『それから・小狼』



「闘・妖・開・斬・破・寒・滅・兵・剣・瞬・闇……」

呪を唱える度に魔法陣の上に寝かされた体がぴくぴくする。
おれの呪に反応しているのか。
それでも目を覚ます様子はないな。
やっぱりこいつ、けっこう図太いぞ。

今、おれが唱えているのはファミリア創生の呪。
……のとっかかりのところ。
まだ序の序、正規の術ともいえないような簡単な呪だ。
対象に魔力を流し込んで所有権を主張するための術。
言ってみればマーキングみたなものだ。
実のところおれは迷っていた。
こいつをファミリアにしていいものかと。
こいつにはそのための資質がある。
魔力の素養、それもかなり特別なものの手ごたえを感じる。
カードの占いが示したのは間違いなくこいつだ。

にもかかわらず、おれはこいつをファミリアにすることに躊躇を感じていた。
ファミリアになるということは、普通の生き物でなくなることを意味している。
そうなる以前よりも遥かに強い力と理性を持った強靭な存在となる。
しかし、それがこいつにとって幸せなことかどうかはまた別の話だ。
おそらくは生まれて間もない小さな存在であるこいつ。
まだ犬としての、生あるものとしての喜びも満足に受けていないだろうこいつ。
そんなこいつの命をおれが勝手に作り変えていいものか。
いいわけがない。
こいつを正式にファミリとするかはひとまず、おいておこう。
この先、こいつと一緒にゆっくり考えればいい。
それが現時点でおれの出した結論だ。
今はこの名づけの術にとどめておこう。
他のやつにこいつをとられたくないしな。
それに。
こいつがおれのものだっていうハッキリした証がほしい。
ガキっぽい独占欲だということは自分でも自覚はしてるさ。
まあ、許されるだろう。これくらいは。

「煙・界・爆・炎・色・無・超・善・悪……」
「わぅ〜〜?」

術が最後の印に至ったところで、ようやく目が覚めたようだ。
お願いだからもう少しそこでじっとしててくれよ。
そう、いい子だ。
もう少しだからな。

「刹・凄・卍・克・哀・狗……破!」

呪の最後の章を唱え上げると同時に、光と一陣の風と共に魔法陣に宿っていた魔力が一点に、ちいさな鼓動を刻む心臓に集中する。
ふぅ。
術はこれでひとまずは完成だ。

「わぅぅ?」

まだ自分の身体に何が起きたのかわからず、きょろきょろしている頭を軽く撫でてやる。
そんな顔しなくても大丈夫だ。
今のは怖いのじゃないから。
お前の体におれの名前を描いただけだから。
これで今日からお前はおれのものだ。

さて。
術は完成したが儀式はまだ残っている。
そう、名前だ。
どんな術もお互いの名前を宣誓して初めて完成する。
こいつに名前をつけてやらないと。
名前か。
どんな名前がいいのかな。
これまで、犬の名前なんか考えたこともないしなあ。
はて、どうしたものか。

そこで、ふと頭をよぎったのは一輪の花。
こいつを拾ったところで見たあの花だ。
まるで、おれをこいつに誘うように舞い散ったあの花。

「さくら」

そうだ。こいつの名はさくらにしよう。
さくら。
いい響きだ。
こいつによくあってる。
そうだ。お前は今日からさくらだ。

「さくら。お前の名前はさくらだ」
「わぅ?」
「あの時、あの花が散らなかったらお前に気づかなかったかもしれないからな。お前は今日からさくらだ。おれは小狼。よろしくな、さくら」
「わんっ!」

―――――――――――――――――――――――――――――――――

あれからもう、ずいぶんと経つ。
結局、おれはさくらを完全なファミリアとはしていない。
いつかは、という思いはある。
けど、そのいつかをもっと先に延ばしたい、そう考えてる自分もいる。
なんでかはわからない。
ただの子犬を飼うことに李家の道士としての意味はない。
なにかの動物を飼っている道士は多いが、たいていは何かの術に使うためだ。
何の目的もなく飼っているやつなどまずいない。
おれにしても、最初はファミリアの核を探すことを目的にしていた。
やはり、いつかその時はくるだろう。
だけど、もう少しの間は今のままでいたい。
李家の道士とファミリアではなくて。
ただの小狼とさくら、そんな関係でいたい。

ま、ファミリアに生まれ変わったこいつに少し興味があるのもまた事実なんだが。
ファミリアは主に忠実に仕える使い魔。
こいつに仕えてもらうというのもまた悪くはない気もする。
なにしろ今のこいつときたら。

ごはんはただのドッグフードなんか見向きもしないで、おれの手料理をせがんでくるし。
毎日お風呂に入れてブラッシングしてやらないと機嫌を悪くするし。
どんな日も決まった時間にお散歩用のリードを咥えてきておれを引っ張り出すし。
夜は夜でおれのベッドに勝手に上がりこんでくるし。
それに。
あれに。
………………。

いかんいかん。
なんだか、おれの方がこいつの召使いみたいな気がしてきた。
そうじゃないだろ。

「わん! わんわん!」

どうした、さくら。
ああ、そうか。
そろそろ夕ご飯の時間だな。
待ってろよ。
今、ご飯を作ってやるからな。

やれやれ。
いつの日か、こいつがおれのファミリアになるなんて本当にあるのかな。
なんか、おれの方がこいつのファミリアにされそうな気がしてきたよ。
ま、それもありかな。
な、さくら。

「わん!」

END


ワンコさくら物語、出会い編でした。
このお話では小狼は魔道士という設定なので、それっぽいことを考えていることになっています。
まあさくらにラブラブなので結局は残念な男の子になってしまうのですが。
それが小狼らしいと思っています。

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