Kawamata@Hillside




Kawamata@Hillside

川俣さんが松山に美術館(のようなもの)を
建てるプロジェクトで、現在は基本設計段階。展示はそのスケッチや模型の展示
(建物全体や家具のモックアップなど)、地図や工事用看板など、製作現場を
ギャラリー持ちこんだようなものでした。

今までの作品と少し違った感じがしますが、もちろん川俣さんの作品を陳列する
美術館を作るというわけではないようで、カタログを見ると
川俣さんが繰り返し言っていることは、プロセスが大事であり完成像を持たない、
完成するということがない、細部より全体を作る、ということのようです。

一通り見たあとの印象は正直、あまりいいものではありませんでした。
平面図のスケッチはいかにも「今風のセンスの建築」ですし、四国のお遍路を
モチーフにした家具や場所づくりのコンセプトは、ポストモダン時代の
盲目の建築家のようですし(ここらへんはPHスタジオの担当なのかもしれませんが)。
なによりこのプロジェクトが美術家の自己満足から抜け出て、どれほどの
強さを持ったものになるのか、私には見えませんでした。経済によって区切られた
敷地に縛られ、法規制に縛られ、美術館という機能からくる資本の流れに縛られ、
そんななかで、たとえプロセスを重視して作ってみたところで、弱々しく
ちまちました波しか起こせないのではないでしょうか。完成像がないということも
どの程度の意味があるでしょうか。そこに何が見えてくるのでしょうか?

カタログのなかに内、外の話が出ていましたが、規制、体制、常識、マジョリティ
力、資本、均質化などに対して何らかの形で対抗していく(例えば異化させる、ずらす)こと
=外にいることで、それが美術家の一つの存在意義だと私は思っており
川俣さんはまさにそれを行なってきた人だと思っているのですが。
私にはこのプロジェクトで、これまで外にいた川俣さんが内へ入ってしまうような
そういう感じがしました。

このプロジェクトは常に変化していくそうなので、見守っていきたいと思っていますが
これを凡庸な結果に終わらせないためにのひとつのアイデアとして
敷地や法規との摩擦を積極的に起こして、それをリアルタイムに
公開していくなんていうのはどうでしょう?今はインターネットもありますし。
まあ川俣さんらしくはないですが…。



(97/02/15 h.taki)




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