邪馬台国は何処? | 卑弥呼時代の畿内 | 弥生人はいつどこから来た? | DNAからみた日本人 | マシンビジョンの基礎知識 | “生肝体移植を受けて” |
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古代を語る会のお知らせ 隔月に集りをもっています。 気軽に参加下さい。 第57回 「日向三代と倭国大乱」 日時:2024年11月30日(土) 会場 :さいたま市市民会館6F 集会室8 詳細は、案内(ここをクリック)してご覧下さい。 |
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主要なテーマは3つです
1)邪馬台国は何処にあったのか?
卑弥呼が九州に居た時に、畿内では?
2)弥生人は、いつ、どこから日本に来たのか?
3)DNAからみた日本人の起源は?
1) 邪馬台国の謎解明の鍵は、魏志倭人伝の正確な読み直し、日本渡来の交通手段の解明です。
魏の使者は大型帆船で直接博多湾に到来し、上陸。 邪馬台国は筑後平野にあった。
九州上陸地点を唐津とした従来の説の誤りを正した。
・ 同時代に畿内では何が起きていたのかを、検討した結果を試みに示します。
2) 秦の始皇帝の時代に民族滅亡の危機にあった“倭人”(徐福一行)が大船団で黒潮に乗り到来したのが弥生人。
秦の中国統一に使われた最新の鉄器・神聖な輝く青銅器と水田稲作と日本伝統の文化をもって、徐福一行は大挙移住してきた。
この渡来弥生人が、以前から住んでいた縄文人と混血しながら日本人を形成した。骨格モデル、言葉、DNAを現代に伝えている。
3) 現代科学の成果であるDNAが弥生人と縄文人の起原を明らかにし、日本人と日本語の起源を解明する。
余り語られていないDNAのタイプ(男性起因、女性起因、男女起因)と特性を考慮し、民族学、歴史学の成果を加味し究明する。
☆ これらのテーマは、新しい観点から歴史学の基本にそって、解明しました。
・ 「歴史研究」は、解明したいテーマを徹底的に調べ、その上で、新しい見方から“推論する”ところから始まります。
“推論”を重ね“結論”を導き出します。
その結論を、歴史的事実、史料などの証拠を持って“証明”することが、歴史研究では必要です。
この証明は裁判で行われる論証と同じで、事実の積み重ねで証明を行います。
歴史の場合、時間の経過とともに、証拠が失われていることが起ります。
その場合には、“間接的な事実”と“推論“を用いてますが、あくまでも基本は、事実と論証です。
・ 新しい見方は、科学的な知識と民俗学・民族学の基礎知識に拠るところ大です。
DNA:生物科学の成果や、地理・地球科学の成果を正しく理解し、その時代に使われた技術を調べ、歴史的事実、言葉と文書で残された事実と噛み合わせて、推論するすることで、日本人のルーツに関わる謎を解明します。
☆ このホームペイジは、既に発表されている本や学説をまとめ直して紹介するものではありません。
“謎”に挑戦し、解明した答を、判りやすく紹介しながら、論証して行きます。
☆ マシンビジョンの基礎知識
以前公開していた画像処理や画像検査の利用者と開発者のための手引きとなる資料を、ここに公開し直します。
まとまった形で、読まれる方は、「マシンビジョン入門 初歩と実用シリーズ」日本工業出版社発行をご覧下さい。
・ この記事は、日本工業出版社発行の「画像ラボ」と「自動認識(前身の月間バーコード)」に長期連載されたもの等です。
この資料を勉強会の材料に使って、画像の勉強をしたとの話を、お伺いしたこともあり、又、少しでも、お役に立てればと思います。
☆ “生肝体移植を受けて”
生体肝移植を受けた私自身の体験などを記します。
移植後、6年以上が経過しました。 このように元気でいられると云う“幸運”を感謝致します。
私自身も、手術前も後も、その頃に公開されていた移植体験者の方々のホームペイジに勇気つけられ、教わりました。
私の例も、何かのご参考になればと思い公開することにします。
・ 移植を受ける気持の無かった人が、移植を受けることになったこと、その頃に何を考え、行ったのか、が主なテーマです。
(受けた治療内容や体調やデータなどは、余り書いておりません。)
・ 手術していただいた慈恵医大病院と、医師・看護師・技師・職員の皆様に有り難く、感謝申し上げます。
・ 又、大変な思いをした家族を支えてくれた知人・ご近所の方々に改めて感謝の意を表します。
有難うございました。
この3つのテーマと、2つのやや個人的なテーマを、次のような構成で公開する予定です。
各テーマを一つづつのグループにして、そのグループの中で各々、一般的な記述方式と、従来公開してきたPDF(パワーポイントのプレゼンテーション画面)の両方で公開してゆきます。
テーマ | PDFの題名 (副題) | 履歴 | ||
1 | 邪馬台国は何処にあったか? | 魏志倭人伝の検証に基づく邪馬台国の比定 (魏の使節は帆船で博多湾に) |
2005年3月初稿 | 2014年8月改訂 |
2 | 弥生人は、 いつ、どこから来たのか? |
試論 日本人の起源 (日本語を話す弥生人はどこから来たのか?) |
2005年5月初稿 | 2008年9月改訂 |
試論 II 徐福は東夷・倭人(日本人)! | 2012年1月初稿 | |||
3 | DNAから見た 日本人の起源? |
DANから導きだされる日本人の起源 | 2012年4月初稿 | 2012年8月改訂 |
DNA-日本人の起源とモンゴロイド : 旧版 | 2009年11月初稿 |
文章や書き方が練れていない点、ご容赦下さい。ご注意いただけたら、できる限り、正して行きたいと思います。
ご注意、ご意見、助言 などありましたら、 sabmaruchi@gmail.com までお知らせください。
尚、2012年末から主要な部分に関して、アップデイトが行われていません。
誠に申し訳けありません。
2013年から講演会で話をする機会を得て、隔月で定期的に話しております。
その中で新しいテーマを見つけ、調査し、検討して資料を作り、参加者と質疑応答する中で、着実に、解明が進んでおります。
取り扱うテーマがかなり広くなり、古代史の全体像がキレイに描くまでいたりませんでした。
従って、部分部分では正しそうでも、全体から見ると、全く不合理である可能性を恐れ、内容をホームペイジに掲載することに積極的になれませんでした。
そのような状態を3年間続け、やっと、古代史の全体像が見えてきました。
出雲国譲りから成立期の大和朝廷まで、従来の学説や教科書の記載とも違うものになりました。
今後、すこし、時間をかけて、整理し直して、このホームペイジに掲載しようと思います。
しばらくは、最新のものは、隔月に開催中の「古代を語る会」の方でお聞き下さい。
なお、このホームペイジに記載してある内容は、「私の古代史の全体像」と、基本的な相違は有りません。
若干の修正が必要な部分がありますが、ご容赦下さい。
2013-05-22renewal 2013-6-28追加更新 2013-8-27追加更新 2013-12-23追加更新2016-08-17語る会追加と修正 |