『壷中の天地』
その部屋は一種異様な雰囲気に包まれていた。
部屋にいるのは二人。
部屋の主らしき少年とメイド服の少女である。
少年は豪奢な椅子に腰掛け値踏みするかのように少女を見つめていた。
その前で少女は恥ずかしそうに頬を赤らめている。
恥ずかしいのも通り。
少女のスカートは床に落ち、白い下着をはだけさせていた。
上着のボタンもそのいくつはすでに外されており、胸元のかなりの部分を少年の目に晒している。
ふるふると震える指がさらにボタンを外そうと動くがその動きは少女の葛藤を表すかのように鈍い。
自らの手で男の前にその柔肌を晒す。
まだ幼いとすらいえる少女にとってそれがどれほどの羞恥であることか。
少女が震えるのも無理はない。
権勢を誇る家の若当主がその絶大なる力をもって無力な少女を苛む。
いつの世にもあるありふれた光景。
そう言ってしまえばそこまでだ。
この先、少女の身に如何なる暴虐がふりかかるか、どんな愚鈍な者にも容易に想像がつこう。
凶狼がその牙と爪でか弱き兎を無残に切り裂く姿が。
一つ、一つ、ボタンが外されていく。
その度に少女の胸元は開いて行く。
そこへ突き刺さるが如き少年の視線。
無惨で淫靡な宴が今、まさに始まらんとしている……。
……かのように見える光景でしたが。
(な、なんでこんなことになってるんだ〜〜!! で、でもさくらの肌、み、見たい・・・・・・)
(小狼様・・・・・・。小狼様になら……わたし・・・・・・)
当の二人の心象風景は見た目とは少し、いやかなり、いや、相当に違うものになっているのでした。
えらそうにしている小狼様よりさくらの方がずっと落ち着いてますね。
小狼様、完全にテンパっちゃってますし。
いったい、どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
話は少し前に遡ります。
がっしゃ〜〜ん
「きゃぁ!」
「だ、大丈夫か、さくら」
「は、はい。でも壷が…・・・」
その日もさくらはご主人様の小狼の部屋をせっせと掃除していました。
小狼の部屋の掃除はさくらの日課の一つです。
部屋の主の小狼が他のメイドの出入りを許していないためですが、その理由はさくらと一緒にいる時間をつくりたいという実にこの少年らしいものです。
毎度のことながら初心いご主人様ですね。
それを知ってか知らずか毎日せっせと掃除に精を出すさくらですが、この少女、ちょっとおっちょこちょいなところがあります。
今回も掃除に夢中になるあまりちょっとばかり注意が洩れてしまったようです。
ほうきを小狼の机の上に置いてあった壷にひっかけて落っことしてしまいました。
床に落ちた壷はあっけなく割れてしまいました。
あまり丈夫な壷ではなかったようですね。
幸いなことに破片で手を切ったりはしなかったようですが。
「申し訳ありません小狼様」
素直に謝るさくらでしたが、いつもなら笑って許してくれるはずの小狼様のお顔がなぜか今日はちょっとキツメです。
いったいどうしたのでしょう。
ひょっとするとさくらが割った壷、けっこう高価なものだったのでしょうか。
「さくら」
「は、はい」
「とんでもないことをしてくれたな」
「え、あ、あの。もしやこの壷、そんなに高価なものだったのでしょうか」
あわてて問い直すさくらの前で小狼様はふぅっとため息をつくのでした。
困ったといわんばかりに眉のつけねを揉んでいます。
やはりあの壷は高価なものだったのでしょうか。
でも、なんかちょっとわざとらしい態度な気がしないでもないですが。
「高価なんでもんじゃない。これはお前が一生働いても手が届かないものだ」
「えぇ! そ、そんなに?」
「あぁ。これはな。李家の祖である小龍様が時の皇帝に憑りついた魔を落とした時に褒美として授かったものなんだ。非常に由縁の高い逸品でな。そもそもその由来というのが・・・・・・」
得々として壷の由来を語る小狼様。
日ごろ無口なこの少年にしては珍しい多弁ぶりです。
さくらの割った壷がいかに高貴で価値のあるものか熱弁を振るう小狼様でしたが。
もちろん、大嘘です。
そんな価値のある物をさくらみたいな粗忽者のいるところに置いておくわけないじゃないですか。
そもそも小狼様はこの壷がなにかもぜんぜん知りません。
気がついたら机の上に置いてありました。
多分、偉あたりが置いていったのだろうと深く考えたこともありません。
さくらがあんまりあわててたので、ちょっとからかってやろうと適当なことを言ってみただけです。
それにしてはずいぶんスラスラと流暢なウソが出てくるものですけれど。
このとき、小狼様の脳裏に浮かんでいたのが目の細〜〜いクラスメイトの姿であったのかは不明です。
「そんなに……」
「まさに李家の家宝ともいえるものだ。お前の給料なんか比にならない」
「あぁ……」
「これが母上に知れたらどうなるか。困ったことになったなあ」
「お許しください小狼様! ここを出されたらわたしは行くところがありません」
必死になってさくらは許しを乞います。
それは当然でしょう。
さくらには病床の兄、桃矢のための看病費を得られるあてはこの李家しかありません。
ここを出されては本当に行くあてもお金を得る術もないのです。
小狼様にすがりついて情けを乞い続けます。
「お願いです小狼様! なにとぞ、なにとぞ夜蘭様には内密に……」
「そう言われてもなぁ」
「お願いします、小狼様! お許しいただけるならばなんでもいたします! なんでも……」
「なんでも、だと?」
言ってしまってからやばっ、と思う小狼様なのでした。
ちょっとばかりアングルがよくなかったようです。
いえ、よすぎたのでしょうか。
小狼様の足元にすがりついてうるんだ瞳でさくらは小狼様を見上げています。
このアングルだと見えてしまうんですよね。
ちょっと開いた襟元からのぞくさくらの胸元が。
いつも見慣れているはずのメイド服姿ですが、こういう角度から見たことはありません。
初心な小狼様にはちょっとばかり刺激的すぎる見ものです。
そこにうるうるした瞳でなんでもします! とか言われてしまうと。
思わず、ごくっ! となってしまうのもしかたのないことでしょう。
それが声と表情に出てしまったのも。
これまたお坊ちゃまの小狼様には無理からぬことです。
小狼様がしまったと思ったのはそれを自覚していたからです。
そして、それをさくらに気取られたことも。
「小狼様……」
「お、おう」
「それが小狼様のお望みでしたら……」
小狼様からはなれたさくらは部屋の真ん中にすっくと立つのでした。
そして数瞬、目を閉じてから意をけっしたようにポツリ、ポツリとスカートのホックをはずしていくのでした。
ふぁさっ
スカートが床に落ちます。
あらわになったのは白い下着とこれも真っ白なさくらの下半身……
羞恥のあまり頬をまっ赤に染めるさくら。
そんなさくらにふりかかるのは。
「ど、どうした。まさかそれで終わりなんて言うつもりじゃないだろうな」
「はい……。ただいま……」
椅子に越し掛け、ひじかけに手を添えて頬をついた小狼様の無慈悲な命令。
さくらは今度はふるふると震える手を胸元によせてブラウスのボタンを外し始めます。
一つ、一つとボタンが外されていきます。
徐々に広がって行くさくらの胸元……
―――――――――――――――――――――――――――――――――
……というところで冒頭の場面へと続いていきます。
えらそうに椅子にふんぞり返っている小狼様ですが、もちろんその心のうちは見た目とは100光年ばかりはなれたところにあります。
(さ、さくらって……い、意外と胸、あるんだな。い、いやこれくらいがあたり前なのか? これまであんまり意識したことなかったけど)
完全にパニくってますね。
まあ、そこがこの少年の可愛げのあるところなのですが。
それをさくらに悟られまいと必死で虚勢をはっているのはなんとも意地ましいものです。
やめなきゃ、もう止めないと、そう思ってはいるのですが、もう少しだけ見たい、もう少しだけ……そう思ってしまうのもお年頃の少年にはまたいたしかたのないところ。
(こ、これ以上は……や、やばい! が、がまんできないかも……)
頭の中がグルグルして目を回してしまいそうな小狼様の前で、ブラウスのボタンははずされていきます。
そして。
ふぁさっ。
ブラウスも床に落ちました。
そこにあらわれたのはブラジャー(もちろんつけてます)とパンティ、そして白い靴下だけを身に着けたさくらの半裸。
どんな厳格な男でも飛び掛ってしまうこと間違いなしの扇情的な光景です。
それはいかに奥手な小狼様といえどもまたしかり。
(だめだ〜〜もうがまんできない〜〜)
がたっ
椅子を倒して立ち上がる小狼様。
その両手が荒々しくさくらの双腕を掴む!
全てをあきらめたかのように、あるいは受け入れたかのようにうつむくさくら!
あぁ、ついに可憐な花は散らされてしまうのか!
―――――――――――――――――――――――――――――――――
……というところで。
コンコン
「小狼様。おいでですが小狼様」
やってきましたのは、空気を読まないことで有名なお邪魔なおっさんこと偉さんです。
バッっと離れる二人。
第三者が登場したことで、自分達の今の状況が客観的に理解できてしまったようです。
ちょっとばかり冒険しすぎなこの状況が。
理解できてしまうと恥ずかしいことこの上ありません。
「さ、さくら、服を着るんだ、早く!」
「は、はい!」
「小狼様、よろしいですか」
「ちょ、ちょっと待て! 今、こっちから開ける(さくら、早く!)」
………………
…………
……
がちゃ
しばらくして部屋に入った偉さんが見たのは、なぜかやけに息を切らしている小狼様とまっ赤っ赤なさくらなのでした。
「小狼様。実はこのような便りがありまして」
あきらかに何かあったふうな二人をまったく意に介さずなのはさすがは偉さん、年の功といったところでありましょうか。
と、そこで偉さん、割れた壷に気がついたようです。
「おやこれは。割れてしまいましたか」
「ん? あ、あぁ。ちょっと落としてしまってな」
「破片で怪我をしてはいけませんね。片付けておきましょう。さくらさん、代わりのものを持ってきてください」
「は、はい」
壷の破片を片付ける偉さんと、代わりの壷を探しに行ったさくら、二人を見ながら小狼様はふ〜〜っと胸を撫で下ろすのでした。
いつもいつも、いい雰囲気になったところで見計らったかのように出てきて邪魔をするこのおっさんを心の底からうらめしく思っていた小狼様でしたが、今日ばかりはたすかった〜〜と密かに感謝しています。
あのままいったらアブナイところだったと。
やはり小狼様はわるいことのできない、いい子ですね。
本当にアブナイところでした。
アブナイところだったけど、なんとかなったな。いや〜〜あぶなかった……
そんな小狼様の安堵も、さくらが持ってきたモノを見た瞬間にどこかにすっ飛んでしまうのでした。
さくらが持ってきたモノ。
それは。
「ふむ、同じところに置くとまた落としかねませんね。今度はそちらの棚にのせましょうか」
「はい」
「さ、さくら。そ、それは……」
ぷるぷるふるえる小狼様の指の先にあるもの。
それはさっきとうり二つ、いえ、さっきの壷と全く同じにしか見えない壷なのでした。
「そ、その壷は……」
「ああ、これですか。これは大道寺グループがお歳暮にと送ってきたものです。たくさんあったのでメイドのみなさまに適当なところに飾るようお願いしておりました」
「そ、それじゃあさっきの壷をここに置いたのは……」
「さくらさんでしょうな。この部屋に出入りできるのは小狼様とさくらさんだけですから」
「し、失礼します!」
たたた〜〜っと逃げるように退出するさくら。
ぼーぜんと見送るしかない小狼様。
小狼様は悟ってしまったのです。
逃げるさくらの顔に浮かぶさっきまでとは別の手恥ずかしそうな表情を見た時に。
いたずらがばれた子供のような顔が見えたときに。
全てを悟ってしまったのです……
さくらは知ってたんだ。
おれが言ってることがみんなウソだってことを。
知っててやってたんだ。
全部……
今にして思うとさくらの態度はちょっとわざとらしかった気がします。
エッチ方面には自分と同じくらい疎いさくらが、今日だけはやけにいい反応をしていました。
そういえば一昨日いっしょに見ていた時代劇に似たようなシーンがあった気がします。
悪徳お代官様が町娘を手篭めにという例のやつです。
ひょっとしたらさくらはあれを真似していたのでしょうか。
さくらをからかうつもりが。
おれの方がさくらにからかわれてたんだ……
ガガーン
これまでで最大の衝撃が小狼様のお頭を貫きます。
今まで小狼様の頭の中にある人間関係は以下のようなものでした。
夜蘭 >> 姉上たち・苺鈴 >> 小狼 > さくら
しかし、実際はこうだったようです。
夜蘭 >> 姉上たち・苺鈴 >> さくら > 小狼
ヒエラルキー最下位。
それが自分の立ち位置だったのです。
あまりの衝撃に小狼様はこーちょくしてしまいます。
ズガガーン
「小狼様。小狼様?」
そんな小狼様を気づかう偉さんでしたが、反応がないことを知るとやれやれといった感じでため息をつくのでした。
偉さんにとってはよくあることだったみたいです。
こーちょくした小狼様をなまあたたかい目で優しく見守り続ける偉さんなのでした。
えんど。
彼にはへたれがよく似合う。
クリアカード編の小狼にはへたれ成分が足りないと思います。