artless




*アートレス マイノリティとしての現代美術 /川俣正
 フィルムアート社/2400円

書評です。

川俣正の作品とその制作ドキュメントをちりばめながら、
「サイト・スペシフィック・ワーク」「ワーク・イン・プログレス」
「フィールド・ワーク」などの
氏の活動の大きな流れを紹介しています。

氏の活動は、多くのワーカーを動員して、
野外に大規模な構造物を制作するという点において、
クリストと類似しているように見えます。

両者の対比点をあげていくと、
川俣のスタンスが明確になると思いますが、
クリストがアプリオリに美を信じていて、
あらかじめある完成像を目指して突っ走り、
作品は場に対比的であるのに対して、
川俣は美に疑問を呈し、完成することよりも、
そこまでに至るプロセスを大事にし、
場合によっては完成形までそのプロセスにゆだねてしまう、
そして場の記憶を大切にして制作している、
と言えると思います。
クリストの専制君主制に対して川俣の民主制?
どちらがよいというわけではないですが。

作品の実現のための社会との交渉、摩擦
無理解などに耐え、奮闘している点は両者とも共通しています。

またクリストより川俣のほうが社会を強く意識しており、
それゆえ社会批判的なゲリラ作品に加えて、
麻薬依存の治療者をプロジェクトに参加させるなど、
近年は社会活動的な部分にも足を踏みいれています。
このボーダーラインは宮島さんの例があるので私は危惧していますが、
本書で見る限り、問題は認識しているようなので、
しばらく見守ってみようと思いました。

さて本書の後半では社会や美術に対する氏の考え、危惧が述べられています。

それによると
日本の社会が「多文化的包容力」をなくし、すべてのものが
「公共の場における最大多数の最大幸福で片付けられてしまう」。
「組織され構造化されたモラル」が蔓延し、
「表現者及びその表現そのものが、一般的判断という社会権力によって
排除されている」。

また
美術館の今後は博物館、「アーカイヴの場」か
文化エンターテインメント、「アミューズメントの場」の
どちらかに集約され、後者が「マスを対象に展覧会の企画を
行なおうとするのであれば、現代美術との距離は
どこまでいっても縮まりはしない」。

そして
「「地方」と呼ばれているところの観光地化を
アートで肩代りさせよう」としている動きについて、大部分を
「表面的な全国メディアへのイメージ戦略」でしかなかったと指摘しています。

まさにその通りだと思います。
特に「地方」については先日、地方振興を目的とした施設の
設計コンペがあったばかりなので、過疎の調査をしていて痛切に感じました。

本書の最後のページに書かれている一節

「アートが社会的に何も役に立たないことにおいてのみ、
 社会に役立つという逆説的な意味合いからそれを引き受ける」

これはまさに私の持つ基本的な美術観で、こうした真摯な文を見ると
芸術系の建築家というのは偉大なる俗物なのだと改めて感じ入る次第。
あ、美術家の一部もそうか?

(注:「 」内 引用)


(01/06/01 h.taki)



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