『香港物語』

魔都香港。
中華と西洋が入り混じった都。
この文明の世でいまだに魔の雰囲気を漂わせる街。
その香港で隠然たる力を持つ李一族。
『権力』と『魔力』。表と裏、両方で絶大な力を有す一族。

その若き当主、小狼。
まだ十代半ばという年齢だが李一族の当主という『権力』、そして彼自身の持つ強大な『魔力』ですでに政治の場にまで影響を及ぼす存在となっていた。
香港の為政者たちですら彼の意に逆らうことは難しい。

・・・その彼に身寄りのない無力な少女が逆らうことなど不可能なことだった。



「やめてください!」

李家邸宅の一室、奥まった部屋の中に少女の悲鳴がひびく。
彼女の名はさくら。李家に仕えるメイドの一人。
両親を失い、病身の兄を助けるために働いている。
明るく、誰からも愛される優しい少女だ。
だが、今はおびえた表情で半ば千切られたメイド服を押さえて震えている。
そんなさくらに冷たい視線を浴びせているのは・・・この部屋の主、小狼だった。
引き千切ったメイド服の断片を捨てて豪奢な椅子から立ち上がる。

「こんな時間に男の部屋に呼ばれるのがどういう意味か、わかるだろう?」
「やめてください!人を呼びますよ!」
「呼べばいい。誰も来ないだろうがな」

冷酷な笑みを浮かべながらさくらににじり寄る。
人を支配することに慣れた者のみが浮かべる酷薄な貌だ。

「それとも人に見られている方がいいのか?」
「!」

卑猥な言葉をかけながらさくらの手を掴み引き寄せる。
そして値踏みをするかのような目でさくらを見つめる。
さくらは必死でその手をふりほどき、出口の扉へと走り出す。
しかし・・・

「桃矢とかいったか?お前の兄は」

背後からかけられた声に愕然として足を止めてしまった。

「ずいぶん重い病気らしいな。薬代だけでもかなりの金が必要だろう?」
「お、お兄ちゃんのことは・・・」
「お前の給料でどこまでもつかな?」

喋りながら立ちすくむさくらにゆっくりと近づく。
あと一歩というところまで近づくと再び脅迫の台詞を浴びせる。

「もっとも、李家に逆らった者に薬を売ってくれる病院など無いだろうがな」
「卑怯です!」
「強制はしない。逃げたければそのドアから出るがいい。兄がどうなってもいいならな」

猫がねずみをいたぶるようにしてさくらを苛む。
ただ一人の肉親となった兄を見捨てて逃げることなどできるさくらではない。
がっくりと力を失いその場に崩れ落ちる。

「無駄な抵抗を・・・まあ、その方が楽しめるがな」

しゃがみこみさくらの顎に手をかけて無理やり引き起こす。
さくらの頬を絶望の涙が流れる。
そして小狼の手がさくらの胸に・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「カ〜〜〜ット〜〜〜!!!」

いきなり場違いな大声がメガホンで響き渡る。
あわてて離れるさくらと小狼。

「小狼〜〜〜ちゃんと台本見てるの〜〜〜?」
「そうですわ〜李くん。台本どおりの表情をしていただきませんと〜〜〜」

どこからわいて出たのか、メガホンを持った苺鈴とビデオカメラを抱えた知世が小狼に詰め寄ってきた。

「そんなこと言ったって・・・だいたい何だこの台本は!『けだものの笑みを浮かべながら』って!どんな表情なんだよ!」
「こんな顔ですわ〜〜〜(にやっ)」(※劇場版「封印されたカード」冒頭の笑い方)
「と、知世ちゃん、物凄く悪い人に見えるよ・・・」
「とにかく、こんな様ではさくらちゃんの初主演映画『メイド無残物語・散花の章』は完成しませんわ〜〜〜」

(なんてタイトルだ!)と心の中でつっこむ小狼。もちろんそんな「無言の抗議」など知世に通じるわけがない。

「いったん休憩ですわ〜〜〜」
「小狼、この鏡でも見ながら練習しておいてね!」

と、一方的に言いたいことを言いまくると知世と苺鈴は出て行ってしまった。
取り残されるさくらと小狼・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ったく、なんて奴らだ!」

ようやく我に返った小狼が毒づいた。

「さくらも無理して付き合う必要はない。いやならやめてもいいんだぞ?」
「いえ、そんなことはないです!映画の撮影なんて初めてですし・・・わたしも楽しいです」
「でも、さっき泣いてたじゃないか。お芝居であんな涙が出せるのか?その・・・俺が本当に怖かったんじゃないのか?」

そう、さっきのNGはさくらの涙を見た小狼が台本に反して一瞬、ためらいの表情を浮かべてしまったからなのだ。
この御曹子様はさくらの涙にとことん弱い。それが彼のいいところではあるが。

「あれは目薬です」

さくっと返されてずっこける。
いつの間にそんなものを・・・なんか最近、大道寺の奴に毒されてきてるんじゃないのか?
・・・などと考えていたら、さくらの格好が半ばまで胸を露出させた扇情的なものであることを思い出して目のやり場に困ってしまった。

「と、とにかく、その服をなんとかしろ!いつまでもそんな格好をされると・・・(我慢できなくなる!)」

さくらも自分の格好に気付いてあわてて両手で胸を隠す。

「奥の部屋に代えのメイド服がある。そこで着替えて来い」

と言ってさくらから目を背ける。
一瞬、小狼に指示された方へ顔を向けたさくらだったが、何を思ったのか胸を隠していた手を下ろして小狼の肩によりそった。

「お、おい!?」
「わたしには・・・こんなことくらいしかできないですから・・・」
「さくら?」
「小狼様のおかげでお兄ちゃんは助かりました・・・お兄ちゃんの薬、どんなに高価なものかは苺鈴様に聞いています。わたしが一生働いても買えないくらいだって」
「俺が勝手にやってることだ。お前が気にすることはない」

相変わらずそっけない返事しかできない小狼。だが、さくらは

「それでも・・・わたしは・・・わたしに出来ることで小狼様に報いたいんです」

そう言って小狼に抱きついた。
瞬間、小狼に凄まじい激情が走った。
このまま手を伸ばしてさくらを掴みたい。
さくらの全てを自分のものにしてしまいたい。
その欲望に身をまかせてしまいたかった。
しかし、小狼の口から出た言葉は・・・

「俺じゃなくてもそうするのか?」
「え?」
「もしもお前の兄貴を助けたのが俺じゃなかったら?他のやつがお前の兄貴を助けたら?そいつにも同じことを言うのか?」
「違います!わたしは・・・小狼様だから・・・小狼様にしか・・・!」
「だったらそんな真似はやめてくれ」

言いながらさくらを引き剥がす。そしてさくらの目を見つめながら続けた。

「俺はさくらとのことはちゃんとしたいんだ。まだ母上の許可はいただいてないけれど、いずれはさくらを正式に李家の一員に迎えたい。だからそれまでは・・・」

二人の影が重なる。
唇に触れるだけの優しいキス。

「これで我慢してくれ」
「・・・はい・・・小狼様」

柄にもない台詞が恥ずかしかったのかまっ赤になって黙り込む小狼。
さくらもまっ赤だ。
そんな二人を香港の風が包む。

魔導の都、香港。
それを支配する李家にさくらのような何の力も持たぬ者を迎えるということがどれほどの困難を伴うかは小狼もさくらも理解している。
それでも・・・この二人ならばどんな困難も越えられるだろう。

END



・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・

「(ほほほほほほ〜〜〜思ったとおりいい絵が撮れましたわ〜〜〜)」

ここは小狼たちのいる部屋の隣の部屋。知世と苺鈴がのぞき穴から小狼たちの様子を窺っている。もちろんビデオカメラ持参で。

「(小狼ってほんとにグズね!そこで押し倒してキメちゃえばいいのに)」
「(そこが李くんのいいところですわ〜)」

どうやら引っ込んだように見せたのはウソで最初から小狼とさくらを二人きりにして隠し撮りをするつもりだったらしい。

「(でも、この調子じゃいつまでたってもこの先に進展しないわよ?)」
「(その時はまた、こちらで手をうちますわ〜〜〜おほほほほほ〜〜〜〜〜〜)」

魔都に邪悪(?)な笑い声がこだまする・・・。
小狼は夜蘭さえ説得できれば何とかなると考えているようだが、それより先にこの二人を何とかすることを考えた方がいいのかもしれない・・・。

えんど。

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