かわいいとか、かわいそうとか




たぶん人間独自の感情なのでしょうね。

この前、テレビで欧州の料理人とその家族を取材したものがあって
シェフのお父さんの手伝いを息子がするのですが、
数十匹のなんかの鳥の子供を丸焼きにしたものを手でさばいている。
鳥はもろにもがき苦しむ表情をしていて、それはちょっとグロい光景でした。

しかしフレンチの子羊や子牛の料理に人気があるように
動物の子供というのは餌食になりやすい。
動きが遅くて捉えやすく、肉質が柔らかく食べやすい。
人間や動物の子供が殺されるのを取り立ててかわいそうと思うのは
自然界の常識、自らの食のみなもとに無知であるのかもしれません。

人間というのは食物連鎖のトップに立つだけの残酷さがあるものだと思います。
動物を殺すのはかわいそうだからとベジタリアンになる人がいるようですが、
植物を育てる際に使う農薬は数多くの昆虫を死滅させています。
また雑草は刈られ、食べられる植物だけ育てるというのは差別ではないのか。

だいたい動物はかわいそうで植物は共感できないというのもおかしいのではないか。
植物だって同じ生き物で、生まれ成長して生殖して老いて死んでいく。
感情はあるのに表に出せないだけなのかもしれない。
逆に昆虫や微生物が危険を察知して逃げもがくのも、
感情ではなく、ただそう動くようインプットされているだけのことなのかもしれない。

「生け花」という言葉がありますが、植物を切って水につけるということは
その生物を脳死状態にするということだと思います。
決してもとには戻らない。「生きて」はないですね。
それも花が開いてようやく生殖だという時に殺されてしまう。
自分ら生物が子孫を残すために産まれたとするならば、
こんなに惨いことはありません。

ではもうひとつペット、愛玩動物はどうでしょう。
十分な食事を与え愛情をかけてやれば幸せなのでしょうか。
しかし花の例と同じく生殖、育成が動物の根源的な本能であるならば
去勢されてしまうことで異性であったり親になるチャンスは奪われます。
そして変化のない毎日をただただ呆然と生きている。
幸せだと断言できますか?

話をちょっと拡げすぎました。
では自分はどうかというと昔は「若鶏」を殺すケンタッキーFCを
食べられなくなった繊細な時期もありましたが、
今は雑草は刈るし、生花は買うし、動物は子供も含めて食べるし、虫は殺すし、
至極まっとうな人間的残酷さを持って生きています。

かわいい、かわいそうという感情は正当な精神の表れだと思いますが
一方で人間は残酷な存在であるという認識も大切ではないかと思っています。

(06/04/19 h.taki)



back