空界
四国八十八ヶ所歩き遍路の記憶
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第三章
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15日目 30753歩
2003年5月23日(金)
札所 31番 五台山 竹林寺 32番 八葉山 禅師峰寺 33番 高福山 雪蹊寺
暑い一日だった。高知市内を通過して行く。ホテルを出発する。ここで、連泊して休養をとる人が多い。私は、休むと身体が動かなくなる可能性があるので、前に進むことにした。今まで一緒旅をしていた人たちと、多く離ればなれになった。金沢さん落合さんそして女の子二人ずれ。今までは宿が違っても、お寺でたいてい会うことが出来たが、ここからはそれが無くなる。世田谷の柴田さん岸本親子は出発しので、今後しばらくは一緒に旅することになりそう。といっても宿が一緒かお寺で顔を会わすことになる。道中は、相変わらず別々。金沢さんは、最初の頃から一緒だったので淋しく思うが、人それぞれのぺ−スがあるので仕方ない。31番札所竹林寺は、京都を思わせる風情があった。暑い中川沿いを越え、峠を越えていくと、山の中腹に32番禅師峰寺がった。急勾配の遍路道を登って行くとあった。足の悪い年輩の女性が、腰を曲げながら登って行く姿に惹かれて、一度下って納経を済ませていた私は、再度階段を上り本堂まで行き写真を撮った。32番から33番札所雪蹊寺の道中が大変苦しかった。バイパスを通過して行ったが、太陽がじりじり照らす中、日陰が無くひたすら真っ直ぐな道を歩くしかなかった。普通は、渡し船があり、船に乗って行くのだが、船の故障で大橋を歩いて渡らなければならなく、この道が大きな負担になった。桂浜も通過したが、以前来たことがあるのでパスして、ひたすら33番札所を目指した。橋を渡るとお遍路道は、旧道に入った。古い街並みを海岸線に沿って歩く。まわりには誰も歩いていないので不安であった。何回か道を聞く。遍路道ではなく、地元の人は近道を教えてくれる。が、遍路マ−クがないのでその先の道を見失う。途中造船所の敷地のそばを歩いていて、本当に迷子になり会社に飛び込み道を聞いた。親切に組合長さんと事務の女性の方が対応して下さり、冷たいお茶とお菓子で、お接待して下さった。地図も頂きいざ出発しようかと思っていると、岸本さんのお父さんが表の道を迷って歩いていたので、呼び止め一緒にお接待を受けた。この辺から、岸本親子との旅が始まったような気がする。その後も道を迷いながら、古い造船町を歩いて33番を目指した。途中、懐かしい構えの食堂があったので、入り遅い昼食にざるそばを食べた。店内には、モノクロのヘップバ−ンの写真がべたべたと貼っていた。地元の人がドンドン入って来て食事をしていた。33番札所の前に、今晩の宿があった。お参りをして納経所に行き、納経をしてもらうときに、なかなか個性的な風貌の人が書いて下さったので、思わずカメラを向けると、バタと窓を閉められた。「気が散るから撮るな」「すいません」とあっさりカメラを引きあげて話しを聞かされた。広島にも居たらしい。宿について女将に聞いたが、かなりの変人の寺守さんらしい。宿は、古い宿で部屋もあっけらかんとしたものだった。旅の風情にはちょうどいい。有名な民宿らしい。
宿泊地 民宿 高知屋 〒781-02 高知市長浜658 TEL 0888−41−3074
16日目 50751歩
2003年5月24日(土)
札所 34番 本尾山 種間寺 35番 医王山 清滝寺 36番 独鈷山 青龍寺
地図が古いためずいぶん迷っての到着だった。バイパスなどが出来ていて、古い地図を持つお遍路さんは苦労していた。地元の人は、私の持っている地図を見せても分からないと、別の道の説明を始める。小高い山の上に35番札所の清龍寺はあった。かなりの急勾配を登って行った。お寺の中で、お店を出しているおばさんに、お接待ということで、小夏をもらう。あとからきた岸本さんの息子にも分けてあげる。この寺を下山して、民宿汐浜荘に向かう。みんなの意見では、荷物を民宿において、一気に36番札所青龍寺に行った方が、次の日が楽だという意見。この寺は、引き返さなくてはならないので、行くことにした。しかし、なかなかつかない。海辺に出ても、遙か彼方に見える橋を渡って行かなくてならない。コンビニはいって聞くが、「車で5分か10分くらい」という回答がもどって来た。10kmというのは、歩く遍路さんにとっては、2時間以上を意味する。往復4時間以上かかることになる。荷物を宿に預けず、一気に橋を渡り青龍寺に向かう。海岸線を延々と歩く。橋桁が低く、高さ100mはあるのではないかと思う。腰あたりから上には、柵もないので、強風がきたらそのまま海に真っ逆様に落ちる恐怖と戦いながら渡った。青龍寺は風情もありなかな良かった。朝青龍の出身高校もありみんなの自慢の種のようだ。青龍寺では、昨日から一緒の宿だった、女性お遍路さんを撮影した。なかなか精悍な顔つきでまさしくイメ−ジ通りのお遍路さんと言った感じだったので是非にとお願いした。連絡先は聞いておいた。
宿泊地 民宿 汐浜荘 〒781-11 土佐市宇佐町汐浜 TEL 0888−56−0323
17日目 37941歩
2003年5月25日(日)
出発前 汐浜荘の夫婦を宿先で撮る。牛乳が欲しくなりコンビニに入ったがなくて、となりの店にあると教えてもらう。小さな地元のマ−ケット。入ると数人のお客さんがいた。「瓶の牛乳が欲しいのですが。」「あるよ、どこからきたの」と言うところから会話が始まった。お店にいた年輩の男性が「この牛乳は、わしのお接待じゃ」と言って下さった。せっかくなので記念写真を撮り、後日送る約束をした。「旅の途中で、しかもいつ結願出来るかも分からないので、承知下さい。」と了解をもらった。畑の仕事をしていた女性も撮らせてもらった。カボチャがあるから、お接待に持っていきなさいと言われたが、さすがに重いので丁重にご辞退した。旅の仲間になった、柴田さんが追いついた。海が見える高台に着いた。まもなく宿に着く。海の方を見ると、小さな二つの島が並んでいた。その先に、雨足が海上を進んでいた。もう少し先で写真を撮ろうと思い進んだが、急に雨がひどくなり、急いで軒下で雨したくをしてカメラを持ち写真を撮りに、海が見えるところに行ったが、すでに島は雨の中にかすみ雨足も無くなっていた。残念で仕方なかった。躊躇したことが、頭の中に残像として残った。宿には、まもなく着いた。宿泊は、柴田さんと二人だけ。岸本親子は、別の宿をとっていた。道路を挟んで向いの民宿だった。小料理屋さんだったので、料理は美味しいかったが、お店にとっては、効率の悪いお客だったろうと想像される。
宿泊地 岬旅館 〒785 須崎市安和918−1 TEL 0889−42−8355
18日目 36200歩
2003年5月26日(月)
札所 37番 藤井山 岩本寺
1日中だらだらと車道の急勾配の道を登ったような気がする。そえみず遍路道という有名な道があったが、膝の調子が悪いことを理由に車道を行くことにした。分かれ道まで一緒に行ったが、自動車修理工場でトイレを借りている間に、離れ離れになり、柴田さん孝太郎君は遍路道を行った。結果として、私と親父さんは車道を行った。本当にひたすら国道の脇の歩道を真っ直ぐ坂を登って行った。何キロも歩いた。途中合流したらしい。峠の喫茶店でコ−ヒ−を飲みながら休んでいると、ママさんがふたりが30分ほど前に、前を通過したと教えてくれた。急いで追いかける。多分、追いつくことはないと思いつつ。結構苦痛。お寺に着きお参りを済ませて、納経所に行くと尼さんが書いていたが「誰かに似ているね」と言われた。そういわれても困るな。「誰ですか」と聞くが判らずじまい。お寺では、素泊まりだけならOKと聞いていたが、着くってくれることになった。柴田さんは、すでにコンビニで夕食の品物を買っていた。広いゆったりした宿坊だった。みんな親切で家族的だった。お寺の近くに気になる喫茶店があったので、コンビニに買い物に行ったついでに入り、しばらく雰囲気に浸っていた。久しぶりの本格的なコ−ヒ−を飲んだような気がする。今日は、私の54歳の誕生日だが、誰も知らないので1人コ−ヒ−で乾杯。
宿泊地 藤井山岩本寺 〒786 高岡市窪川町茂串3−13 TEL 08802−2−0376
19日目 17290歩
2003年5月27日(火)
本日は、休養日として距離を歩かないことにした。10km先に佐賀温泉があるのでのんびりしようということにした。岩本寺の天井が面白いというので、朝お寺に頼んで見せてもらった。照明がつくと、天井には一マスごとにあらゆる種類の絵がはめ込まれていた。数百枚はあるだろう。およそお寺にはそぐわない、色っぽい絵も数多くあった。一般の人たちが思い思いに書いたらしい。出発前に宿坊の方々にお世話になったので記念写真を撮りたいと申し出た。本当は、素泊まりならいいからということだったが、突如は夕食を昨夜も作って下さった。お寺の奥さんも出てこられて一緒に撮った。お接待ということで、岸本親子と私に数珠を下さった。青・緑・黄色であった。私は迷わず黄色を頂いた。あとでいくらか調べたら、2500円もしていた。ありがたく頂いた。8時過ぎに岩本寺を出発したが、昼過ぎには佐賀温泉に着いてしまった。ひなびた温泉をイメ−ジしていたが、道の駅の温泉のようなところで、少しがっかりしたが、とにかく温泉に入ることにした。泉質はなかなかいい。近所の人たちも多く来ている。足の爪の治療もあるので、3回も入る。ここで食べたカレ−うどんはものすごい量で、夕食が入らないほどだった。
宿泊地 佐賀温泉 〒789−17 幡多郡佐賀町拳の川 TEL 0880−55−7011
20日目 24550歩
2003年5月28日(水)
学校の登校時間にあたり、女の子がお花を持って雨の中を登校している姿を撮影した。イメ−ジ通りであった。出発して佐賀温泉に行くまでに逆打ちをしているお遍路さんにあった。13年間回っているそうだ。以前お接待で頂いた1000円をお接待として渡した。2番札所で、お寺を掃除している女性に会ったら、このことを伝えて下さいとお願いした。途中喫茶店に入り休憩する。こぎれいな店だった。感じるに、海岸沿いの喫茶店レストランの閉店が目立つ。室戸岬あたりから気になるほど多く、バブルの後遺症なのか、景気の後退なのか分からない。歩いていて淋しくなるし、食事の都合がつかない。43番まで回るお遍路さんに会う。佐賀温泉を出発してきたらしい。中村市内までがんばって行くとのこと。私は中村市内の手前に宿をとった。相対的に距離が短く、昼過ぎには着いてしまう傾向がある。午後から2時間程度、距離にして10kmはがんばれるかもしれない。写真を撮るためには、これぐらいがいいのだが、雨が降ると被写体が無くなるので、時間が余ってしまう。うすき旅館には、13時についた。古い旅館だった。到着30分前に宿のご主人から電話があった。「今、どこにいますか?」場所を言うとまもなく着くからと言われた。町中に入り、探し当てて旅館に着いた。ご主人は、玄関先に座って待っていた。多分、昔は繁盛した遍路宿ではないだろうか。85歳と言っていた。早く着いたことをわびた。「あんたは、私の思った通りの人だった。」と言われた。それ以上は、追求はしなかった。お客さまは1人のようで、少しうらさびしい気分になったが、今までのざわざわした感じはなく、静かに一晩を過ごすことが出来た。宿の夫婦は高齢のなので、何も出来ないがゆっくりして下さいと言われた。布団の場所やトイレの場所。洗濯機のある場所も教えてもらった。洗濯機の使用料も設定されていたが、無料にして下さった。夕食は、この旅で初めて、肉料理が出た。部屋まで持って来て下さり、食事中そばに座って話しをして下さった。今後の旅館の取り方など、世間話にまで及んだ。「私は、視力も衰えたが、人を見る目はあるつもりじゃ。あんたはいい目をしている。」と誉め言葉を下さった。子供さんは、アメリカに行き、この旅館の前でホテルをしているらしい。そこから肉料理を運んで来たらしい。明朝、6時30分に出発したいと告げると、「朝食はないので、今夜精算をしておいてもらい、明朝は自由に玄関をあけて出発して下さい。」とのことでした。「明日は、早いので起きれないので、今夜、これでお別れですから失礼します。」と部屋を去って行かれました。香山さんから電話があり同行の意向が来ました。杉川さんに電話をして旬遊の創刊号の発売日が、6月24日に決定したことを聞きました。河尻さんからも電話があり、広島で手術後のリハビリを兼ねて、三段峡や寂地峡へトレッキングと撮影に行っていることを聞きました。宿泊先の予約も順調に行った。距離感が難しい。
宿泊先 うすき旅館 〒789-19 幡多郡大方町入野早咲3324 TEL 0880−35−5010
21日目 42122歩
2003年5月29日(木)
朝、出発するときは、ちゃんと玄関と表のゲ−トも空いていました。奥さんが準備して下さったのでしょう。病気だと聞いていました。こんな旅館もあるのだなと思いながら出発しました。いよいよ四万十川が見れる距離に来た。中村市。多くの人は、ひとがんばりして、昨夜のうちに中村市の駅前のビジネスホテル街に宿泊したはず。私は、足摺岬への道から外れていたので、あえて距離を稼がず手前で宿泊した。中村市までは、10kmあまりあった。町中に入るとよくあることだが、道に迷う。今回も、道に迷ってしまい最短距離で中村市を抜けることが出来なかった。四万十川は思ったほどの川ではなかった。台風が近づいて来ているせいもあり天候が不安定。川を渡るときに大雨に遭い、雨具をつけて渡る羽目になった。晴れたり降ったりと装備が大変だった。渡った頃から、今度は風が強くなり雨具をはずして歩き出した。民宿までは15km位あった。奈良の大川さんが追いついていた。昨夜岸本親子と同じ宿だったらしい。私の泊まった宿より少し手前30分位の民宿だったらしい。人気の民宿らしい。大川さんは、奈良から来た女性で当初は、小倉から来ていた波多野さんと一緒に歩いていたが、スピ−ドが会わないと別れてしまったらしい。途中、芥川賞をねらう徳島の若者にあう。明るい精悍な青年。野宿をしながら旅をしているとのこと。
宿泊地 民宿 久百々(くもも) 〒789-02 土佐清水市久百々120 TEL 08808−4−1664
22日目 36014歩
2003年5月30(金)
札所 38番 蹉陀山 金剛福寺
思ったよりも距離があった。6時過ぎに久百々を出発。お接待におむすびを持たせてくれた。台風の為、外は風と雨が凄い。地元の人は、いつものことで驚いていない。「がんばってらっしゃい」てなもんだ。途中歩けない程の風が吹き付けてくる。何度か引き返そうかと思った。しかし、ものは考えようで、台風の日に、しかも台風の直撃するであろう足摺岬に向かって歩くチャンスは、一生に一度しかないだろうと想い。元就が言った「逆境こそ好機」を思い出してがんばった。同じ宿を5時に出発して、足摺岬でお参りしてから再び、久百々に帰って来る女性がいる。奈良の大川さん。台風の中歩く距離44km。さすがにそこまでの脚力に自身がないので、予定通り足摺で、台風の直撃を受けることにした。今夜が上陸予定。生活の知恵とはよく言ったもので、遍路道(旧道)のまわりには、防風林が植えてあるので、林の中を歩いている間は、全く風雨の心配はなかった。景色は見ることは出来なかったが、それほど台風の恐怖は感じなかった。逆に車道にでると、景色はいいかわりに風の直撃受けてしまい、歩いて前に進むこともままならない。いくつかの街を通過したが、同様に風雨は強い。海岸線の遍路道は、到底無理なので県道を歩いた、といっても車は、べつの車道を走っているので、歩行者天国のようなもの。しかし、お店というものは全くなく、水分の補給に気をつけた。途中の遍路道で「まむし」を見た。最初、おおきなミミズかと思ったが、50cm程のアスファルトの道の真ん中に、とぐろを巻いていた。茶色の短い花柄のような模様のある蛇だった。雨も降っていたので、思わずまたいで行った。すぐにあった、近所の民宿の女将さんに道を聞いたとき、まむしの話しをしたら驚いてた。気持ちが悪いのでしばらく車道を歩くことにした。そこで孝太郎君に会ったので、しばらく一緒に歩いたが、別の道を行くというので別れた。彼は、元気がいいので番外のお寺も見つけては納経お参りをしている。途中、足摺岬の手前歩いて1時間程のところに、お遍路さん用の休憩所があったが雨の為ベンチ等はずぶぬれになっていた。蚊をさけてしばらく休憩して再び足摺岬に向かう。30分程歩いたところで、大川さんが参拝をしませて、折り返して帰り始めていた。「早い。」荷物を民宿においているので、身軽なせいもある。これで、私は、大川さんに1日遅れで旅をすることになった。この道は行きっぱなしではなく、往復しなくてはならない道のりである。今回の旅で初めての経験。札所で岸本のお父さんに会った。道を間違えてスカイラインに入り、ご接待で車に乗せてらったらしい。道を間違えるともどるのに大変、台風でありしかたのないことかと思った。一緒にお参りを済ませて、足摺岬に台風の様子を見に行った。ものすごい風で顔を出すと、吹き飛ばされそうな状態だった。今夜が上陸予定。国民宿舎は、今までになく料金が倍近くの12000円。不満ではあったが、一度くらいはいいかと決めた。国民宿舎は、ほとんどが景色のいい場所なので、幹線道路から離れている。宿は、岬から2km山の上にあった。昔は、そばにあったらしいが、老朽化してしまい以前発見された温泉と統合して、新しくリゾ−トホテルを作ったらしい。そのため場所が、離れたがわたしの持っている地図が古く、誤解を招いた。ホテルの人は気持ちよく送迎をしてくれた。料金だけのことは、あり建物も立派で満足した。台風の中露天風呂に入るのも、気持ち良かった。山の上、うねり狂う森の木々のうねりを見ながら、なま暖かい風を身体に感じながら風呂に入る。しばらく楽しんだ。部屋は、ダブルの広々とした部屋。のんびりと台風をやりすごした。
ひろめ市場 http://www.hirome.co.jp/shop_inf.htm
宿泊地 国民宿舎あしずり 〒787-03 土佐清水市足摺岬1349 TEL 08808−−0301
23日目 35459歩
2003年5月31日(土)
台風の通過を待ってホテルを8時に出発。建物がしっかりしていたので、台風の通過は全く気がつかなかった。ジョン万次郎の像まで送ってもらい、そこからスタ−ト。昨日迎えに来てもらった場所。旧国民宿舎のあった場所。昨日来た道をもどることになる。林を抜けていくと、老夫婦が手をつないで坂を下って来た。黒沢映画の1シ−ンを見ている気分になった。思わずカメラを取り出したが、すでに遅く二人は、林の向こうに去って行った。残念。来た道を帰るのは抵抗があったが、別の道を通過すると相当お回りをすることになるので、最終的には、同じ道を選んだ。岸本の息子はこの方法がいやで、昨日、わざわざ大回りをして別の道を来た。ただ、昨日は台風。今日は小雨晴れの天候なので、気分と景色が違っていた。また、1日遅れの人たちとも会うことが出来る。案の定、北海道の落合さんや大阪の山岳部のおじさんに会うことが出来た。他の人の消息も聞くことが出来た。最初に一緒だった茅ヶ崎の金沢さんは、岩本寺の時点で、膝を痛めて東京に帰ったらしい。悔しい思いで帰ったのだろうと察する。私も膝に痛みがあったので気をつけようと思う。久百々には女性が二人泊まっているらしい。足摺岬からもどった大川さんと足摺岬に向かう波多野さんが再び一緒になったらしい。みんな久百々にもどるらしいが、私はもう少し先に進んでおきたかったので、1時間程歩いて先の安宿旅館に泊まることにしていた。結局このことが、女性二人に会うチャンスを失った。久百々では、早く着いたら、その日のうちに歩けるだけ歩いておいて、迎えに来てくれるらしい。そうして次の日に、その場所まで送ってくれるので、距離が相当稼げるらしい。私は、そのことがいやだったので、自分の足で歩いた。安宿旅館の手前に、39番札所に行く分かれ道がある。安宿旅館は、少し37番にもどることになる。分かれ道のベンチに老女が座っていた。休憩をしながら写真を撮らせてもらった。ベンチに座れと誘われた。「子供はいるのか」と聞かれる。耳が遠いらしく答えても聞こえていないらしい。「どうしてここに座っているのか」と聞いたが「遊びに来ている」と答えた。途中の車道で、2日前に出会った、芥川賞ねらいの青年にあった。昨日私が休んだ休憩所に泊まり、台風を迎えたらしい。どうやってふっきっさらしの宿をとったのだろうか?別の休憩所で会った人は、現在、1周半回っているとのこと、57日目だと言っていた。托鉢をしながら暮らしているとのこと。明日は、日曜日なので足摺岬の寺の前で托鉢をするらしい。早めに着いたので、安宿で昼食とスリ氷を頼んで食べた。ちょっと変わった店の人たちで、慣れているのか変人なのかよく分からなかった。宿泊している人は、さすがに足摺岬に行く人帰った人と倍の人数を感じた。事務的な処理には少し閉口。なんとなくぎすぎすしていた。宿泊している人は、今までとは全く顔ぶれが違い、夕食も面白くなかった。似たもの同士で宿を選んでいることに気がついた。久百々のような和気あいあいとした雰囲気がない。久百々が人気民宿である理由が分かった。
宿泊地 旅館安宿 〒787-02 土佐清水市下ノ加江276−1 TEL 08808−4−0567