YES オノ・ヨーコ




*「YES オノ・ヨーコ」展/水戸芸術館現代美術ギャラリー
 040112まで/月休1228-0103休/9:30-18:00/800円

少しでも美術家オノ・ヨーコに関心のある人ならば、見て損はないでしょう。
ただチラシにある「エクス・イット」の写真に期待して行くと裏切られるかも。

ひとことで言うと「イメージ」のアーティスト。

オノの作品で最もオリジナリティを感じられるものは
最初期のインストラクション・ペインティング(指示絵画)でしょう。
キャンバスに具体的行為の指示が文字で書かれたものです。
そこに見られるのはひとつには言葉による「詩」「隠れたメッセージ」であり、
もうひとつは既存の「芸術」からの解放の試みです。
基本的にオノの作品にはこの二つの流れが通底していると思います。

前者は当初、「イメージ」を喚起すること、常識を疑い解放されること、
そのこと自体が重要であるとの姿勢で、
解釈は鑑賞者にゆだねられていたようでしたが、
徐々に社会的な色彩を帯びてきて、女性解放主義的
(ヴィデオ「カットピース」舞台上のオノの衣服を鑑賞者が切り取っていく、
ヴィデオ「フライ」身じろぎしない女性の裸体の上を蝿がうろつきまわる)
また平和主義的(「ウイッシュ・ツリー」鑑賞者が願い事を書いて木に吊す、
「戦争は終わった!」メッセージボード、「白のチェスセット」
盤、駒とも白一色で敵味方がわからなくなる、「エクス・イット」
100の木の棺のなかから樹木がはえている)なものに変化していきます。

後者もその手法は多岐にわたり、例えば鑑賞者に参加を強いる作品、
モノがない、見えない作品、随時変化していく作品、音だけの音楽など多様です。

後者は時代的な意味が問われてくるので、
今見るとなると博物館的な見方になるでしょう。
モノというよりその発想の豊かさに驚きます。
なんと頭の柔軟な人なのか。

しかしやはり個人的にひかれるのは前者であり、
余分な色彩のまだ帯びていないころの作品です。
なかでも好きなのは「モーニング・ピース」。
ガラスの破片に近未来の日付と朝方であること
を添付したもので、売買されます。
そこには希望とつながりが感じられました。

魅力的な作品を生み出す美術家。
しかしその全貌を見ると、なんとも捕らえ所のない感じもしてきます。
それはなぜなのか。

たぶんそれは「オノ・ヨーコ」が「オノ・ヨーコ」以外のものに
なろうとしなかったからではないか。
たいがい美術家は社会的に通用し共有されうるする何かを求め、
発見したらそれを深めていくという手法をとると思いますが、
オノの場合、中心にあるのはあくまでも作家個人である。
ただそれは自我ではなくて、外に開いたものである。
論理的な何かではない。

それによって作品ごとにかなり振幅があり、理解しづらいものが出てきます。
それがオノの美術家としての社会的評価をいまだ困難にしている
ひとつの理由ではないかと思いますが、どうなのでしょう。

逆に近年の平和主義的なものは単調になりすぎているような。


(03/12/05 h.taki)



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