中度難聴(感音性難聴)WebSite 【 静かの森 】

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時折思うんだけど

「判るまで(聞き取れるまで)聞き直してほしい」と良く仰っていただけますが。

現実的にそれを実行するのはまず不可能という経験則を持っています。
やはり同じ事を2度、或いはそれ以上言わなきゃならないというのは、心の奥底でグッタリするものです。特に大事な話や言葉を選んで真剣に話している時など、「え?」と言われてしまうと正直「(-_-;)。。」となるのが人情というものでしょう。

言ってるほど理解してくれてる人は少ないというのが経験則ですが、気持ちをありがたく頂戴することにしています。

しかし今回述べるのはそのことではありません。

まぁ、まとまりのない雑な話なんですが。

人間誰しも年を取ります。
年を取ると体にガタがきて、その一つとして耳が遠くなります。実際的には難聴というものを理解していない人が大半だと思うんですが、年を経て難聴になった時、人はどう感じるんだろうかなぁと思うのです。

例えば人生のひとコマにおいて難聴のボクと関わりあって、まぁ色々思うことがあった方々、そういった方々が時を経て同じ身の上になった時、「あん時のあいつの気持ちはこういうことだったのか」というように、ボクは何かの参考になれるのか、はたまた何の影響も及ぼさないのか、だからナニってワケではないんですが、何となく気になったりします。
それとも年を取ったから仕方ないと、誰とも話さない日々に何も感じないのかなぁ。年を取ると赤ちゃんに返ると言いますから、コミュニケーションの極めて乏しい孤独な世界にいても案外平気なのかもしれません。

しかし。

ボクの祖父(既に亡くなりました)はめっきり耳が遠くなりました。
季節の折り目には顔を見せに行ってますが、こちらの話は殆ど理解できていない様子です。
補聴器をつけてはいるものの右耳だけで、左耳は失聴に近い状態なのでつけていません。でしかも補聴器をつけてはいますが、それでも殆ど聞き取れない状態です。

こちとら聞き取れない専門員なので、そこは慣れてますからここぞとばかりに辺りを憚らずデカイ声を出して会話に挑むのですが、それでも内容が判らなくて困ってる様子。明らかに、ボクらと同じ「聞こえてるけど聞き取れない」困惑状態にいるのが良く判ります。更に久しぶりに会えた嬉しさがあるので、苦しい胸の内が手に取るように判ります。親族に囲まれたのに、一層孤独になってしまいポツンと座ってるだけの皮肉な姿がそこにあります。ボクとしても彼の気持ちが痛いほど判るのですが、どうにも出来ないのでとても苦しい思いをします。

でまぁそれはそれとして翻って考えてみると、遅かれ早かれ大半の人はこうなるワケで、そうなった時、人は「難聴」を、そして世の「難聴者」をどう思うんだろうか。何も感じないのか、或いは「わしゃ耳が遠くて良く聞こえんのぢゃっ!!」と威厳だけは保とうとする余生になるのか。

そして今静かの森にいるボクらは、年を取ったら更に森の奥の方にいるワケで、その時どう思うのか。外界には興味をなくして、何とも思わなくなっているのか。

そんな取り止めもないことをですね、ふと思います。