『一番好きな人』

夕方の友枝町、ペンギン公園。
まだ人がいなくなるには早い時間だが、なぜか人通りが絶えている。
人通りがないだけではなく犬や猫、カラスや鳩といった動物たちも見当たらない。
まるで目に見えない『なにか』がペンギン公園を占有しているかのように・・・

そんな公園の一角で激しい闘いが展開していた。
クロウカードの新たな主「さくら」と謎の気配・・・当の昔に死んだはずのクロウ・リードと同じ気配を持つ存在との闘い。
その闘いも今はクライマックスを迎えようとしていた。
小狼の助言で『雨(レイン)』のカードを使うことを思いついたさくら。
魔法の呪文を唱えカードを掲げる。
そしてさくら自身の魔力によりカードを新しい姿へと変える・・・はずだった。

「さくら!?」
「さくらちゃん!?」

あとわずかでカードが生まれ変わるかと見えた瞬間、さくらの魔力が消滅した。
同時に糸が切れた操り人形のようにさくらが崩れ落ちる。意識を失ったようだ。

「なんや!?何が起きた!」
「さくら!」

かけ寄った小狼がさくらを抱き起こす。とりあえず呼吸をしていることは確認してほっとする。

「小僧、いったん引くで!このままじゃ危険や!」
「わかった!雷帝招来!」

再び襲い掛かってきた謎の気配を雷帝で吹き飛ばすと、さくらを抱えて公園の外に走り出す。知世を銜えたケルベロスがその後に続いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ここは・・・?」
「さくら!気がついたのか!」

なんとか気配の追撃を振り切って公園の外に逃れた一行はさくらの部屋に戻っていた。
さくらは1時間近く眠り続けていたが、ようやく目覚めたようだ。

「よかった・・・」

安堵のため息をもらす小狼。とりあえずさくらの無事な顔を見てケルベロス、知世、月もほっとする。
だが、さっきの事故についてはまるっきり原因がわからないままだった。

「魔力に問題はない。今も充分な力を感じる」
「それに『雨』を変えるのにそんなに魔力を消費するとも思えない。現に以前『雨』よりも高位の『水』をさくらカードに変えている。あの時はこんなことは起きなかった」
「それじゃあいったい、なぜ?」

月もケルベロスも思い当たるふしがない。

「お前、体の調子でも悪かったのか?」
「ううん、そんなことはなかったけど・・・」

当のさくらにも全く原因がわからない。
結局、本人も気付かない細かい疲れが溜まっていたのでは?という結論に至った。
さいわいにも今日は藤隆も桃矢も戻ってこない。
早く寝てぐっすり休め、ということになった。

「なにかあったらすぐに知らせるんだぞ」
「うん。今日はいろいろとありがとう、小狼くん」

帰宅する小狼を玄関で見送るさくら。
だが、小狼が背を向けた瞬間、さくらの心に痛みが走る。

「!?」

そして思い出した。
さっきカードを変えようとした時に起きたことを。
カードが変わろうとしたあの時、さくらの視界に小狼の顔が入ったのだ。
その瞬間、今と同じ痛みが胸に走り精神の集中が乱れた。

遠ざかる小狼の姿を見ながら、さくらはその『痛み』がなんなのかを考えていた。
夜、ベッドに入り目を閉じてからも先ほどの『痛み』の正体について考え続けていた。
・・・答えは見つからなかった。



翌朝、さくらはいつもよりも早く目を覚ました。

「ケロちゃんは・・・まだ寝てる。起こしちゃ悪いよね」

藤隆も桃矢もいないので一人だけで朝食を済ませると、気分転換に朝の散歩へと出かけた。
さすがに朝早くなので町には誰もいない。
一人きりの町の散策を楽しんでいるうちにペンギン公園に近づいた。

「あれ?小狼くん?」

誰もいないと思っていたペンギン公園に先客がいた。小狼だ。
どうやら拳法の演舞を行っているらしい。
邪魔をしては悪いかと思い、ペンギン大王の陰に隠れてこっそりのぞくことにした。

拳。
脚。
突き。
蹴り。
幼いころから修行を積んできた小狼の身体は、同級生の男の子たちとはまるで別の存在に見える。
一つ一つの動作がまるで舞いを踊るかのように優雅で、そして力強い。
一見、緩やかに見える突きの動作が、次の瞬間には目にも止まらぬ速さに転じる。
地を蹴った脚が、一瞬にして身長を遥かに超える高さを薙ぐ。
人の動きとは思えない。
二足で立ち上がった美しい狼の舞い。
さくらはその舞いにうっとりと見とれていた。

(あ・・・!)

小狼の構えが変わる。
半身で左拳を前に突き出し、右拳は肘を曲げて頭の後ろに添える。
それはさくらの記憶にある構えだった。

(なつかしい〜小狼くんと初めて会った時にやってた構えだ!)

初めて小狼と会ったあの日、カードをめぐって揉めた時に助けに入った桃矢に向けてとった構えだ。
あの時はすごい顔でお兄ちゃんをにらんでいたけど・・・などと考えていたが、ふと何かの違和感を感じた。
あの時と何かが違う。
さくらは最初何が違うのかわからなかった。
だが、小狼が一瞬だけペンギン大王の方に顔を向けた時に違和感の正体に気がついた。

目だ。
あの時は敵意に燃えた目でさくらと桃矢を睨んでいた。
だが今の目は違う。
決意と覚悟を秘めた目。
桃矢が月に魔力を渡した時と同じ目。
月が桃矢に「主を守る」と約束した時の目。
『誰か』を守ると誓った者の目。
『誰』を・・・?

『・・・おれが本当に好きなのは・・・好きなのは・・・!』

雪山で小狼と交わした会話を思い出す。
それは・・・誰?
さくらはなぜカードを変えるのに失敗したのか・・・その理由に気がついた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

小狼が朝早くから演舞を行っていたのはやはり、昨日の出来事が原因だった。
何かわからないがさくらに異常がある。
なのにさくらの助けになれない自分がもどかしい。
その鬱憤を晴らすために体を動かしていたのだ。
一通りの型を演じ終わった時、背後に人の気配を感じた。
振り返るとペンギン大王の陰にさくらが立っていた。

「どうした!また何かあったのか?」
「え?あ、おはよう小狼くん。ちょっと通りかかったら小狼くんが見えたから・・・今日はまだ何もおきてないよ」
「だったらなんで泣いてるんだ?」
「え・・・?」

さくらは自分が泣いていることに気付いていなかった。

「あ、あれ?なんでだろ。ほんとに何でもないよ!」

そう言いながらも涙が止まらない。次から次へとこぼれ落ちてくる。
さすがにそろそろ人が通り始めてきたので、気まずくなった小狼は場所を移すことにした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「落ち着いたか?」
「うん。ごめんね小狼くん」

小狼の部屋に入ってようやくさくらは泣くのをやめた。
だが表情は依然として変わらない。

「何があったんだ?」

小狼の問いにもうつむくばかりで答えない。
自分には答えにくいことなのかと思い、知世を呼ぼうかと立ち上がりかけた時にさくらが口を開いた。

「小狼くんの好きな人って・・・誰?」

一瞬、小狼はさくらが何を言っているのかわからなかった。

「?なんでそんなことを?」
「だって小狼くん、言ってたでしょ?雪兎さんじゃない、本当に好きな人がいるって・・・あの写真に写ってた子?」
「写真?」
「この間遊びに来た時に見てた写真・・・香港から送られてきたって言ってた写真」
「・・・!」

小狼もさくらが言っている「写真」が何なのか思い出した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一週間前。
知世と一緒に小狼の部屋に遊びに来た時のこと。

「小狼様。お姉さまたちからお手紙が届いています」

偉が一通の封筒を小狼に手渡していた。
封筒には手紙と何枚かの写真が入っていたようだ。
手紙を読んだ小狼は少しだけ赤い顔をしていた。
そして放心したように同封されていた写真に見入っていた。
気になったさくらが写真をのぞきこもうとすると、

「な、なんでもない!これはお前に関係ない手紙だ!」

と言ってあわてて写真を隠してしまった。
その時、一瞬だけ写真に写っているものが見えたのだ。
顔はよく見えなかったが、チャイナ服を着た女の子らしい。
苺鈴かと思ったが髪の色が違う。
さくらは小狼がその女の子をとても大切にしている、と直感した。

その時からだ。さくらの心に『棘』が刺さったのは。
さくらは薄々感じ取っていた。友枝町で起きている謎の事件が「カードを変える」ことに関係しているのではないかと。
「カードを全て変え終わった時」が「謎の事件の終わる時」ではないかと。
そしてそれは、「小狼が日本にいる理由」が無くなる事を意味している。
小狼はさくらがクロウカードの後継者に決まった時、一度は香港に帰ろうとしていたのだ。

『・・・まだ・・・当分いる』

それが日本に残ったのは、謎の事件が起きるようになったからだ。
謎の事件が解決すれば小狼は香港に帰ってしまう。
その不安はこれまでも漠然と感じていた。
ただ、さくらは「小狼の好きな人」を知らなかった。
そのため、「小狼の好きな人」は日本にいるのでないか?
小狼は好きな人の側にいる為に日本に残るのでは?という淡い期待があった。

だが、あの写真の少女が「小狼の好きな人」ならば小狼が日本に残る理由は無い。
小狼は喜んで香港に帰るだろう。
彼が本当に守りたい人のもとへ・・・
そして二度と日本には戻ってくるまい。

昨日感じた『痛み』の正体はその不安。
「小狼を永久に失う」という恐怖がもたらすものだった。
今のさくらにとって「カードを変える」ことは小狼との別れを早めることを意味する。
それが無意識のうちにカードを変えることを拒否してしまったのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「がんばるから!もう泣かないから!小狼くんが早く好きな人のところに帰れるようにがんばるから!」

言いながらまた涙が零れ落ちてきた。
もう、さくらは自分が何を言っているのかもわからなくなっていた。
なぜ、自分は泣いているのか?
小狼との別れがどうしてこんなに苦しいのか?
小狼はただのお友達ではないのか?
小狼は自分にとって一体何なのか?
何もかもわからなかった。
ただ一つ、わかっているのは小狼の答えを聞かないかぎり、もう一歩も前に進めないということだった。

「だから・・・教えて・・・小狼くんの好きな人」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「・・・わかった」

さくらの涙に促されて小狼はついに決心した。

「あの写真に写っているのがおれが一番好きな奴だ」
「そう・・・」

思ったより衝撃は少なかった。予想がついていたからだろうか。

「なんて名前?どんな子なの?あの写真ちゃんと見せて!」

いつまでも泣いていたら小狼くんを困らせてしまう・・・
無理やりに明るい声を絞り出す。

「その前に約束してくれるか?」
「なに?」
「もう、泣かないって・・・それと・・・」
「それと?」
「おれが・・・おれが『一番好きな奴』と一緒にいられるように頑張るって・・・約束してくれるか?」
「うん!がんばるよ!小狼くんが一番好きな人と一緒にいられるようにがんばるよ!」

さくらの答えを聞くと小狼は無言で棚から一通の封筒を取り出す。
そして一枚の写真をさくらに手渡した。

「これがおれの一番好きな奴だ」

さくらは震える手で写真を受け取る。
涙でゆがんでよく見えない。
両手で目をゴシゴシこすってから再び写真を見つめる。

「あれ・・・?」

写真に写っていたのはチャイナ服を着た女の子。
栗色のショートカット。
特徴的なお団子あたま。
小狼の姉たちに囲まれて笑っているのは・・・

「これって・・・わたし?」

写真に写っていたのはチャイナ服を着たさくらだった。

「去年、香港に来た時の写真だ」
「あの時の・・・」

さくらは思い出していた。
昨年、商店街の景品で当たった香港旅行に行った時のことを。
クロウ・リードを想う女魔道士と戦った時のことを。
あの時、たしかに小狼の姉たちにチャイナ服を着せられて何枚かの写真を撮った。
その時の写真だ。

「え?えぇっ??これが小狼くんの一番好きな人・・・?」

さくらは混乱していた。
この写真に写っているのは間違いなく自分だ。
ということは???

「そうだ。おれが好きなのは・・・さくらだ」

・・・さくらの頭の中が真っ白になった・・・
小狼は何を言っているのか?
自分を安心させるためにウソをついているのではないか?
あまりの衝撃に頭がついていかなかった。

「う・・・そ・・・?」
「うそじゃない。さくらが好きだ」

小狼が続ける。

「あの人への想いが、ただ月の魔力に惹かれていただけだと気づいたとき・・・自分の本当の気持ちに気がついた。・・・好きだ・・・さくら」

さくらの手から写真が落ちる。
そして再び涙が零れ落ちる。
さっきまでとは全く違う涙が・・・
小狼があわててさくらの涙を拭う。

「もう、泣かないって約束しただろ?」
「でも・・・でも・・・止められないよ!わたしも・・・わたしも小狼くんが好き!」

かあ〜〜〜っ!と小狼の顔がまっ赤になる。さすがに面と向かって告白されると恥ずかしいらしい。
照れ隠しなのか、いきなりさくらを強く抱きしめた。

「ほ、ほえ?」

びっくりして離れようとするがガッチリ抑えられて動けない。

「動くなよ・・・おれが『一番好きな奴』と一緒にいられるように頑張ってくれるんだろ?」
「うん・・・」

安心して小狼の胸に顔をうずめる。
小狼の鼓動を間近に感じる。
一番大好きな人の存在を・・・

「これで今日からまた、頑張れるな?」
「うん!」

このまま時間が止まってしまえばいい・・・
互いの温もりを感じながら二人はいつまでも抱き合っていた。

『絶対、大丈夫だよ!(二人なら)なんとかなるよ!』

END

戻る