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 空界

四国八十八ヶ所歩き遍路の記憶

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四国霊場八十八ヶ所 歩き遍路旅日記


2003年5月8日(木) 6210歩晴れ

宿泊地 旅館 かどや 〒779-02 鳴門市大麻町西山田8 tel 0886−89−0705

歩数 6210

広島駅から岡山経由マリンライナ−で高松へ。徳島の手前の板東下車

一番札所の前に宿をとる。

宿泊地 旅館 かどや 〒779-02 鳴門市大麻町西山田8 tel 0886−89−0705


1日目 23031歩

2003年5月9日(金)晴れ

札所 1 竺和山 霊山寺  2 日照山 極楽寺 3番 亀光山 金泉寺 4番 黒厳山 大日寺 

5番 無尽山 地蔵寺 

いよいよ第一歩。前日門前に宿泊して、必要なものを買い揃えたので、すんなりと1番札所に行くことが出来た。緊張の瞬間であった。もちろん作法も判らないので、お寺の方に聞いてお参りを始めた。般若心経もうまく言えない。まわりの人は、うまく読んでいるので声が小さくなる。納経所に行き、最初の納経をしてもらう、着ていた白衣にも朱印を押してもらう。門前を横を通過して、2番札所に向かう。歩き遍路さんの数は、かなりいた。1.2km程なので30分もかからずに着いた。なかなか腰が落ち着かない。2番札所で掃除をしていた婦人を撮影した。もちろん許可をもらった。話しをしていると、突然 錦・金・銀の札をお接待として下さった。併せて2000円の現金を渡された。代わりに88ヶ所を回って欲しいということだった。最初の出来事に、相当戸惑いながら住所を聞いて、写真を送ること約束した。田んぼのあぜ道がお遍路路になっていた。愛染院3番札所の奥の院。ここでも、婦人にご接待を受けた。1年玉20枚あった。住所を聞き後日写真を送ることにした。昼食に門前のうどん屋に入って食べた。コ−ヒ−がお接待と称してついていた。数名の歩き遍路がいた。宿には、思わぬほど早く到着。5番札所と6番札所の中間地点。1番に到着であった。距離が短すぎたのだろう。普通は、もっと行くらしい。のんびりと半日を過ごした。

宿泊地 民宿 寿食堂 〒771-13 板野郡上板町七条大道ノ上13−1 TEL 0886−94−2024


 2日目 35912歩

2003年5月10日(土)晴れ

札所 6番 温泉山 安楽寺 7番 光明山 十楽寺 8番 普明山 熊谷寺 9番 正覚山 法輪寺 

10番 得度山 切幡寺 11番 金剛山 藤井寺

6時30分には、出発。6番札所安楽寺には、まもなく着いた。7.8.9.10番札所は、短い距離の中にあった。少し歩くと着く。池に鯉のたくさんいる6番札所。竜宮城のような山門のある7番札所。山門に威厳のある8番札所。9番札所の法輪寺は、迷いながら到着、山門付近では、お遍路さんが托鉢をしていた。遠巻きで撮ってから、撮影許可を申し出たが断られた。そうだろうなと自分で思いながらあきらめた。自分がその立場なら断る。まだまだ、自分がお遍路さんになってないのがよく分かる。道もまだまだ要領が判らず、迷ってしまう。次の10番を目指す時、出口で方向を失う。はじめての山岳寺に遭遇。やっと到着したら、山門から階段が333段続く。中国の青城山のお寺を思い出す。着いていたロ−プウェイを世界遺産にしてもらうために、全部はずしてしまいお参りの人は、延々と階段を登らなくてはならない。お遍路さんが集まっていた。どんな人たちが歩いているのか判った。そろそろ顔なじみの人が出来てきた。下山して11番藤井寺に向かう。9.8kmの距離を歩く。これも初体験である。今まで、広島で1度だけ練習した長丁場が11km。これに匹敵する距離を歩くことになる。やはりつらい。河川敷のような場所を歩き、川を渡って行った。あたりには、歩き遍路さんが大勢した。こんな感じで最後まで行くのかなと、ふと思った。11番札所の藤井寺も山手にあった。まず、今日ここにお参りをしてから、明日の本格的な山岳道に挑戦することになる。休憩をしていたら、地元の若者と自転車で回っている若者に話しかかられた。自転車も登りが結構大変らしい。近くの宿が、一杯で断られたので、離れた駅前のビジネスホテルに予約をとったので、ここからタクシ−に乗ってホテルに向かった。1000円弱。ホテルには、洗濯機がないので、近所のコインランドリ−に行って洗濯・乾燥をした。時間がかかる。その間、マクドナルドに入り間食をする。ホテルは、駅前の高級ホテルだった。明日の朝食もコンビニで買い揃える。朝食は時間が遅いので、断ると代わりにお接待と言って、明日の山頂での昼食としておむすびを夜のうちに準備してくれた。不要な荷物があったので、宅配便で広島に送り返した。結構荷物の重量が気になる。風呂が部屋にあるので、のんびり出来た。靴が窮屈なので、テ−ピングンに気をつけた。6時にタクシ−の迎えを頼んでおいた。

宿泊地 セントラルホテル鴨島 〒776 麻植郡鴨島町鴨島471−2 TEL 0883−24−8989


 3日目 26682歩

2003年5月11日(日)

札所 12番 摩廬山 焼山寺

6時過ぎ、ホテルの玄関にタクシ−が迎えに来てくれた。昨日タクシ−に乗った場所にもどってもらう。途中、歩いて藤井寺まで行くお遍路さんを見かけた。雨がかなり降っていた。今日は、苦戦するだろうと思う。標高140m藤井寺から山登りが始まる。510m400m625m500m740m400m700mと13km余りの距離ではあるが雨の中をかなりの急勾配を4回登って行く。そして、3回下り。多分初めての経験ではあるが、苦しい道のりであった。残りの登りになると、ある種の悟りのようなものが出てきた。急いで息を切らすと辛い。ゆっくりと息を切らさないように歩幅を狭くして、自分の足の位置を確認して登って行くと、最初の登り道よりもはるかに苦しくない。痛み止めの薬を飲んだ時のように苦しさが少し減る。最後の坂道を登り、雨(霧)の中で本堂に向かうが、バスで来た人たちがうるさくしているので、気が散ってしまう。少し時間をずらすために近くのベンチで休んでいると、プロのカメラマンに写真を撮ってもいいかと聞かれた。ちょうどいい被写体に見えたのだろう、OKをすると2枚くらい撮って行ってしまった。お参りを済ませ、お店に入り温かいうどんを食べた。一緒に登って来た人たちは、お店の中で着替えをしていた。私は、ポンチョの中のシャツ等も雨と汗でびしゃびしゃになってしまい着替えのしようがなかった。ひたすら、今度は、体温でどこまで乾かせるかが問題となった。ズボンも雨対策を考えずに、カ−ボ−イスタイルの雨具にしたため、足下は問題なく防水してくれたが、肝心のお尻あたりは、何の防備もないので、途中濡れた岩場や木の根本にも腰をかけることが出来ず、濡れたまま立ち尽くすしかなかった。お寺のベンチやお店でやっと座ることが出来た。とにかく寒い。お店で、うどん・お茶で暖をとり、早々に下山を始めた。当初、焼山寺に宿泊する予定だったが、相部屋ということだったので、急遽4km下山した宿に変更した。かなり長い道をだらだらと標高300m下ったところに、なべ岩荘があった。宿の管理人は、少し変わった人だったが、いい人で親切にしてもらった。施設もなかなかでこの旅の宿のベスト5に入るのではないかと思う。ここで一緒に宿泊した人たちが、しばらく同じグル−プで旅することになった。まだ、名前までは覚えられない。とにかく寒い1日であった。この宿は、企業の保養施設だったようだ。

宿泊地 なべ岩荘  TEL 0886−77−0181


 4日目 38590歩

2003年5月12日(月) 晴れ

札所 13番 大栗山 大日寺 14番 盛寿山 常楽寺 15番 薬王山 国分寺(怖い場所があり、塩を置く)16番 光耀山 観音寺 17番 瑠璃山 井戸寺

なべ岩荘を6時30分出発。山の中を延々と歩いた。21.5km。深い山の中腹を歩く。途中、遍路道には木橋があり、しばらく待ってお遍路さんを入れて撮った。この辺になると、脚力の差が出てくる。早い人は、どんどん先に行ってします。抜かれるのは悔しいが、体力の差は仕方ない。そして、歩くことに神経を集中すると、写真が撮れないことに気がつく。1時間歩いて、10分休むようにする。靴を脱いで靴下も脱ぎ足を冷やす。遍路道は車が少ないので歩きやすい。人と出会うこともないので、写真を撮るには不都合。一部の人は、距離は長いが国道を通って13番札所大日寺に向かった人も数人した。郵便局とか買い物が出来るのが理由のひとつと、昨日の焼山寺がかなりきいている。道自体は車道で思ったより早く昼過ぎには13番札所大日寺に着いた。宿は目の前にあった。有名な場所なのか、どこかで見たことのあるお寺だった。ここで、柴田さん金沢さんの写真を意識して撮った。お遍路さんを撮り始めた。納経後宿に行ったが、宿の主人が、時間がもったいないので17番へ行き逆打ちで宿にもどるよう勧めてくれた。足の爪が裂けて、かなり損傷がひどいので、病院に連れていってもらうことになった。他の人たちは、17番付近に宿をとっていたので、逆打ちの私とは、途中で会った。17番札所井戸寺は朱門の派手な寺。観光バスがたくさんいる。荷物を宿に預けて身軽になったのは良かったが、予備のフィルムを持って来るのを忘れた。仕方ないので、しばらく歩いてカメラのキタムラに買いに行った。今回持参のトライXはなく、新型のT-MAXしかなかった。仕方ないのでT−MAXを3本買った。16番札所観音寺は、街中にある小さな札所。山門がかわいかったので撮る。バス遍路さんが多く、早々に引き上げた。道は、宿のご主人が来るまで送ってくれたときに聞いたので判った。金沢さんと16と15番の間で会った。15番札所国分寺は、さすがに貫禄のあるお寺であった。国分寺の手前のお寺は、怖かったので、持参の塩をおいてお参りをした。14番札所常楽寺は、札所が岩盤の上に立ててあるようで、荒々しさ出ていた。境内は岩盤が露出していた。相変わらず団体バスのお遍路さんが多く、静かに回ることが出来なかった。宿の主人は宇品の商店街の会長の山秀さんにそっくりなので親近感を覚えた。病院に連れていってもらったが、ご主人はいったん広島に帰ることを勧めた。私としては、壮行会までしてもらってるので、帰るわけにはいかず。何とか旅が続けられるよう先生にお願いして、薬をもらった。1日20kmくらいならなんとか歩けるだろうと言われた。薬は、茶色いイソジンという消毒薬。軟膏はリンデロソ−VG。これを毎日つけるよう言われた。爪はすでに死んでいるので、そのうちとれるだろうということだった。それからは、毎日30分くいかけて、爪の手入れをしながら旅をする事になった。宿の料理も立派で、食事に不安はなかった。ただ、トイレの心配がありしばらく便秘が続いたので、牛乳1リッタ−を買って来てもらい、一本一気に飲み干し、その晩は、トイレがよいとなった。奥さんの親切な方で、いろいろ心配してくださった。接待と言って地図も下さった。翌日、出発目に、お礼に記念写真を撮った。送る約束をした。ショ−ケンも宿泊したらしい。自慢話が出た。

宿泊地 名西旅館 〒779-31 徳島市一宮町西丁234 TEL 0886−44−0025


 5日目 27431歩

2003年5月13日(火)晴れ

札所 18番 母養山 恩山寺 19番 橋池山 立江寺

前日17番札所井戸寺まで行っていたので、病院に立ち寄った後別の道を通り18番に向かう。みんなと違う道を歩いているので、車で走っている人が、わざわざ車を停めて教えてくれた。赤信号で停車した車から、女性が出てきて゜お接待です」とオロナミンCを下さった。恩山寺では、お寺への道すがら写真を撮らせてもらおうとお願いしたが、恥ずかしいと言って断られた女性がお参りに来ていた。階段ですれ違ったので、挨拶をしたが、すれ違いざまに「これを」と言って1000円を差し出された。「良いんですか?」気がとがめた。「これも、ご縁ですから」と言ってお金を握らせると行ってしまった。「必ず、回りますから」と背中を見ながら誓った。大金だろうに、託されてしまったという責任感のようなものを感じてしまった。「絶対に回るぞ」このお寺は、岩盤に建てられたようで、地面は岩がむき出しになっていた。今晩は、宿坊に泊まることになっていたので、19番札所立江寺ものんびりとお参りできた。立派な宿坊で、大広間に布団がいくつも引いていて、好きな布団で眠ることが出来た。宿坊の女性も親切で、洗濯機の使い方や団体さん以外が入れる風呂も案内して下さり、のんびり出来た。このあたりから、まわりの人たちが決まって来たような気がする。次の宿の、情報交換などをして、申し込みをした。同じ宿をとる人が増えた。地図には距離が書いてるが、高低差などの状況が記載していないので、なかなか宿の決定が難しい。みんな、よく調べて来ている。わたしなんか、白紙状態で来たので大いに参考になった。自分の脚力の能力も、そろそろ把握でき、まわりとの比較が出来るようになった。

宿泊地 橋池山立江寺(宿坊) 〒773 小松市立江町若松13 TEL 08853−7−1019


 6日目 29826歩

2003年5月14日(水)

札所 20番 霊鷲山 鶴林寺 21番 舎心山 太龍寺

20番札所鶴林寺まで雨の中平地をだらだらと歩き続け、一気に20番に登って行く。結構苦しい登りが続く、やっとお寺に着くが、今度は下山。そして降りたところで、次の21番札所太龍寺を目指して登って行く。精神的には辛い。多分、全体の中でも辛い道のベスト10には入るだろうと思う。この辺は宿がないので、下山してから6km位山道を歩き宿に着いた。中国の四川省の宿を思い出す。相変わらず雨の中の行軍なのでずぶぬれ状態。宿では、靴に新聞紙を入れて水分をとる。洗濯機にみんな殺到して、洗濯・乾燥を済ませる。あとは、宿でごろごろしながら夕食を待つ。携帯電話は届かない。太龍寺は相当格式が高いのだろう、霧雨の中に立つ建物は、威風堂々としたものがあった。中国を思い出す。真言宗自体が、中国から弘法大師が持ち帰ったものなので、中国の色が色濃く残る。だいぶメンバ−が決まって来ているので、家族のような雰囲気がある。電話が通じないので自宅には、定期連絡を入れなかった。NHKの番組である宮本武蔵。雨の山中を歩き、一軒の家を見つけて一夜の軒下の宿を頼むシ−ンがある。自分が歩いてみて、雨の降ってこない場所の大切さを痛感する。今の時代ポンチョがあるので、直接雨に濡れることはない。昔は簑で雨をしのいでいたのだから、相当に冷たい思いをしたことと思う。まして、夜月明かりもない山中は、真っ暗。以前、広島の極楽寺へ行った時、住職と話し込み、帰る段になり、山中を明かりもなく歩こうとした時、鼻先も見えない経験をしたことを思いだした。

宿泊地 民宿 龍山荘 〒771-51 阿南郡加茂町黒河6 TEL 0884−25−0658