『バイリンガル?』



「わぅ〜〜わぅ〜〜♪」

いつも通り能天気さくら日和のさくら。
今日も元気いっぱいです。
お気に入りの座布団をぱしぱししてご機嫌の模様。
ですが、今日はちょっとだけ遠慮してるみたいですね。
ちょっとだけですけど。
そのちょっとの理由は言うまでもありません。
さくらのご主人様、小狼くんです。
小狼くんも同じ部屋にいるからです。
先ほどから机の前に座って何かを見ています。

(お仕事してるのかな? 邪魔しちゃだめだよね〜〜)

殊勝にもそんな風に思ってしばらくは遠巻きにしていたのですが。
ちょっとずつ近寄ってしまうのはご愛嬌というもの。
ご主人様大好きっ子のさくらにはしょうがないところです。
それに今日はお仕事じゃないのかな〜〜というのもあります。
いつもお仕事の時は忙しく手を動かしていますが、今日は手は膝の上に置かれたままです。
怒られるかな〜〜大丈夫かな〜〜とじりじりと近寄っていきます。
しまいには机の端まできてお手手をかけてのぞきこみ始めました。
でも、ちっちゃいさくらでは机の上まで見ることができません。

(小狼くん、何を見てるのかな〜〜。えい、えいっ)

ぴょんぴょん飛び跳ねてついには机の上にのっかってしまいました。
なかなかに身軽なワンコです。
さて。
そうして机の上に昇ったさくらが見たものは。

(わぅ? すまほ?)

スマホのようでした。
以前、スマホに映った自分の待ちうけ画像と喧嘩して大騒ぎをしたさくらでしたが、その後、知世ちゃんからスマホのことを教えてもらいました。
なので、今はスマホが何かをさくらも知っています。

(わぅ〜〜? でも、これ映ってないよ? わぅ?)

机の上に置かれたそのスマホ? はたしかに電源が入っていないようでした。
何も映っていません。
何も映っていないのが面白くないのか、さくらはぱしぱしとスマホのはしっこを叩き始めました。
スマホのパネルに手をださないのは知世ちゃんの教育の賜物でしょうか。
こうしていれば小狼くんがそろそろ何か言ってくるかな〜〜という期待もあるみたいです。
しかし、案に反して小狼くんはなにも言ってきません。

(小狼く〜〜ん、なにも映らないよ〜〜。面白くないよ〜〜)

何も映らないスマホをいじるのに飽きたのか、小狼くんの方を見上げるさくらでしたが。
そんなさくらとスマホ? を小狼くんはじっと見つめています。
そして。

「ふぅ」

しばらくしてから妙な表情で、これまた妙なため息を漏らすのでした。

「わぅ?」

これにはさくらもきょとんとするばかり。
小狼くんに奇妙なため息をつかせるこのスマホ?。
いったいなんなのでしょうか。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

時は少し遡ります。

「いやあ、悪いですねぇ。いつもいつも」
「そう思うんなら早く帰れ」
「つれないなあ。僕と君の仲じゃないですか」
「どんな仲だ!」

書斎でワイングラスをくゆらせているのは小狼くんの友人? 柊沢エリオルくんです。
飲んでいるのは書斎においてあった年代もののワインです。
もちろん小狼くんはまだお酒が飲める年ではありませんので、ワインはただの飾り物のはずでした。
ですが、そのお酒をエリオルくんは来るたびにぱかぱかと空けていきます。
エリオルくんももちろんお酒が飲めない年のはずで、小狼くんも最初はそれはとがめたのですが、エリオルくんは一言。

「僕はいいんですよ。ふふふ……」

この「いい」が自分には法律なんか関係ないからいいなのか、それとも実は中身はおっさんだからいいなのか小狼くんにも判断がつきません。
そもそもこの自称友人のことが小狼くんにもよくわからないのです。
子供の頃から一緒に大きくなってきた記憶はあります。
記憶の中のエリオルくんは自分と同年代です。
でも、その一方でその記憶になにか違和感があるのも否めません。
ふとすると同じ年齢のはずのエリオルくんの背後に見知らぬ誰かが立っているような?
そんな気がしてしまうのです。
正直言うと小狼くんはエリオルくんが少し苦手です。
いっしょにいるとどうしても圧迫されるものを感じてしまうのです。
なので、態度の方もどうしてもぶっきらぼうなものになってしまいます。

「それで、今日は何しに来たんだ。用がないならさっさと帰れ」
「ところでさくらさんがお見えになりませんが」
「あぁ、あいつはお昼寝中だ。1回寝るとなかなか起きてこないからな。今日は出てこないぞ」
「それは残念。かわいいお顔を拝見したかったのですが」
「なんだ、さくらを見にきたのか」
「それもあるのですけどね。本題は別です。今日はあなたに少し速いクリスマスプレゼントをと思いまして」
「クリスマスプレゼント? なんだ?」
「これです」

そう言ってエリオルくんが出してきたのが問題のスマホ? なのでした。

「スマホ、じゃないよな。なんだ?」
「もちろん違います。これは僕が長年の研究の末に作り上げた至高の一品! ある人たちにとっては究極のアイテムです。そう、まさにあなたのような人にね」
「究極って。いったいなんなんだよ」
「ふふふ……。そう、これこそまさに究極至高の『バウリンガル』です!」
「バウリンガル〜〜??」

ここで知らない人のために説明しましょう。
バウリンガルとは2002年にタカラが発売した犬とコミュニケーションがとれるというふれこみのオモチャです。
犬の鳴き声を翻訳してくれるというものです。
もちろんオモチャですので、その精度は推して知るべしなシロモノなわけですが。
あのエリオルくんがこうまで自信たっぷりに持ち出す以上、はんぱなものではないのでしょう。

「バウリンガルってあのオモチャの?」
「あんなオモチャと一緒にしないでください。これは究極の魔法と科学の融合による至高の一品。精度はオモチャの比ではありません」
「究極の魔法って。そんな研究をしてたのか?」
「えぇ。ケルベロスとスピネルにも協力してもらいました」
「あいつらはもとから喋れるだろうが……」
「それはともかくとして。翻訳精度には自信がありますよ。どうです? あなたなら気に入ってもらえると思ったのですが」
「う……ま、まあな」

さすがはエリオルくんです。
痛いところをついてきます。
愛犬家ならば誰しも、ワンちゃんがなんと言っているのか知りたいものでしょう。
さくらへの溺愛ぶりがはんぱではない小狼くんならなおさらのこと。
まさしく、小狼くんにとってはのどから手が出るほど欲しい一品です。

「まあ、テストがしたいというのもありますので。後ほど感想を聞かせてもらえませんか」
「あぁ。わかった。ちょっと使わせてもらおうか」

………………………
………………
………

こんな経緯で今、小狼くんの手元にあるのがスマホ? あらためバウリンガル? なわけです。
それならさっさとスイッチを入れてさくらの声を聞けばいいのではと思うところですが。
そこで逡巡してしまうのが小狼くんらしいところ。
ぶっちゃけ、さくらの本音を知ってしまうのが怖いわけです。
さくらが自分を慕ってくれているのは間違いない! とは思っています。
ですが相手はあのさくらです。
一日中、ごはん、ごはん〜〜の食いしん坊のさくらです。
自分を慕ってくれているのは間違いないとしても。
それは

「ご主人様=ご飯をくれる人」

なんじゃないかと思ってしまうのですね。
いや、そんなことはない! ……とは言い切れないのがさくらのさくらたるところ。
さくらの声が知りたい、でもしょ〜〜もないのばかりだったら……
そんな感じでさくらとバウリンガルを見つめてため息をつく小狼くんなのでした。

ですが、ずっとそうしていても始まりません。

(様子を見て試してみようか)

ということで、さくらの様子を伺っているところです。
飽きっぽいさくらのことですので、小狼くんが相手をしてくれないとまたすぐに別のオモチャのところに行ってしまいました。
わんわん、きゃんきゃんとなにやらオモチャに話しかけているようです。
これなら大丈夫かとバウリンガルのスイッチを入れる小狼くん。
はたして画面に映し出されたのは。

『クリスマス〜〜、クリスマス〜〜♪』

ちょっと予想外の言葉でした。
これには小狼くんも少し驚きです。
これは、あんな鳴き声を単語に変換できるエリオルくんの魔法への驚きと、さくらがそんな単語を知っていたのかという驚きです。

(ほぅ。これは……)

さすがに普通のワンコとは少し違うようだな……と感心しかけたのも束の間。

『クリスマスには小狼くんがおいしいお肉をくれるよ〜〜。おにく、おにく〜〜♪ 小狼く〜〜ん、おにく〜〜♪』

と続いてがっくりきました。
どうやらクリスマス=七面鳥を食べる日というのがさくらの認識らしいですね。
まあ、さくららしいといえばそこまでですが。

「……お前の頭には食べることしか入ってないのか」
「わぅ?」

その後もちょっと様子を見ていた小狼くんですが。
食事の後にまたつけてみると。

『ケーキ、ケーキ、小狼くん、ケ〜〜キ♪』

ときて、これまたいろいろな意味で驚きです。
たしかに去年のクリスマスの時、さくらにワンコ用のケーキを作ってあげました。
ですが、まさかそれを憶えているとは。
もちろん、今年も用意していますのでさくらをがっかりさせることはありません。
ですが、日ごろは小狼くんのお小言などどこ吹く風なのにこういうことだけは憶えているとなると。
あらためて普通のワンコではないという気はしてきます。
食い意地の方も。

「お前は本当に……食べることだけは忘れないんだな。まったく」
『わぅわぅ! ケーキおいしいよ、小狼くん!』
「そうか。よかったな」
『わぅ! ケーキ、ケーキ♪ 小狼くんといっしょにケーキ♪ わぅ!』
「やれやれだ」

苦笑するしかない小狼くんなのでした。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

さてさて。
年も明けてお正月。
香港への帰省から帰ってきて、知世ちゃんに預けていたさくらを引き取って一段落の小狼くん。
ひさしぶりの我が家にはしゃぎ回っているさくらを見ていて思い出したのが、件のバウリンガル。
今ならどうかとそ〜〜っとスイッチを入れてみると。

『おしょうがつ〜〜、おしょうがつ〜〜』

と出ました。
お正月も理解していたかと褒めてあげたいところですが。
続きはと言いますと。

『おしょうがつには小狼くんがおいしいものを出してくれるよ〜〜♪ 小狼く〜〜ん、おせち、おせち〜〜』

となりました。
実に予想どおりの言葉です。
どうやらさくらのお正月にはコマや凧は出てこないようですね。
食いしん坊バンザイ、ここにいたれりです。

「お前というやつは……まあ、待ってろ。今もってきてやる」
「わぅ〜〜♪」

そんなさくらを甘やかしてしまう小狼くんもどうかと思いますが……

さて、そんなこんなで暇を見てはさくらの言葉を翻訳していた小狼くん。
その結果わかったさくらの考えていることはというと。

食べること …… 70%
おもちゃのこと …… 20%
その他 …… 10%

となりました。
大変にわかりやすい結果です。
わかりやすい結果ではあるのですけれど。
小狼くん、ちょっと不満げでしょうか。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

さてさて。
そんなバイリンガルでしたが、次の週にはエリオルくんに無事返されることとなりました。

「どうでしたか。翻訳の方は」
「そうだな。なかなか面白かったよ」
「それはよかった」
「翻訳精度の方もよくできてるんじゃないかな。それ、販売でもするのか?」
「いえ。これはあくまでも僕個人の研究ですので」
「そうか。少しもったい気もするな」
「まあ、いいんじゃないでしょうか。それに、ワンちゃんの言うことはそんなに正確には伝わらないのがいいのかもしれませんよ」
「そうか……。いや、そうだな。うん」
「それでは」

………………………
………………
………

「ふむふむ。なるほど」
「エリオル〜〜。なに見てんの?」
「これだよ」
「それって……例のやつ? ワンコの言うことがわかるって」
「あぁ。しばらく李くんに貸してたんだけどね」
「李くんて、あの子? ということはそれの相手は」
「あぁ。さくらさんだよ。それで今、ログを見ていたんだ。さくらさんがどんなことを言っていたのかね」
「ふぅ〜〜ん。それで?」
「まあ、予想どおりではあるな。見事に食べることばかりだ」
「あの子じゃそうなるよね〜〜」
「ふふっ、李くんがちょっとがっかりしていたのもわかるな。あまりにも食べることだらけだ。もう少し自分を見て欲しかったというところだろう」
「どれどれ。わたしにも見せてよ!」
「あ、こら」

ぱっ

「いいでしょ? 減るもんじゃないし」
「まったく。お前にもバウリンガルがいるな」
「どれどれ。ふむふむ。なるほど」
「何がふむふむだ。お前になにかわかるのか?」
「わかるよ! だってわたし、女の子だも〜〜ん」
「いつからそうなった」
「いいの! ふむふむ。やっぱり男の子はダメね〜〜。エリオルも李くんもさくらちゃんのことが全然わかってないんだから」
「ほう。それならお前にはさくらさんの気持ちがわかるのか?」
「よ〜〜くわかるよ。さくらちゃん、李くんのことが本当に大好きなんだな〜〜って」
「どうしてそうなる?」
「だってそうでしょ。さくらちゃんの言ってたことちゃんと見てよ。どれにも必ず“小狼くん”が入っているでしょ? 食べものかオモチャは入っていないこともあるけど、“小狼くん”は必ず入っているのよ」
「なるほど」
「食べものもオモチャも“小狼くん”の次なのよ。さくらちゃんには“小狼くん”が一番なのよ。それがわからないかな〜〜?」
「たしかにそうだな。なるほど。僕も李くんもまだまだということか」
「う〜〜ん、さくらちゃん可愛い〜〜。こんなにラブラブっぷりを見せられると女の子としてちょっと妬けちゃう〜〜」
「だからいつから女の子になった」
「最初からよ!」

………………………
………………
………

「どうだ、さくら。おいしいか?」
「わぅ! おいしいよ! おいしいごはんをくれる小狼くん、だ〜〜い好き!」
「そうか」

END


バウリンガル、実際のところどんなものだったのでしょう。
たしか、本当に翻訳するのではなく、喜んでいるとか感情を表現するものだったと思いましたが。

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