あなたの中のわたし




*あなたの中のわたし/原美術館
 050731まで/11:00-17:00(-20:00水)/月休0719休/1000円

原美術館のコレクション展。
過去に個展を開いた、荒木経惟、森村泰昌、ソフィ・カルの
3人の作家の作品を主に展示してあります。

荒木経惟は「センチメンタルな旅・冬の旅」から10点ほど、時系列に沿っての展示。
あっというまに陽子さんがいなくなり、なんともはかなく、せつない。

森村泰昌はレンブラントの絵画に自分の顔をモンタージュしたもの。
その作品は今までいやというほど見てきて、慣れてしまったところがあるので
もう一度、これは何なのかを考えてみました。

まずパロディ。笑いを誘うゲームのようなばかばかしさ。
それが従来の高尚な「美術」の敷居を下げたという働きはあったと思います。
高い評価をされている古典絵画に対しても容赦しない。

あとはいわゆる「肖像画」というものは、描かれた当時はともかく、
今現在においてはそれが誰であるのか、似ているのかどうかは判別できず
逆にどうでもいいことなので、自分の顔をあてはめてみた、という指摘ともとれます。
いずれにしても「アンチテーゼ」として美術の自由や可能性を求める姿勢が、
昔の「前衛芸術」とかぶって見えます。このままで残れるか?微妙か。

今回のイチオシはソフィ・カル。
前に映像作品を見た記憶があるのですが、そのときと同じく「失恋」もの。
日本に滞在している間に、置いてきた交際相手とうまくいかなくなり、
インドのニューデリーで落ち合う約束もすっぽかされ、あげく電話で振られる。
かなりのショックを受け、ことの一部始終を他人に話し、その人からも不幸話を聞く。
それを続けてその過程を文字と写真で作品化し、時系列に沿って並べています。

この相手の不幸話が半端じゃない。
それに比べると作家の経験は傍から見ていてもたいしたことではない。
作家もそれは感じているようで、当時の記憶が薄れることとあいまって、
作家の話は日に日にトーンダウンして曖昧になっていく。
その薄くなるテンションに呼応するように、作家の発言の文字が薄くなっていく。

ユーモアと悲しみが漂うソフィ・カルのこの作品は本にもなっています。
英語なので読みつらいとは思いますが、ご興味のある方は渋谷のロゴスにありますのでどうぞ。

ちなみに、これは無意識に行われた精神医療の「認知療法」なのかもしれません。
ストレスがかかって片寄ってしまった患者の主観を修正するもので、
毎日の事実とその時の感情を具体的に書き出し、それに対して患者が
あらためて客観的、論理的に内容を分析し、解釈し直すというものです。
「私は世界一不幸だ」が「実はこれくらいのことはままあるのだ」にかわる、ということです。


(05/06/25 h.taki)



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