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       大聖院ルート 2009.2.23 編集中

大聖院ルート 登山所要時間調査 

報告 藤原の脚力で所要時間 1時間8分)

10時7分 大聖院山門 出発
途中 白糸の滝の撮影

10時19分 6丁 茶屋跡到着
10時24分 茶屋出発
10時29分 中観堂通過
10時32分 8丁 お堂通過
10時35分 賽の河原通過
10時43分 幕岩展望台着
10時45分 幕岩展望台出発
10時47分 大夫戻し通過 堰堤
10時59分 18丁 二王門跡通過
11時10分 霊火堂到着

頂上目では 5分で到達予定


まあ、若い人ならこの時間でいけるかもしれませんが

一般の観光客は、休憩時間を加味して
1時間30分から2時間が妥当な所要時間だと思います。

ちなみに、廿日市市の公式ホームページでは、1時間10分と記載
宮島観光協会のホームページでは所要時間1時間30分


予断ですが、この日真言宗の健脚僧侶が勢いよく登って来ました。
かなり、山登りの慣れたかたたち。
大元ルートを急いで登って来たというので
所要時間を聞きましたら 1時間30分

廿日市市の公式ホームページでは1時間20分
宮島観光協会のホームページで2時間
ということを言いましたら
1時間20分は、絶対無理と言ってました。

一般の観光客の場合途中休憩時間を
1箇所10分 5回とれば 50分を加算しなくてはならないので

やはり、2時間30分は必要と思います。

宮島弥山倶楽部のメンバー やまもとのりこさんのデーターから
大聖院ルート 登山記録


4月26日 天気曇り 気温13℃前後
弥山(標高529メートル)上り下り共 大聖院ルート

JR宮島口駅よりフェリー(乗船時間約10分)

12:02 桟橋
12:25 大聖院到着
    
12:36 大聖院登山口
    撮影などしながらゆっくりペース
12:47 白糸の滝 見物
12:50 ルートに戻る
13:18 十丁(シンプル町石にて)
13:36 白糸川1号砂防堰堤
13:51 仁王門
13:59 御山神社・奥の院分かれ
14:05 御山神社 参拝
14:11 御山神社 出発
14:19 奥の院分かれ ルートに戻る
14:23 大日堂 参拝
14:31 干満の岩
14:34 山頂

15:06 山頂出発
16:18 大聖院登山口到着

宮島弥山倶楽部 田中さんからの情報 毎週弥山へ登っている健脚の方

大聖院ルート 5月18日 天気 はれ 所要時間 1時間)

起点石(9:50)〜懺悔地蔵(9:51)〜砂防堰堤(9:54)〜白糸の滝分岐点・弥山原始林石碑(9:57)〜3丁石(9:58)〜
4丁石(10:00)から〜5丁石(10:02)〜6丁石(10:05)〜里美茶屋跡(10:06)〜7丁石(10:08)〜中堂跡(10:10)〜
8丁石(10:13)〜10丁石(10:15)〜賽の河原(10:18)〜幕岩展望所(10:23)〜13丁石(10:24)〜砂防堰堤(10:28)〜
15丁石(10:30)〜遊女石畳(10:31)〜5人菩薩石(10:34)〜17丁石(10:35)〜18丁石・交差点(10:37)〜
19丁石(10:39)〜鯨岩(10:41)〜20丁石御山神社分岐点(10:42)〜水子地蔵(10:43)〜弥山本堂(10:45)〜
弥山山頂(10:50)

やっぱり、早いですね。プラス30分〜40分は必要かと思います。

 



 

文章の中に出てくる、右・左は、弥山に登って行く気持ちで見てください。

「 是よりみせんみち
             仁王門へ 十八丁
             御山神社へ  廿一丁廿三間
             求文持堂へ  廿一丁廿六間 
             御山頂上へ  廿四丁廿四間 」

 






休憩時間などを加味して
1時間30分から2時間をみたほうが賢明です。
ひたすら、道を見ながら、息を切らせて登るよりも
自然を感じながら、3年前の土石流の詰め跡を見ながら

ゆっくり登ってください。
弥山のとりこになるはずです。

町石は109mごとにあります。
江戸時代のものはわずかですが、仏様が彫ってあります。

伊藤博分が寄進した町石がかなり揃っています。


 

 
左は 大聖院              右は懺悔地蔵

 
懺悔地蔵を守る鳥居のそばの狛犬 出雲スタイルといわれています。                               


懺悔地蔵 
 

懺悔堂の基礎石には右のような、歴史があった
大聖院ルートは、昔は18丁だった(今は、24丁)



石段を登って行く

      
  


  




土石流の時、左の壁を破って流れてきた大木により、首が吹っ飛んでいました。
今も、痛々しい姿であります。





このあたりは、古いスタイルの町石や石仏群があったが、、土石流により行方不明




堰堤を登っていくと、前方には白糸の滝がある。
足に自信のない方は、白糸の滝を見て帰られても良い思い出になる。
このあたりにあった、滝不動・滝宮は全壊した。



左は、振り返えると大聖院摩尼殿が見える。 右は、再建の始まった、滝宮神社

 

自然原始林の石碑がある。
以前は、大聖院の入り口にあった。まっすぐ進むと白糸の滝に行ける。


3丁:白糸の滝への道を、右に曲がると大聖院ルート、すぐ左にあります。
4丁・5丁
    





こぶが、人の姿に見えるのは、不思議だ






急勾配が続く。
この辺で、息がきれる。
ゆっくり、深呼吸をしながら登ると楽になる。

6丁
里見茶屋の手前の坂道の右側にあります。
急勾配を登るので、気がつきにくい場所です。
 


古い町石


里見茶屋





ここからの展望はすばらしい。ここまでがきつい道のり。

一息ついて、再出発。余り長い間休憩するとかえって、疲れが出るので
休憩は、5分以内にする。


7丁
 


なかん堂あと 左の道を登る。右の道は行き止まり。





土石流のすさまじさを実感し始める場所
幕岩が近い。




8丁(慶長)

   

8丁(慶長)      すぐ横にある8丁(元文)
 


9丁(伊藤博文寄進)は確認できず

10丁




  

賽の河原 秋になるとウリハダカエデが美しい(このコースで一番美しい)




賽河原を少し登ると、ベンチのような岩と石仏群に会う



9丁
    
地面を掘ったあとがあり、確かに9という文字が見える。


  
11丁
9丁のすぐ上に、新しい町石がある。11丁。
2丁の差は、伊藤博文の町石整備の時に、ルートが変更された可能性を示唆する。



  

古い10丁
 


新しく出来た迂回路。
結構急勾配で、一段の段差が高いので、苦しい場所。
200mくらいある。

12丁
土砂災害で流失(現在は、行方不明)
 




  
厳島図絵にあった滝ではないかと思います。
このすぐ下は。、幕岩。崩落した登山道が見える。



13丁
 


  

ここからの展望がすばらしい。滝の上から見た景色。
自然の猛威を感じる場所。



船から現場を見た風景



太夫戻し岩



大きな堰堤が見える。

堰堤を下り、小川をあがり、石段を登って行く。





堰堤の傍に、14丁があるが、以前とは違った位置に置いてある。







  
左は、白ひげ神社 左の道を通っていた。  

  
土砂くずれの元凶     15丁は新しい迂回路に置いてある。



新しい迂回路

迂回路と合流点。この左を100mくらい下って行くと、白ひげ神社にいける。
但し、行き止まりなので戻ることになる。

16丁(伊藤博文寄進)は確認できず
17丁 遊女の石畳の少し上左側にある
15丁 参道の右側にある
    

大元ルート(23町)・大聖院ルート(18丁)・奥の院ルート・頂上への交差点







嘉永元年の絵より




2010年 看板が新しくなりました。



  
2010. 所要時間が距離表示に変わった
大元公園までは 2.8km 時間は 1時間から1時間30分(休憩は必要。加算してください)
大聖院までは 1.9km 時間は1時間程度。
弥山山頂までは 0.6km 時間は15分から20分(大日堂経由と弥山本堂経由の2ルートあり)

  仁王門跡

2005m年に崖に落ちていたものを発見
引き上げられた。
16丁


くじら岩までの道の左側にある

何丁かは不明(仁王門からすぐ先)・19丁
    


くじら岩を下り、御山神社の入口付近、左側にある。
20丁 


御山神社の入口を数m過ぎた左側に集まってある。
湿った場所なので、マムシに注意!!
17丁・23丁・不明





御山神社との分かれ道
弥山展望台(水掛地蔵・弥山本堂・霊火堂・三鬼堂そしてROPE WAY)へ

18丁(2種類)
昔、ここまでが18丁といわれていたが
伊藤博文が改修工事をして距離が変わったと言われている。



大日堂と弥山本堂へ行く分かれ道。
左に行くと石段があり、大日堂を経由して弥山頂上へ向かう。
右に行くと、霊火堂・弥山本堂。三鬼堂から弥山頂上へ向かう。
21丁


まず、弥山本堂・三鬼堂へ行きましょう
ここで、少し休憩をしてから
頂上を目指しましょう


2010.12 標識が新しくなっています
 



霊火堂(消えずの火がある)
霊火堂は昭和27年に創建された
2005年5月5日に消失
現在の霊火堂は2006年7月17日再建されたもの
昭和27年(1952)以前は、弥山本堂の中で燃え続けていた。



標高 約463m  昭和27年頃の弥山本堂と霊火堂

ここで、休憩して、頂上を目指す。ここからは、10分弱で頂上に達する。

石段を登って行きます。



三鬼堂

右に三鬼堂を見ながら、左手の石段を登る。
三鬼堂の前にある 
23丁石
  



  
三鬼堂から石階段を登ると、すぐに左手にある。
新しい22丁が、最初にある。



  
そこから、30mくらい登ると、右手の千手観音の横にある。 標高 約499m
いずれも被害なし。
左の写真の22丁が、最初にある。



台風で倒れた大木が道をふさぐ。

向こうに観音堂・文殊堂が並ぶ
うしろに見えるのは弥山山頂
  


台風で倒解した鐘楼の跡

左に鐘楼跡、中央は昭和天皇が皇太子時代に桜を植樹された場所。今は、桜はなく倒れて石碑が残るのみ。
右の石段を登ると弥山山頂へ、途中、毘沙門堂跡がある。

少し上り振り返った風景。
正面奥が鐘楼跡、右手が桜の植樹場所。




写真右の岩の中腹に毘沙門堂があった。
今は、石仏が安置されているのみ

220年前に奉納されている
  


大きな岩の道から下を眺めると、手前に大日堂、御山神社や遠方には、奥の院がかすかに見える。


 
左の道を行くとくぐり岩を通って弥山山頂へ行く。右は、毘沙門堂跡入り口。
    
右は古い当時の写真から、明治以降違った建物があった様子

2?丁(被害なし)
今はない毘沙門堂の入口付近にある。
  

今はない毘沙門堂の入口付近にある。
24丁(被害なし)
2010.12 1m離れた場所に丁石の下半分が発見された


くぐり岩 標高 約519m


梵字で書かれた石塔がある
24丁(被害なし)
頂上付近の大岩の入口にある。昭和天皇が皇太子の時に来られたことも書かれている。

24丁石・昭和天皇皇太子時代登山記念碑
標高 約529m
  
頂上付近の大岩の入口にある。昭和天皇が皇太子の時に来られたことも書かれている。
 
頂上 標高 535m


頂上には、石仏などが残っている。



弥山展望台。1Fには売店があり、夏はすり氷、冬はうどんが人気。
この展望台の右下にトイレがある。
 
但し、このトイレは売店がオープンしている時しか使用できない。
早朝、夕方には閉まっているので、その場合は霊火堂までくだりトイレを使用。

展望台からの景色。
1番 弥山の標高を示す石(この場所では 標高、約530mとなっていた)
2番 現在、国土地理院の標高変更があり、この地点を頂上と決め 標高535となった
3番 霊火堂・弥山本堂から登って来た道
4番 ここから下ると、陰陽石・干満岩・舟岩・かいせん岩・大日堂へ行ける。





降り口にある、「弁慶のかかと」といわれる場所がある。
写真では、左の下の岩にくぼみがある。

この道を下って行く。写真に人物が写っている場所から振り返ると、陰陽石が見れる。

陰陽石

手前が男性・奥の岩(お尻をイメージする岩)

 

 
滑りそうな岩山を下る。 干満岩の手前の右の岩の上に上ると、昔、桜の木が岩を二つに割った名残が見れる。

干満岩




  
どれか分かりますか?
岩の真ん中に直径5cmほどの穴があります。手を突っ込んでなめてみると、わずかに塩味がします。
  
                                            下って振り返ると左のような景色が見えます。

 
何かいわくありげな大岩です。十字の割れ目には、石仏が安置されています。



左に行くと、大日堂へ向かう道。
右の石垣沿いに行くと、大岩があり、展望は良いですが、ほとんど人は行かないようです。






舟岩 右下には石仏群があります。
そこの仏様も、町石のようだが不明

   

右から下ってくる。左は、大きな岩の下の仏像を見に行くことができる。また、かいせん岩をくぐると
右の道と合流するが、現在は、かいせん岩の間は通行できない。

ここから石階段を下ると、左手に大日堂がある。



奥の灯篭の左奥1mの場所に最古の町石がある。
  17丁(被害なし)慶長の頃で、最古です。
1599年作と言われている

大日堂の向かって右側の藪にある。


大日堂




石段を下って行くと ふたたび 21丁のある広場に出る

石段を下から見上げた風景

石段を下った右側の藪に18丁石が並んでいる


2010.12 標識が新しくなっています
 



左に行くと、弥山本堂・霊火堂にでる。
右に行くと、大聖院ルート 御山神社・奥の院・駒ケ林・大元ルート経由大元公園へ至る

この道は、少し険しいが、御山神社へ行ける
途中山中に、石鎚神社もあるが一般の方は行くのは難しい。


十三佛御真言 標高約465m



霊火堂に戻って来ました