空界
四国八十八ヶ所歩き遍路の記憶
INDEX版
BACK
第二章
7日目 41252歩
2003年5月15日(木)
札所 22番 白水山 平等寺 23番 医王山 薬王寺
朝、朝食の時、女将さんが「ごめんなさい、昨夜、藤原さんに電話が入ったですが、宿泊していないと言ってしまいました。」携帯が届かないので、そのまま放置していた。途中、かなり深い山の中で、突然携帯が鳴った。東京の娘からであった。父さんが行方不明になったので大騒ぎになっている。どこの宿にも泊まってないので、山中で倒れているのではないかと言うことになり、警察に捜索願をだすと言っている。」ということだった。よく、こんな山中に携帯が届いたものだが、無事であることをみんなに伝えるように頼んだ。携帯の会社によって届きかたが違うようだ。都合で立ち止まると、どんどん抜かれていくので、立ち止まりにくいのが実状であろう。遍路道は、細く深い森だった。山の中から海岸線に出てきた。やはり雨。なんとなく、お遍路さんも疲れているのか、ほっとしているのか雰囲気が変わって来た。山岳の遍路道を歩いて平地に着いた感じ。しかし、標高は110m。22番札所平等寺。バスお遍路さんも多い。この札所は、階段にお賽銭の1円5円玉が散乱状態でおいてあった。不思議な感じがしました。ここから薬王寺まで、国道をひたすら20km歩く。軽い下り。23番札所の薬王寺は格式が高いのか、威厳のようなものを感じた。薬王寺の宿坊に宿泊したかったが、満室と言われて断られた。仕方ないので、1km離れた国民宿舎にした。少しもどるので迷ったが歩いて行った。国民宿舎のある場所は、ウミガメの産卵地で有名らしい。波が高く海岸でしばらく写真を撮った。砂浜である。
宿泊地 国民宿舎 うみがめ荘 〒779-23 海部郡日和佐町大浜海岸 TEL 08847−7−1166
8日目 27401歩
2003年5月16日(金)
奈良の大川さんと小倉の波多野さん。二人連れの若い女性たち。頼んで撮影を開始した。当初はいやがっていたが了解してくれた。ここで初めてお接待所というものに出くわした。道路のそばの広場に、テントが張ってあり、そこにお遍路さんが、数人いて情報交換をしていた。交代でお接待をしている。ちょうどいい場所にあり、疲れて休もうかと思う処にあるのは、ありがたかった。岸本親子や井手さんや落合さんもいる。距離をとってなかったので、ゆっくり歩いても、昼過ぎには民宿に到着した。久しぶりに1人で、大きな部屋で昼寝をすることが出来た。宿のご主人は、話し好きで長い間、部屋に来てお遍路さんの事などを話してくれた。行き倒れ遍路さんのことも聞いた。歴史の中に埋もれてしまっているが、先祖にお遍路に行ったきり帰って来なかったと、連絡を受けた子孫がお参りに来ることもあるそうだ。
接待所 海部郡牟岐町中村字奥前34−3 長谷川 満枝(82歳)
宿泊所 民宿 内妻荘 〒775 海部郡牟岐町内妻丸山3 TEL 08847−2−1674
9日目 21803歩
2003年5月17日(土)
23番札所から24番札所までの間は、86kmありお寺はない。ひたすら海岸線を歩くだけ。途中番外の鯖大師に立ち寄りお参りをする。まわりには誰も歩いていない。お接待所があった。ここも有名な場所らしい。金沢さん大川さん波多野さんが立ち寄った。お菓子などをだしてもらって、しばらくくつろいだ。かぶっている傘の具合が悪いというと、金沢さんが「私は、新潟の出身で昔は、よく作っていたからまかせなさい。」と言って、かぶりやすいように改造してくれた。今までは、ただはずれないようにひもを停めていたので、風が吹くとがたがた前後に揺れて飛んで行ってしまいそうだったが、これで安心して歩ける。室戸は風の強いところ助かった。二人の婦人が手厚い接待をして下さった。金沢さんの傘も、修理して下さった。みこと国民宿舎は国道から2kmも離れているので、国道まで送迎をしてもらった。2時過ぎにはついたが、融通が聞かなく部屋に入れてもらえなかった。温泉で泉質はなかなかよかった。民間営業なら持って繁盛するだろうにと思う。道の駅があるからと聞いていたが、見過ごしてしまった。バブルの時代のリゾ−トホテルに隠れて見えなかった。このホテルも第3セクタ−の経営らしい。みこと荘の景色は、山の頂上にあり抜群によかった。洗濯機等がないので、歩き遍路さんには不便である。
接待所 徳島県海部郡海南町四方原 (阿波海南駅付近) 野村カオリ 丸本益乃
宿泊地 みこと荘国民宿舎 〒775-02 海部郡宍喰町古目84−14 TEL 08847−6−3150
10日目 35282歩
2003年5月18日(日) 晴れ
朝、昨日迎えに来てくれた場所まで送ってもらった。単調な海岸線をひたすら歩く。今までは、それでも街並みがあったが、自販機すら無いような無人の海岸線が続く。太平洋ではあるが、佐渡の海を思い出させてくれる。歩き遍路さんもこのあたりになると、減ってくる。何のへんてつもない海岸線をひたすら3泊4日とか4泊5日で歩く。早い人は、2泊3日で行くらしい。私は、そんな体力がないので、3泊4日で行くことにしている。民宿の尾崎荘は、こじんまりとした夏の海岸にある民宿といった風情。美人女将風の女性が切りもりしている。部屋は3畳程度。布団を引くと狭い。距離を歩いていないので、たいてい昼過ぎについてしまう。もう少し長めにしたほうがいいのかと考え出す。いつも一緒になる金沢さんは、もっとのんびりと歩いてくるので、切迫した気持ちにはなれない。早い人は15km位先の民宿に泊まっているはずだ。2組の夫婦が同じ日に宿泊していた。歩くぺ−スの配分が大変だろうと思う。進行方向には、夫婦岩が雨にかすんで見えている。
民宿 ロッジ尾崎 〒781-72 室戸市佐喜浜町尾崎708−3 TEL 08872−7−2065
11日目 36341歩
2003年5月19日(月)
札所 24番 室戸山 最御崎寺 25番 宝珠山 津照寺 26番 龍頭山 金剛頂寺
雨の中、夫婦岩見物して、室戸岬を目指してひたすら歩く。雨が降る。やっと室戸に着いたが24番札所まで山を登って行かなくてはならない、これが結構急な階段で相当の力を失った。お寺はなかなか古く質素でいい感じではあった。がここからまた平地に向かって車道を九十九折りで一気に下って行く。眼下には室戸市内が見えた。ここからは旧道らしき道を歩いた。左手には、バイパスのような大きな道があったが、お遍路道に指定されている旧道を歩いた。遍路道の方が、その土地の文化が見える。小走りに抜き去った、お遍路さんがいた。津照寺は階段が印象に残った。今夜の宿でもある金剛頂寺への道は、林の中を抜けていく険しい遍路道だった。昼間なのに薄暗く、鳥肌の立つような場所もあったので、塩を少しおいていくことにした。鳥肌が立つほどの林でした。宿坊は、なかなかきれいなところで、二人の相部屋ではあったが気持ちのいい夜を過ごすことが出来ました。
宿泊地 龍頭山金剛頂寺(宿坊) 〒781-71 室戸市元崎山乙523 TEL 08872−2−0378
12日目 48185歩
2003年5月20日(火)
札所 27番 竹林山 神峰寺
朝、最短距離の道を聞いて山を下って行った。遍路道で道は細く、ぬかるみ急勾配を滑るように歩いた。海岸線に着くと、今度は海岸線を歩く。海岸線にある堤防の上を歩いて行った。国道では、堤防が高すぎて、海が見えない。バス停で、ピアスをした学生にあったので写真を撮った。なかなか地図通り着かないので、ストレスがたまったがなんとか着いた。予定よりは宿には早めに着いたが、これから札所に登った方がいいと、女将さんに言われて荷物を最小限にして登った。この山が結構大変な山で消耗した。急勾配の坂道を1時間以上登ることになった。予定では、明日の朝1番で登る予定にしていたので、ゆっくり到着して登らない人が出た。ここで今後の動きに微妙に影響が出た。若い女性の大川・波多野の両人もがんばって登って来た、足の悪い岸本親子も登って来た。途中で、自転車で回っているお遍路さんにあった。登りが大変らしい。苦戦していた。歩きだったが、膝を痛めて自転車に変更して旅をしているとのこと。予想をしていなかった山なので疲れがストレ−トにきた。登り下りで2時間半。お寺に入ってからの階段もかなりあった。山岳にあるお寺なので、当たり前のことではある。落合さん金沢さん柴田さんも同宿であった。そのほか、数名いたが、名前を覚えるまでにはいかなかった。頑固な柴田さんは、夕食の座る場所が気に入らないと言って、女将さんを困られた。どうして、そこまで意地をはるのか判らないが「ここに座れないのなら、夕食はいらない。」とまで言った。夕食後は、足の指の手入れに時間がかかった。
宿泊地 浜吉旅館 〒781-61 安芸郡安田町唐ノ浜 TEL 08873−8−6589
13日目 42032歩
2003年5月21日(水)
サイクリングロ−ドがあったが、単調で人に会うこともないので国道に出た。道は歩きにくいが街並みが見れて面白い。遍路道の途中にトンネルがあってそこで、遍路姿の人の逆光写真を撮りたかったが、ついに誰も来なくあきらめた。残念なので通行人の人に頼んで私を撮ってもらった。その人は、広島に知り合いがいるからという話しになったが、刑務所仲間で、名前を言って知っているかと聞かれたが分かるはずもなく、そのうちサイクリングの若者たちが来たので一緒に記念写真を撮った。大きな鯉のぼりと大漁旗がなびいていた。この地方では、男の子が産まれると、里の奥さんの里が用意してお祝いをする習慣があるようで、このことは今後各地でも見られた。なかなか勇壮である。旅館は、かなり大きな建物で、別館に泊まったが、お風呂もゆったりとしていた。食事は、街道に面した食堂で食べた。岸本の親父さんが、夕方ぼろぼろになって宿に着く姿が部屋から見えた。4組位のお遍路さんがいた。
宿泊地 旅館 かとり 〒781-52 香美郡野市町東野ネの丸 TEL 08875−5−3133
14日目 36969歩
2003年5月22日(木)
札所 28番 法界山 大日寺 29番 摩尼山 国分寺 30番 百々山 善楽寺
小路を抜けて28番に向かう。大川さん波多野さんたちともあう。結局トンネルまでは、昨日来ていなかったらしい。その分、朝早く宿を出たらしい。大日寺で、最近一緒になる人たちと一緒になった。金沢さん落合さんもいた。二人は神峰寺に着いたのが遅く、結局翌日登った為、私とは次の宿が違ったが、追いついてきた。なかんかみんなで一緒になることはないので、記念写真を撮り、お互いの身分や連絡先を教えあった。大きな川を渡った。鮎を釣る人たちがいた。しばらく行くと、遍路無料お接待所があった。みんなよく情報を知っている。そこでしばらく休んだが、スピ−ドが違うので、バラバラになっていく。29番国分寺では、若い女性軍や孝太郎君や柴田さんに再び会う、お寺を出てしばらくすると、柴田さんが一番身近にいたが、いつの間にかはぐれてしまった。遍路マ−クもない。道を聞いた通りに進むが、後方を見てもまったくお遍路さんの姿がない。やっとあったお店に入って聞くと道を間違っているとのこと、このまま進んでも着けるが大回りをして30番札所に着くことになる。もどるのは、来すぎている。仕方ないので、前に進んだ。「間違えて聞きに来るお遍路さんは多い。」とお店の人に言われた。どうも、販路マ−クを見落としたらしい。30分ほどかかった、30番札所善楽寺に着いた。すでにみんなは、納経も済ませて出発するところだった。山越えの道があったらし。一山筋を間違えたことになる。宿までは、間違わないように柴田さんと行くことにした。さっき来た道をもどり、途中から川に沿って高知市内に入ると大きな建物があった。宿は、はじめてホテルに泊まったという実感。洗濯は、建物の外のコインランドリ−まで行かなくてはならなかったが、国民宿舎を思えば贅沢は言っておれない。
宿泊所 サンピア高知 〒780 高知市高須155 TEL 0888−66−7000