中度難聴(感音性難聴)WebSite 【 静かの森 】

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聞こえることを大事にしたい

中程度の難聴者は聴覚障害者ですが、一方で聞こえることをもっと大事にした方が良いのではないかという気が、最近しています。

「聴覚障害=手話」というのが一般的な常識のイメージですが、私たち自身もこのイメージに囚われ過ぎているのかもしれません。

「聴覚障害」と一口に言ってもその程度は色々です。世間に広く知られているのは「聞こえない」聴覚障害です。でも私たちは「聞き取れない」、これは裏を返せば聞こえる、ということです。

健聴者のフリをしてはいけない、と言われます。
それはそうでしょう。
しかし聾者のフリをすることもないと思います。

中程度の難聴者は聞こえます。
聴覚障害問題に取り組みますと、「聞こえない」問題について深く理解するようになる反面、自分自身が聴覚障害者でありながら聞こえることが申し訳ないような気持ちになってくる部分があるようです。中途半端に聞こえるから、無理に聞こうとするから、いけない。
本当にそうでしょうか。

補聴器をつけても殆ど又は全く言葉が判別できないのであるなら確かに無理はありますが、補聴器をつければ会話が出来るなら、私たち中程度の難聴者は聞こえることに前向きであって良いと思います。例えいずれは聞えなくなるにしても、聞える内に出来ることを色々やって、良い思い出や経験を沢山残しておいた方が良いでしょう。
中度難聴者の主なコミュニケーションツールは「聞いて、話す」ことです。聴覚障害者のコミュニケーションツールの一つとして「会話」があってもおかしくないと思います。

聾者も難聴者も同じ聴覚障害者です。
聾者はコミュニケーション手段として「見る」ためのサポートを必要としている。一方で難聴者は、特に中度難聴者は「聞く」ためのサポートを必要としています。ニーズが違うだけです。

聴覚器官に障害がある。
でも、聞こえることを大事にする。

「中度難聴」の位置付けの一つのように思います。