から言ってかなりの標高差があるので、親父さんの脚力では難しいのではということで、15km程の処にある宿をとっていたが、昼前に着くから、もっと足を伸ばした方がいいという意見なので、45番との間の旅館に電話してが、休業中ということで、結局、予約している宿から5km延ばして、44番札所の前に宿をとることにした、その場合、45番札所は、往復する事になる。15km程度の山岳車道を往復しなくてはならないので、44番札所の宿に2連泊する事にした。

宿泊地 高橋旅館 〒791-35 上浮穴郡小田町田村甲403 TEL 0892−52−2316


 30日目 35733歩

2003年6月7日(土)晴れ

札所 44番 菅生山 大宝寺

高橋旅館のツバメに見送られて、朝7時すぎに出発した。いきなりしんどい峠を越すことになった。これを越すとあとはなだらかな道と聞いていた。7kmを2時間30分かけて登った。車道ではあるが山を越えると言った感じでひたすら登って行く。途中道路工事をしている夫婦や家の前で遊ぶ子どもたちに会った。親切に峠の越え方を教えて下さり、峠まで乗って行かないかと誘われたが、私は歩きたいと丁重にお断りした。岸本の親父さんにはきついだろう。もしものことをお願いした。「後ろから来る足の悪い人が来たらお願いします。」ひたすら登って行った。今回の旅は、いたるところに難所と言われる場所がある。地図が古いのでなおさら脅されることが多いが、案外車道が整備されていて、遍路道さえ通らなければ、めちゃくちゃということがない場合もある。今回は、急勾配の道をひたすら登るだけ。車道は、勾配をなくすため蛇行して登るが、遍路道は最短距離をショ−トカットしているので、真っ直ぐ山を登る。神社を過ぎたら、遍路道に入り車道にぶつかって2本目に出たら、この車道を真っ直ぐ登れば一番いいからと教えられた。ところがこのショ−トカットの遍路道は、まさしく真っ直ぐ山を登るものだから大変な急勾配。とても下りは、滑ってだめなのではないかと思うほど。雨の為ぬかるみ滑る。距離は数百メ−トルではあるが、アゴが上がる。途中村の人に出会うので、写真を撮りながら話しを聞く。多分、昔は隠れ里だったのではないかと思う。「買い物はどうするのですか?」「車で10分も走ればお店があるから。」確かに宿泊した小田まで10分そこそこだろう。昔は、大変な時間がかかったはず。思わず苦笑いした。車で10分。私が歩いたら、2時間ではつかない距離。急勾配を登って、やっとトンネルについた。途中、岸本の親父さんは、軽トラックに乗って行ってしまった。もう後ろには、誰も歩いてはいないはず。やっとトンネルに着いた。ここからは、フラットで楽な道のはず。トンネルを抜けるとあたりは、うす暗く雲行きが怪しい。雷が鳴り始めている。しばらく行ったがますます、音も激しくなり、木陰で雨具の装備をして歩き出した途端、バケツをひっくり返したような大雨と雷が落ちだした。避難するわけにもいかないので、なるべく高いものがあるところを選んで歩いた。腰にはカメラがあるので、いつ落ちてくるか分からない。どっかんどっかんと雷が落ちる。1時間ほどすると、嘘のようにやみ、今度はじりじりと太陽が照りつける。神社の前を通過すると、着物着た人たちがお宮参りに着ていた。興味があったが、急いで目的地の向かう。45番44番の分かれ道に着いた。バス停で休憩しながら、45番への道の整備の良さに驚いた。地図では、どんなへんぴな道を歩かねばならないのかと思ったが、これなら地元の人が言うように強行しても行けそうだった。しかし、予約も住んでいるし金尾君も来るので、予定通り44番札所に向かう。5kmと書いてあったが、なかなか着かない。途中名水があったので、乾いたのどを回復することが出来た。街に入ってしばらくすると、お店から女性が出てきて、お接待ですと500円を頂いた。旧道を歩いていった。昔の街道を思わせる街並。宿は車道にあった。料亭もやっているようだが、一般のお客はとってないようだ。メニュ−も大変と思う。早めに着いたので、まず、44番の札所に行った。30分も歩けば着くと言うことだった。案外、宿から、札所に行くのは辛いものだ。荷物は、前回の経験を生かして余りへらさない状態で行った。孝太郎君はすでに行っていた。札所の帰りに、喫茶店に入り、遅い昼食をとった。別の話好きな男の人に、45番のことを聞いた。お遍路さんは、道を聞くくせに、私の話を信用しない。それなら聞くなと言ったこともありますよ。」と言われてしまった。ごもっともではあるが、案外間違った情報で、困っているのも事実。宿に帰って、ゆっくりと洗濯をしたりして身体を休めた。天皇と言われる人物が、何となくメンバ−入りしてきた。顔そして仕草が昭和天皇にそっくり。幸いなことに、レンタルマンションのようになった宿だったので、個室でゆったり風呂にも入ることが出来た。今日は、距離が25km程度だったので、人物の写真が撮れた。やはり30kmになると写真を撮る余裕がなくなる。明日は、同じ宿に泊まり45番札所を目指す6〜7時間かかるらしい。登りがきついと聞いている。

宿泊地 民宿笛ケ滝  〒791-21 上浮穴郡久万町久万203−1 TEL 0892−21−0502


 31日目 36330歩

2003年6月8日(日)晴れ

札所 45番 海岸山 岩屋寺

7時に宿を出発。45番札所に向かう。きつい登りの道と聞いていたので、予想通りと登って行く。途中遍路道があるが、今日はひたすら車道を行くことにした。実際には、2つの峠を越すことになり、下りもかなりある。行きに3時間帰りに2時間滞在1時間休憩1時間の予想だったが、半々の時間配分になる。途中国民宿舎を通過したあたりで、作業をしている人たちに呼び止められて、お茶のご接待を受けた。車道は日差しが強く、水分補給を充分にしないと倒れそうになる。渓谷美を売りにしている道らしい。中国の渓谷を思い出す。道路が整備されてきているので、地図をあてにしないで歩く。岩屋寺は600mの場所にある。車道450mから一気に山の中腹まで登る。急勾配にみんなふらふら状態で登って行く。バスツア−の日知多地がたくさん来ている。土曜日だ。15分位でお寺に着いた。まわりは、石仏群があり見応えがあるが、登るのに精一杯。「ありがとう」と言いながら登る女性もいた。いろいろな人生を背負って来ているのだろうなと思う。私にとっては、ベスト3に入るお寺だった。帰りは、道筋が判っているので、早く感じた。2時間15分で帰ることが出来た。孝太郎君とも何回か一緒になった。お接待でもらった宿のむすびを昼食にした。3時前には広島から義理の弟の金尾君が明日同行するために来るまで来た。彼には、是45番に行くよう勧めた。車で20分程度だったそうだ。洗濯や明日の準備で結構忙しい。久しぶりにビ−ルを金尾君と飲んだ。

宿泊地 民宿笛ケ滝  〒791-21 上浮穴郡久万町久万203−1 TEL 0892−21−0502


 32日目 42089歩

2003年6月9日(月)晴れ

札所 46番 医王山 浄瑠璃寺 47番 熊野山 八坂寺 48番 清滝山 西林寺 49番 西林山 浄土寺

いよいよ松山を目指して7時に出発。金尾君も同行。軽い登りから三坂峠を目指す。標高700mから車道を離れて、遍路道に入る。草茫々の道なき道から、細い獣道のような遍路を松山市内目指して、一気に300mくらいまで下って行く。逆に登るのは勘弁して欲しい道である。だらだらと下りながらまず46番浄瑠璃寺に向かう。携帯に広島の水野夫妻から連絡があり、46番でおいしいお茶とお菓子のお接待をそこそこに頂いて、47番に向い水野夫婦に会った。先に孝太郎君が行ったので、人相風体を教えていたらすぐに見つけたらしい。バスの都合があり、ゆっくり話しをすることは出来なかったが、記念写真を撮った。不思議な出会いである。47.46.45.44とバス遍路ツア−で来ていたらしい。平地をその後、48・49番札所とまわり宿に着いた。ここで金尾君は、出発点の民宿笛ケ滝へタクシ−で戻り、自分の車に乗り換え松山からフェリ−で広島に帰った。金尾君は杖を持ってなかったので、下りは相当苦労したことだと思う。それほどの急勾配のぬかるんだ山道を下った。しかしながら、山の景色はすばらしくいい経験が出来た。鷹の子温泉は、本物の温泉で、久しぶりにゆったりと温泉気分を味わった。何回もお風呂に入れるのは魅力である。高知で別れた落合さんが46番札所まで来ていることが電話で判った。我々がゆっくり来ているので、明日には追いつくかもしれないと伝えたが、ここ数日間40km近い強行軍で歩き、三坂峠の下山で膝を痛めたので、松山で病院に行くと言った。追いつくのは無理かもしれない。半日の距離にいるのだが。

宿泊地 鷹の子温泉ホテル 〒790 松山市鷹の子町744 TEL 089−975−0311


 33日目 35603歩

2003年6月10日(火)曇り

札所 50番 東山 繁多寺 51番 熊野山 石手寺 52番 瀧雲山 太山寺 53番 須賀山 円明寺

瀬戸内海汽船の白倉常務がお接待に「道後舘」のお風呂に入っていくように誘われたが、歩いている途中に温泉に入ると動けなることが判ったので、丁重に辞退させてもらった。他の人も、はじめは道後湯に行くようなことを言っていたがやめた。今日は、20km程度の距離なので、松山市内で用事を済ませることにした。まず50番51番を済ませた。リクル-トの仕事で撮影に来た理美容の学校の担当者の方に、遍路の挨拶に行った。方向が違うのでまず、市内の真ん中まで出てからタクシ−に乗り学校に行き再び乗った場所に帰り、そこから歩き始めた。先生はあいにく不在だったので名刺だけ置いてきた。目的の52番は松山観光港に近い場所なので、市内からかなり余分に歩くことになった。1時間ほどロスが出た。雨が降ったりやんだりしていた。女房が、広島から1日体験同行するので、52番で待ち合わせたが、ロスの為決まった時間に行くことが出来ないので、JR三津浜の駅で待ち合わせた。タクシ−で1500円位の距離。駅で待ち合わせて昼食を済ませて歩き始めた。地図がよく分からず、かなりまよって着いた。今回は地図よりか地元の人の話が正しかった。天皇もいた。孝太郎君は入り口の山門で出くわした。ここからかなりあるというので覚悟を決めて登った。53番の円明寺は1時間もかからない場所にあった。民宿が少し離れていた。道を探しながら、歩いた。岸本親父さんが大きい道まで出てきて向かえてくれた。ここから、海岸線を入って行った。200mが相当長かった。天皇は、几帳面な正確なのでぶつぶつ言いながら着いた。海水浴場の民宿のようだ。料理は食べきれないほどあった。この旅で一番ではないだろうか。朝食も食べきれなかった。

宿泊地 民宿 佐伊知 〒799-2651 松山市堀江町843−7 TEL089−979−0303


 34日目 31532歩

2003年6月11日(水)曇り

朝、7時過ぎに出発。女房は、宿の女将に桟橋まで乗せて行ってもらう。我々は20km程の旅に出発。ゆっくりと今治に向かう、途中ゼクシ−で取材に行ったケ−キ屋さんがあった。瀬戸内海を見ると気が抜けてなんとなく身体がだるい。単調な海岸線を歩く。途中、遅れていた山岳部の人が道の駅にいた。北海道の落合さんと一緒に旅していたらしい、かなりハイピッチの人と一緒だったらしく、疲れたと言っていた。落合さんもマイぺ−スの人だが、引っ張られて結局膝を痛めたらしい。横峰寺のことが話題になった。宇治の森田さんが、15日に同行することになっている。あたりそうだ。金尾君も心配して連絡してきた。下井さんの友人が新居浜にいるので寄ってみてはどうかという提案だった。時間が許せばと回答しておいた。道から外れていなければ可能。宿泊地の菊間は、瓦に産地らしい。そして近所に石油コンビナ−トがあるので、工事関係者が常宿に使うらしい。久しぶりのベッドだった。

宿泊地 月の家旅館 〒799-23 越智郡菊間町本通 TEL 0898−54−4748


 35日目 42061歩

2003年6月12日(木)晴れ

札所 54番 近見山 延命寺 55番 別宮山 南光坊 56番 金輪山 泰山寺 57番 府頭山 栄福寺 

58番 作礼山 仙遊寺

菊間町を出発。海岸線をだらだらと13km歩いて54番札所に着いた。途中石油コンビナ−トがあった。気になるのは、お寺の大きさが小振りになってきている。数が多くて覚えきれない。少しだれてきているのかもしれない。団体のバスツア−が着くとお寺は、騒然とする。30分模すれば静寂にもどる。57番58番の札所への道は、たんぼのあぜ道山道と多彩。久しぶりに山道を歩いた気分になる。58番札所は、当初丘の上にあると聞いていたが、実際は山の中腹にありかなりの山道を上がって行かなくてはならなかった。誤算である。山岳部の人は、私たちにはついて来れなかった。なかなか景色がいい。宿坊は近代的な建物だが、お寺との違和感はない。階段には女性のヌ−ドの塑像が飾ってある。体育館のような設備もある。変わった住職であることは想像がつく。夕食は、本格的な精進料理でおいしかった。部屋は個室。テレビはなかったがゆっくりとくつろぐことが出来た。通夜堂に若者が泊まっていた。ぺ−スが早そうなので、先を行っている人に伝言を頼んだ。落合さんが、北条市まで来て、リタイヤすることになったと電話で話をした。足の具合が悪く、横峰寺の事を考え、一度北海道にもどり、出直すことにしたらしい。大変残念がっていた。逆に、37番岩本寺で帰って柴田さんが、5日遅れで再出発して追っかけて来ている連絡があった。5日の遅れは、追いつくのが難しいかもしれないが、私たちのスピ−ドダウンを考えると最終日あたりで、追いつく可能性がある。

宿泊地 作礼山仙遊寺 〒794-01 越智郡玉川町別所甲483 TEL 0898−55−2141


 36日目 35955歩

2003年6月13日(金)晴れ

札所 59番 金光山 国分寺

仙遊寺では、6時からお勤めがあった。なかなか面白い話しであった。自分が25年住んでいてもよそ者である。遍路を世界遺産にする運動を展開している。その後、1時間ほど、問答をした。広島の世界遺産の問題もあった。ダライラマの世界音楽祭のことも話題に出た。トランペットの近藤さんのことも話題に乗った。心の中のことあった。珍しくみんなゆったりとした気分で、1日が始まった。急いで出なければならない日々が続いていたから、よけいゆったり感じたのかもしれない。出発は9時前であった。門前のおみやげ屋さんの前を通った時、店先の女性がタオルを出して「どうぞ」と言いました。私は、お店の客引き用に渡しているのだろうと思ってしまい、何か買わなくてはならないのかもしれないと警戒してしまい、断りました。一緒についた孝太郎君は、ちょっと躊躇していましたが「ありがとう」と受け取りました。「これは、お接待ですから」とその女性はいいました。そうかと思い、アイスクリ−ムを売っていたので、帰りにタオルをもらえば良いと思い、お参りを済ましお店に立ち寄り「あのタオルをいただけませんか?」とお願いしました。「お断りします。気持ち良く受け取っていただけなかった方には差し上げません。」自分の邪心に恥じて「わかりました申しわけありませんでした。」と言うしかありませんでした。「アイスクリ−ムを下さい。」といいながら財布を出して支払おうとしましたが「アイスクリ−ムはお接待させて頂きます。」と言ってお金を受け取りませんでした。タオルは、この土地の産物で宣伝も兼ねてみなさんに配っているのだそうです。もちろん、歩き遍路さんのみとのこと。ちなみにアイスクリ−ムは200円の表示がしていました。長く感じる道を歩き、商店街の中にある、宿に着いたコンビニに行き牛乳を買って来て、一気に飲んだ。便秘を直すためだ。明日の横峰寺を考え改善しておきたかった。古い宿場宿と言った感じ。前日の宿坊とは、全く違いプライベ−トはほとんどない。

宿泊地 栄家旅館 〒791-05 周桑郡丹原町願蓮寺173 TEL 0898−68−7164


 37日目 29140歩

2003年6月14日(土)

札所 60番 石鎚山 横峰寺

いよいよ覚悟を決めた60番札所横峰寺に向かう。長い商店街を抜けて山の中に入る。雨はひどく降っている。今回、山岳地帯は、ほとんど雨が降っている。涼しくていいのだが、カメラが濡れて困る。ライカ−の威力は凄い。途中一度錆びてフィルムのとりはずしが出来なくなったが錆止めを吹いて解決した。その後は、コンビニのビニ−ル袋で硬くガ−ドしているのでくもることも少なくなった。油断するとファインダ−は雲って何も見えなくなる。横峰寺に上がるには、車道か遍路道しかない。私は、2時間位つらい階段をがんばれば着く遍路道を選んだ。しかし、地図が古くかなりの間道が整備されていて舗装道路が続く、急勾配ではあるがびっくりするほどではない。名水の出る場所まで着いたが、休憩所があった。舗装道路はここで封鎖されている。名水の出る崖の上に、遍路道の標識があった。いよいよだ500mの標高差を登って行く。標識では1時間10分と書いてある。階段を1時間10分がんばって登れば着くのだと言い聞かせて登り始めた。案の定、道は細く果てしなく続く階段が目に入ってくる。雨で道はずぶずぶになっている。最初、岸本の親父さんを撮るため、親父さんの前や後ろに回って撮っていたら、自分の息があがり、ぺ−スが崩れてしまった。スロ−ペ−スの親父さんは、休まずひたすら登って来るので、抜かれそうになるほど疲労してしまった。1時間弱で横峰寺に着いた。雨はひどくポンチョの中は、汗と雨でずぶぬれ状態。止まってしまうと寒さが襲ってくる。高地なのでなおさら身にしみる。売店はないので、前日コンビニでパンとバナナを買っておいたのを休憩所で食べた。飲み物は、自販機があったが全部冷たいものばかり。この時ばかりは、温かいコ−ヒ−が飲みたかった。他の人は、着替えをして寒さをしのいでいた。私は、予備を持っていないので、体温で乾くのを待ったがだめだった。寒いのでそうそうに下山する事にした。後から、数名のお遍路さんが登って来た。天皇も早めに来ていた。てっきり1日早く登っていると思ったが、どこかで休養したらし。知らないお遍路さんにも「あんたが広島のカメマン?」と聞かれた。情報が流れているらしい。ここに来ると遍路さんの数も減ってしまい、宿の数も少なくなっているので情報は瞬時に流れていく。帰ろうかとしたとき、36番札所で別れた二人ずれの1人である岡野さんが登って来た。36番で写真を撮らせてもらい、その後メ−ルのやりとりがあり、横峰寺に登る予定が一致していたので、会えればとメ−ルを打っていたので合わせて登って来たらしい。聞くと、西条に住んでいて、横峰寺からスタ−トしたので、結願のために来たらしい。我々は、寒いので降りた。我々の今から下るル−トは、険しいので最近は通行する人がいないので、相当あれていると言われた。しかし、その下山したところに宿を予約しているので変更するわけには行かず強行する事を伝えた。天皇たちは、来た道を下り61番札所にもどるらしい。再び山を登り峠に出て、いよいよここから急斜面を一気に下る。多分、このたびの中で一番の急勾配であろう、地図の傾斜数値を見ても崖のように感じる。下りだしたが、言われた程のあれようではなかったが、岩盤の道が、長年の歳月で、滑りやすく摩耗している上に雨が降りしきり、枯れ葉が落ちているので、足を置くだけで滑って転げ落ちそうになる。カメラもあるのでいかに滑らないようにするか気を使って歩く。道は、真っ直ぐ下っているので滑り出したら大変。30cm程の道の中心を避けて、道の脇の枯れ葉の上を踏みながら下った。杖を使いながら降りるが、杖も地面を滑る。とうとう滑って倒れそうになったので、杖を支えにしようと右手に力を入れたが、50肩の右手は無力で、激痛が走った。支えきれなくそのまま滑りながら倒れた。左の腰につけたレンズをかばいながら倒れたので、しばらく激痛の為地面にうつぶせになったままになった。途中ベンチがあったので、休憩。岸本息子も休んでいた。親父さんが途中で倒れたら大変なので、しばらく待つことにした。孝太郎君も2回転んだらしい。すぐに、人影が来た。親父さんではなかった。さっきお寺で別れた、岡野さんが、走り下るように降りてきた。親父さんも続いていた。抜かれたのだ。「早いね」と聞くと、山道を歩くのは好きで、こんな道は、すべるので小走りに走るように降りた方が安全です。」と言われた。まさしくその通りで、出発して数秒後には彼女の姿は見えなくなった。「歩いたことのないコ−スだったので、連れが出来たので安心して来た。」と言っていた。今日、奈良からも友人が来るので、61番の車までもどったら、車で宿まで来ませんか。一緒にコ−ヒ−でも飲みましょう。ということで別れた。宿から15km程車道を下った所に、61番札所がある。2時間半もあれば、彼女の足だったら行き着くだろうということになった。私の足では、3時間半はかかるだろう。遍路道から、宿までは車道を15分くらい歩いたら着いた。この宿は、石槌山(1900m級)の山に登る中継地らしい。森田さんの家族がまもなく着いた。体験の為、今下って来た遍路道を10分間だけ登るよう案内した。入り口には、たくさんの竹で出来た杖がおいてあった。奥さんと息子さんがついてきていた。食事をしながら、明日の予定等を説明していつも通り眠った。結局、岡野さんは疲れたらしくキャンセルとなった。

宿泊所 関門旅館 〒791-04 周桑郡小松町河口 TEL 0897−59−0607


 38日目 35360歩

2003年6月15日(日)曇り

札所 61番 栴檀山 香園寺 62番 天養山 宝寿寺 63番 密教山 吉祥寺 64番 石鉄山 前神寺

森田家族と3名と一緒に食事をした後、婦人と息子さんは別行動になったが森田さんとは一緒に歩いた。フラットな道を2時間半歩いて国道に出た。フラットといっても車での話しであって、歩き遍路にとっては起伏のある道、特に湖の周辺はかなりの登りとなった。最初は一緒に歩いたが、いつものように列は延びていき、いつの間にか見えなくなっていった。香山さんの時に一緒に歩いて、気を使ったので森田さんには、1人でゆっくり遍路の旅を感じてもらいたく、気にせずに歩いたので、別々になった。森田さんもカメラを持って撮っていた。血が騒いだことだろう。分岐点でしばらく待つと、岸本息子も森田さんも追いついてきた。孝太郎君は番外のお寺にお参りしていたらしく、遅れて着いた。国道に向かって坂道を下って行った。このまま行くと、63番に着いてしまうので、まず、61番に戻り順番通りお参りする事にした。国道の喫茶店で、3人でコ−ヒ−を飲んで休んだ。孝太郎君もゲストが来ると興味を持って接してくる。61番お寺というよりか近代的なホ−ルのようになっていた。お宮参りの家族が多くいた。お寺を出て歩いていると「ちょっと待って。」と車の中から呼び止める男性がいた。道を間違えたか、もしくは道を聞くのかなと思っていると、「お接待です。これで何か飲んで下さい。」と1000円を下さった。親父さんを入れて4名で歩いていたので分配した。さっき来た道を引き返した。国道ではなく旧道を歩く。旧道は狭く、車の往来が激しくかえって国道の歩道をあるいた方が楽であるが、街の様子を見たいのであえて旧道を歩いた。他のお寺は、結構小振りであった。土曜日ということもありバスツア−の人が多く、相当ざわついていた。64番札所には徳川のマ−クがあった。森田さんも、雨ありお接待ありと一応の経験が出来たと思う。昨日あった岡野さんが、近所なので宿まで来てくれた。近所の喫茶店に行き、今後の情報を聞いた。雲辺寺の登り方も聞いた。手前から登る楽な道があるという。手前の三角寺のすばらしさも聞いた。今後メ−ルで問い合わせをすることにしてお願いした。下井さんが紹介して下さった、新居浜の大師堂の方に電話したが、難しいそうなので少しだけ時間をとって行くことにした。長いは避けようと思った。孝太郎君も行くと言っているので好都合。岡野さんは行けそうにないので、よければ後日紹介することにした。森田家族とは、喫茶店で別れた。宇治までだいぶ走って帰らねばならない。湯ノ谷温泉は、昔の湯治場の感覚。泉質は最高と聞いていた。小さな湯船に溢れるように人がいる。なかなか風情があっていい。サウナもやたらに暑い。出てからの牛乳がおいしい。歩き遍路は我々3名以外に、女性が1人泊まっていた。60歳くらい、なかなか勇気ある人だと思った。

宿泊地 湯ノ谷温泉 〒793 西条市州之内1193湯ノ谷 TEL 0897−55−2135


 39日目 33119歩 

2003年6月16日(月) 

久しぶりに27km歩いた。急いで歩き出来るだけ午前中に距離を稼ぐ方法をとった。小雨の為、ポンチョをつけたりはずしたりと時間を食った。途中、国道でクラクションが鳴るので、びっくりして見ると岡野さんが事務服を着て手を振っていた。孝太郎君には、車を停めて話しをすることが出来たらしく、後でお接待を預かったと500円を手渡された。11時頃東田大師堂に着く。下井さんの紹介の人。電話の印象とは全く違い親切な夫婦が向かえて下さった。石碑や札の研究をしていて、なかなか詳しい。早稲田の非常勤講師もしているとのこと。つい長居をしてしまった。当初は、30分位で失礼しようと言っていたが、余りにも居心地がよく3時間も滞在してしまった。雨が降っているので写真はなかなか撮れなかった。延々と旧道国道を歩いて、やっと宿を探し当てた。親父さんはすでに到着して、玄関で待っていた。孝太郎君は番外に寄っていたのでまだ着いていなかった。この旅館は、料亭のようで、座敷が今夜の寝床となった。

宿泊地 蔦廻家旅館 〒799-07 宇摩郡土居町土居 TEL 0896−74−2025


 40日目 21440歩

2003年6月17日(火)曇り

今日は休養日と決めた。12km程度の道のり。9時に出発して12時頃には宿に着いた。途中バス停で婦人からお接待にと120円頂いた。雲辺寺の事を聞いたが、みんなロ−プウェで行くので、歩くことについての情報は得られなかった。途中、埼玉の若者に会い、話しをしながら歩いた。なかなか精悍な顔付きである。ゆったりした時間。彼は、30km以上歩いて行くらしい。私たちの明日の宿までということになる。三角寺というお寺があり、この山に午後登らないで、朝登る予定で、今日の距離を短くした。他の人は無理をして行くらしい。雲辺寺を控えて休養。遍路道は旧道だったので、街の歴史を感じながら歩いた。宿は、工事関係者の常宿だった。ビジネスホテルである。こぎれいでゆったり出来た。昼食は、ホテルを出て駅前まで歩いて行き、ピザの店に孝太郎君と入り食べた。こんな街にしてはと言った味の店だった。宿では、ボ−としながら明日に備える。スタジオから連絡があり、現実にもどる。

宿泊地 ろんどん荘旅館 〒799-04 伊予三島市中央5丁目3−46 TEL 0896−23−2126