マイ・スウィート

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「まったく!! 君は何度言ったら解るのかね!!」

私が放った怒声に糸鋸刑事の首がビクリと竦められる。

現場の初動捜査に於いて、またもや大きな見落とし……
もう我慢がならん!!

「次の給与査定……楽しみにしていたまえ」

敢えて聞こえるか否かのぎりぎりの音量で呟く。
勿論糸鋸刑事が聞き落すわけもない。

「ううう……相すまねっす……」

こちらもまたボソボソと呟くように言って項垂れる。
しかしこんなことで時間を損している場合ではない。

「もういい。とにかく、成歩堂が指摘してきた矛盾点……今度こそ見落とすな!」

本来ならば私が直に現場に立って指示したい所だが、複数の案件を抱えている身としてはそうもいかない。

糸鋸刑事が完全に無能というわけでもない。
事実私の指示には忠実に従う。
ただ、成歩堂が法廷に立つ時には、大抵狡猾な真犯人や、一癖以上ある証人たちによって事件が混迷を極めることが大半なだけだ。
糸鋸はある意味運が悪い男とも言える。

「行きたまえ!」
「了解っす!」

いくつかの指示を与えると、刑事を現場へと追いやった。

一気に静かになった執務室で、私は気分を変えるために紅茶を淹れることにした。
その時間は私にある種の鎮静をもたらす。

「成歩堂……」

湯を沸かす間、私は知らぬうちに今日の法廷を思い出していた。
相変わらず勝ち目の薄い弁護を引き受け、今日も冷や汗の掻き通し……
それなのに彼の鋭い突っ込みはまたもや無視できない矛盾を暴き出した。

それは毎度の事なのだが……

「……フフッ」

いつからか……

あの青いスーツの弁護士を思い出す度に、私の心に温かいものが湧き起こるようになっていた。

以前であれば、間違いなく今頃は荒れ狂っていただろう。
法廷で捜査や証言の矛盾を指摘される度、正直私の血圧は上がっていたに違いない。
怒りと、くだらない矜持が私の眼を曇らせていた。

それを悉く打ち砕かれた果てに私が辿り着いた真実が、今の私を形作っている。

その為に要した時間の間に、私は一度、彼を深く傷つけてしまった。

「……!」

胸に走った微かな痛みに、私は軽く眉を顰めた。
失踪した末に再会したあの時の成歩堂の顔が今でも胸を締め付ける。

漆黒の強い瞳が、怒りと侮蔑、そして微かな哀しみを込めて私を見据えたのだ。

もう、あのような瞳は見たくない……
いや、二度とさせない……

湯が沸き、紅茶をサーブする。
透明なポットの中で踊る茶葉を見つめながら、
再び思い出すのはこの茶葉をプレゼントしてくれた時のはにかむような成歩堂の笑顔……

『気に入ってくれたら良いんだけど』

紅茶の事など詳しくは無いだろうに、私の為に必死に選んでくれたのが嬉しくて、つい彼を抱きしめてしまった。

その時の彼の温かい身体と柔らかい唇の感触……

「ムッ、いかんいかん……」

危うくその先を思い出しかけ、私は慌てて思考を現実に戻すと、紅茶をカップに注ぎデスクに戻った。

考えてみると、これを貰ってから以降まだ会っていない。

紆余曲折を経て、自らの本心に気付き、その心を手に入れた……
今の私にとって彼は此の世の誰よりも大切な存在だ。

だからこそ決して軽蔑などされたくは無い。
逢いたい気持ちを抑え、私は公判の書類に目を通す。

この案件が終わったら、彼を連れ去りに行こう……
心に決めて、私は再び仕事に集中することにした。


 
公判はやはり、と言うべきか、被告人の無罪と真犯人の検挙で幕を閉じた。
私は逸る気持ちを抑え、成歩堂のいる控室へ向かう。

「あ、ミツルギ検事!」

控室のドアを開けると、元気いっぱいの声に出迎えられた。

「ム、真宵君、お邪魔だろうか」

成歩堂と兄妹か? と疑いたくなるような大きな黒い瞳をした少女に声を掛ける。

「大丈夫ですよ。今、依頼人とお話ししてますけど」

見れば今回の被告人であった中年男性が成歩堂の手を握り締めている。
感極まったか目に涙を一杯に溜め、額に汗しながら握り締めた手を振り回していた。

……早く手を離さんかッ、馬鹿者!!
大体審理の間も落ち着きのない男だった。
もう少し落ち着きがあれば無実の罪で起訴などされずにすんだのだ!

完全に八つ当たりと分かっていながらも、ついイライラとそのようなことを思ってしまう。
己の狭量さに半ば呆れはしたが、いかんせん歯止めが利きそうにない。

それに成歩堂……君も君だ。いつまでそんな奴に手を握らせておくつもりなのだ?
いい加減に振りほどきたまえ!

「……ミツルギ検事、眉間のヒビ……」

真宵君の小さな突っ込みが聞こえ、私は何とか理性を取り戻す。
成歩堂も私に気付いてしきりにちらちらとこちらを伺っていた。

後で覚えていたまえ、成歩堂……
私がしっかりと消毒して差し上げよう……

私は軽く咳払いすると真宵君に向き直った。

「今回の審理も大変だったな」

ねぎらいの言葉を掛けると、真宵君が大仰に溜息を吐く。

「ほんとーーーーに、大変でした。やっぱり今回も崖っぷちで……なるほどくんピンチ体質だから」
「確かにな。まあ、逆に言えば成歩堂が自らそういった仕事を選んでいるとも言えるが」
「星巡りか、何か憑いてるのか……今度本気でおねーちゃんに相談してみようかな」
「それはいい考えかも知れないな」

しかし憑きものがあったとして、綾里弁護士が黙って見ているとは思えないが……
いや、むしろ憑いているとしたら……

こわい想像をしてしまい、慌ててそれを振り払う。

ちらりと成歩堂の方に眼をやれば、いまだに依頼人に手を握りしめられていた。

或いは憑いてるのはこの中年男か……?

更にイライラが募りそうになり、視線を外し真宵君に向き直ると、

「ところで、今回はちゃんと食事などは摂れていたのだろうか?」

十中八九有り得ないことを承知の上で尋ねる。

「いつも通りです」

案の定、真宵君は諦めたように首を振った。

それはそうだろう……
大体彼が選ぶ仕事はいつも必要以上に胃に悪そうなものばかりだ。
その上ご丁寧なことに彼が係る事件の関係者は、いつも揃いも揃ってこちらの関係者の胃にまでダメージを与えてくれるのだ。
況や成歩堂をや……

本気で転職を勧めてみようか……

彼の師匠が聞いたら間違いなく化けて出そうだが、いざとなったら全面対立でも何でもしてくれる……
まあ、思った所で実行になど移せはしないが、思うだけなら許されるだろう……

私はやれやれ、と肩を竦めて苦笑した……二重の意味で。

「だろうな……では、今日は私が拉致しても構わないだろうか?」
「どうぞどうぞ! 明日はアポも無いですし!」
「明日の朝は事務所まで必ず送ろう。それで良いだろうか?」
「はい! 何ならそのまま拘束しちゃってください」

つまりそれだけまた無理を重ねたという事か……

「心得た」

私が頷くと、真宵君が応えるように微笑んだ。
その微笑がふとその姉である綾里弁護士と重なる。

「お願いしますね」
(お願いね)

声まで重なった気がして、私は思わず苦笑した。

「……ごめんごめん、待たせたね」

やっと依頼人から解放された成歩堂が、私たちの方に駆け寄ってきた。

「おつかれ、御剣。真宵ちゃんと何話してたの?」
「お疲れ、成歩堂。今日の法廷の話をしていたのだ」
「なるほどくんの崖っぷちぶりをね!」
「えーーーっ、ひどいな、それ」

私たちの言葉に成歩堂は思いっきりむくれてみせる。
同い年とは思えぬ表情に笑いを誘われそうになるが、残念ながら私の表情筋は彼ほど柔軟には出来ていない。

結果、私はフッ、と笑うに留め、肩を竦めてみせる。

「用事は済んだか? 成歩堂」
「ああ、うん。もう後は軽い事後処理をして終わりだよ。御剣は?」
「私ももう済ませてきた。今日は直帰にしてある」
「そっか」

成歩堂の眼が、優しい笑みを湛える。
心底ほっとしたような笑顔……間違いなく私の身体を案じての事だ。
愛しさが込み上げるが、ここはまだ公の場……衝動のままに抱きしめる訳には行かない。
一刻も早く二人きりになりたいが……

楽しみは後に取っておくことにする。

「今から食事でもどうだろうか? 私が奢ろう。勿論、真宵君も一緒に」
「え!? 良いのか? ……でも」

成歩堂が不安げに真宵君に視線を走らせる。
その視線の意味をどう受け取ったのか、真宵君は子供のように頬を膨らませた。

「何よ、なるほどくん! その眼は!」
「いや……真宵ちゃん、さっき味噌ラーメン食べに行くって……」
「モチロン、なるほどくんの奢りでね! あ、ミツルギ検事でもモチロンいいよ!」
「いやいやいや……だからさ、って、やっぱり味噌ラーメンは譲れないの?」
「譲る気、絶対なし!!」
「……なんだよね」

困り果てたように私の方へと視線を向け直す。
私は何を困るのか解らず首を傾げた。

「私は別にラーメンでも構わないが?」
「え、でも……」
「何か問題でも?」
「いや、問題ってほどでもないけどさ……」

何かを言い淀み、成歩堂は眉根を寄せる。

「もしかして君は他のものが良いのか?」
「そうじゃなくて……似合わないからさ」

ぼそぼそとそう言って目を逸らす。
目元がうっすらと赤らんでいるようにも見える。
可愛い表情につい私は彼の肩に手を回してしまった。

「私だってラーメンくらい食べに行くこともある。気にするな」
「……真宵ちゃん、食べるよ。相当」
「ならば君も負けずに食べたまえ……では、行こうか、真宵君。案内してくれたまえ」
「……どうなっても知らないよ」
「なるほどくん、あきらめる! 行きましょ! ミツルギ検事!」

結局どうあがこうと成歩堂は真宵君には勝てない。
その一声に成歩堂も観念し、私たちは控室を後にした。

 
「ごちそーさまでした!!」

大きな空のどんぶりを前に、真宵君が満足したような笑みを浮かべていた。

「ごめんな、御剣」

対照的に成歩堂は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる。

「いや、気にするな。たまにはこういうものも良い」
「驚いただろ? 真宵ちゃんの食欲」

スペシャルラーメン大盛りに替え玉三つ……
おまけに別腹とばかりに頼んでいたのは鶏のから揚げ……
確かに多少驚きはしたが、豪快な食べっぷりはむしろいつ見ても小気味いい。

それよりも気になるのは……

「君ももっと食べてよかったのだぞ? 足りたのか?」

成歩堂の目の前にあるのは並みのどんぶり一つ……
きちんと空にはなっているが……

「そういう御剣だって、僕と大して変わらないじゃないか。真宵ちゃんと比べたらダメだって」
「生憎だが私は君よりおにぎり二つ分余計に食べているぞ」
「そうだよ、なるほどくん! 食べないと大きくなれないんだから」

真宵君の茶々に、大人げなく成歩堂が噛み付く。

「これ以上は横にしか大きくなれません!」
「分かんないよ~? もっと縦が伸びるかも」
「分かるって! それに僕はこれ以上は別に身長要らないから!」

いつの間にか二人の会話が漫才のようになってしまった。
こうなるともう、いつ収束を見せるか分からない。

「会計を頼む」

ぎゃあぎゃあと言い合う二人を取り敢えず置いておき、私は会計を済ませた。

律儀な成歩堂の事だ。
私が奢るといっても、真宵君の分は無理してでも出そうとするに違いない。

「毎度!」

店主の声に成歩堂が振り向く。
その顔にあからさまにしまった、と言う表情が浮かんでいた。

一方、真宵君は全く気に留める様子も無く、満面の笑みで両の手を合わせた。

「ごちそー様でした! ミツルギ検事!」
「ああ、構わない」

時計を確認するともう8時になろうとしている。

「もうこんな時間か……ついでだ、送って行こう」

どちらにせよここからなら私のマンションの途中に駅は位置する。
そこから成歩堂のアパートは方向が違うことになるが、この際それは考慮に入れない。

私は二人を乗せて、駅に向かった。

駅のすぐ近くの駐車場に車を止め、真宵君を降ろす。

「お世話になりました~」
「うム、気を付けて」
「今日はお疲れ様。気を付けて帰るんだよ」
「大丈夫だよ! それよりなるほどくん、明日は?」
「うん? 僕はいつも通り出るよ。真宵ちゃんは? 今回も大変だったから明日は休んでも良いよ?」

成歩堂の言葉に、真宵君がちらりとこちらに視線を走らせる。
私は成歩堂に気付かれないようにそっと頷いて見せた。

真宵君はそれに応えるようにニッ、と笑う。

「じゃ、あたしも出るよ。なるほどくん一人じゃ頼りないから!」
「頼りないって……心外だけど……分かったよ」

反論する気力も萎えたのか、成歩堂は苦笑混りにそう言った。
本人は気付いていないようだが、さすがに疲労の色が隠せなくなってきている。

「じゃあもし、何かあったら言ってね。留守電にでも入れてくれたらいいから」
「無いとは思うけど……分かったよ」
「じゃあね、なるほどくん、ミツルギ検事。おやすみなさい」

走り去っていく真宵君の後姿を車の中から見送りながら、成歩堂が苦笑を漏らす。

「……全く、そんなに頼りないかな、僕は」
「きっと心配なのだろう……君の事が」
「普通逆だと思うんだけど……」

呟きながら成歩堂は固まってしまった背中を伸ばすように大きく伸びをした。

「どこかに飲みに行くか?」

エンジンを掛けながら尋ねてみる。
しかし成歩堂は首を横に振った。
その口元に若干寂しい微笑が浮かぶ。

「いや、ここで降りるよ。僕の家、ここからだと反対方向だし、御剣も明日仕事だろ?」
「君は私とは一緒に居たくないのか?」
「そんなんじゃないけど……」

成歩堂が言い淀む。私と眼を合わせようとしない。

「そうじゃないのならば、何なのだ?」

私は人目が無い事を確認すると、成歩堂の頬に手を添え自分の方を向かせた。
しかし成歩堂はやはり視線を下に向けている。

「私の眼を見ろ、成歩堂」
「御剣……」

やっと眼を上げ私に視線を合わせる。
案の定、その瞳は潤んでいた。

「君の都合が悪いのならば諦めるが、もし私の為と言うならば……」

囁くように言いながら軽く唇を合わせる。

「今日は私の家に泊まってくれ」

もう一度、今度は更に深く口付ける。
このまま落としてしまって連れ帰りたい思いを堪え唇を離すと、成歩堂が私の胸に額を押し当ててきた。

堕ちる寸前の合図だ。
普段滅多にその本心を表に出すことが無い成歩堂が、自分を抑えきれなくなった時にだけ示してくる合図……

こうなれば後はどれだけ成歩堂が抗って来ても同じ事……

チェックメイト……
私の勝ち、だ。

私は計画を実行に移すべく、三度成歩堂に口付けを施した。
吐息をも奪うほど激しく、彼の最後の抵抗も奪う……

影の所長の許可はもう取ってある。
今夜はもう、離すつもりは無い。

成歩堂の身体から力が抜けたころを見計らい、口付けを解く。
そのままその吐息に合わせる様に囁いた。

「私の部屋で飲もう……嫌だと言っても連れて行く……無駄な抵抗はやめたまえ」
「も……バカ……明日も仕事だっていうのに……」

成歩堂の頭がコトリと私の肩に乗せられる。
切れ切れの息がスーツ越しに私の鎖骨を温めた。

「だから嫌だったんだ……こんなにされたらもう、抵抗なんて出来ないじゃないか……」

抗議の声も弱々しい。
私はその声と温かさに愛おしさを募らせながら彼の髪を梳いた。

「抵抗などしなくていい。そんなものは法廷だけで充分だ」
「……うん」

頷きと共に恋人の全体重が私の腕に掛かる。

…………やっと、堕ちた。

「……それでいい」

微かに微笑んで私は成歩堂の身体をシートに戻すと、車のギアを入れ家路についた。

 
「ラーメン……」
「ム、何だ? 足りなかったのか?」

マンションに向かう車の中、微かに呟かれた声を聞き咎めて言葉を返すと、隣で微かに苦笑する気配がした。

「違うよ……ラーメン食べに行くってお前が言ったから、今日はもうそれで終わりかなって思ってたんだ」
「終わり?」
「だってさ……キス、とかし辛くなるかなって……御剣、そんなイメージ無いから」
「……そうなのか?」
「うん。それに嫌じゃないか? ラーメン味のキスなんて」

確かにそう聞けば色気は無いが……
その言い分は可愛過ぎるぞ、成歩堂……

「嫌だったか?」
「…………嫌じゃなかったけど」
「……けど?」
「……諦めてたのかな。今日はもう、すぐに帰るんだって。でもまだ平日だし、そっちが良いのかもって、何処かでホッとしたりしてた自分も居て……」
「ホッとした?」

呟く言葉に聞き捨てならないものを感じ、私は問い返す。

「君は帰りたかったのか? 一人で」
「そんなんじゃないよ。御剣と居たくないんじゃない……逆、だよ」
「……逆?」

私と居たくない、ではなく、本当は私と居たい……

……なるほど

「……堕とされるのが怖かったのか」
「……かも、ね。と言うか、僕自身、歯止めが利かなくなりそうだったから……」

赤信号で車を止め、ちらりと成歩堂の顔を見る。
前を向いたまま俯くその目元が赤いのは、信号に照らされてだけではないだろう。

「この頃ずっと逢えてなかったし……でも、我儘言って御剣を困らせたくなかったから」
「時には困らせてみたまえ」

私は苦笑を隠すことなく言う。

「私は君に、我儘で困らせられたことなど一度も無いぞ」

それ以外の、往生際の悪さにはいつも困らせられてはいるが……
敢えて口に出さず心の中だけで付け加える。
それを堕とすのも楽しみではあるが、時には素直に甘えてもらいたいものだ。

そう思っていたら、言葉がそのまま出てきた。

「たまには素直に甘えてみたまえ」
「……いつも甘えてるつもりなんだけどな」

成歩堂が再び苦笑する。

「君が甘えてくるのは事件の時だけだろう」

信号が青に変わり、私は再び車を発進させた。

「そうだっけ?」
「ああ、君が欲しい資料が私の手元にある時だけだ」
「それ以外にも甘えているつもりなんだけどな……食事の時とか……」

苦笑の気配を滲ませたまま、成歩堂が独り言の様に呟く。

「それに、溺れちゃったら、本当に自分が止められないからね……」

だからこそ溺れさせてみたいのだ……

もしその為に成歩堂が私に依存することになろうとも……
いざとなれば私が全てを引き受けても良い……

出来るならば囲ってしまって片時も離れていたくない……
それが私の本音だから……

しかし、決してそうはならない……

それもはっきりと確信している。
たとえ成歩堂が恋に溺れたとしても、もう彼は立派な大人だ。
自分で思っている以上に理性的で、強すぎるほどの自制心で出来ている。

以前受けたという失恋の痛手だけではない。
今の彼を彼たらしめている弁護士と言う仕事が、彼を法廷と言う現実に繋ぎ止めている限り、
彼は決して自分を見失う事は無いのだ。

しかし、だからこそ……

「君が出来ないというならば……」

私は口元に笑みを浮かべながら言った。

「私が君を溺れさせよう」

ハッと息を飲む気配がする。
見えなくても、成歩堂が驚いたようにこちらを凝視するのが気配で分かった。

「み、みつるぎ……?」
「心配しなくていい……私に溺れてみたまえ」

時には辛い現実を忘れるために……
抱え込み過ぎて、崩壊する事の無いように……
私の言葉に数瞬成歩堂は黙り込み……
やがて小さな声でぼそりと呟いた。

「……溺れてみたい……かな……」

そして更に小さな声で囁くように言った。

「今夜は……御剣の好きにして良いよ」
「……承知した」

私は頷くと、アクセルを少し踏み込んだ。

愛しい者との時間を無駄にしないために……


一刻も早く、彼をこの手に抱くために……

END