建築保守の時代




建築がつまらない。昨年末はまた建築に興味が出てきたと書きましたが何があったのか。
症状としては毎月必ずチェックしていた建築雑誌を見落とすという形で出ました。
建築がつまらなくなった。でも振り返ってみるとそれは最近始まった話ではありません。

とにかくコンペがつまらなくなった。
昔は新建築誌でもオープンコンペの結果を記事にしていましたが、いつの間にかそれもなくなっている。

思うに面白かったのは東村立富弘新美術館までではなかったか。
この当選案は当時流行った鉄板建築で、夏の気温上昇について行けず、
屋上に水をまいたり新たに空調機を増設したり、問題の多いものでした。

これ以降、コンペで勝っても建たないというケースが激増していますが、
すべての原因をこのコンペのせいにするのはちょっと違うと思います。

自治体の首長は地元の経済活性化のために箱物の発注を進め、
その案はエポックメイクなものであるほど外から人を呼べると考え、斬新な案にもGOを出していました。

しかし市民の間には長い不況下でそうした行政に対して不信感が募ってきていた。
使い勝手の悪い変な建築に膨大な予算を割いた首長は議会で吊し上げを喰らう。
首長の選挙があった場合は建設反対を唱える候補に負けてしまう。
そして世間には建築家不信のようなムードが漂ってしまいました。

で、建たないコンペがいくつか続いたのち、ついに無難な案が選ばれるようになってしまいました。
湘南台文化センターから始まったコンペの春は終わってしまった。
それは岩見沢駅舎コンペにて審査委員長の方から明確に宣言されています。

コンペの春の期間は磯崎新さんがコンペの審査をしていた時期とほぼ重なります。
磯崎さんには時代を見る目があったし、他の審査員を説得する力もあった。
氏は建築家不信を感じ取って身を引いたのか、単に声がかからなくなったのかはわかりません。
コンペの春の終末を宣言したのが一時、磯崎さんと対立した内藤廣さんだったというのも象徴的で、
日本にとって建築家としてはもとより、審査員としての磯崎さんを失ったのは本当に痛手でした。

今や建つのが楽しみな建築というのはなくなってしまいました。
住宅レベルでは時たま面白いものができ、海外の建築雑誌に載ったりしていますが、
どうも単体としての発想の面白さにとどまっていて、流れを作るまでには至っていない。
先が見えない、文化的閉塞のようなものを感じています。


(13/11/18 h.taki)



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