中度難聴(感音性難聴)WebSite 【 静かの森 】

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そこが知りたい

聞き直したのに「もういい」と言われてしまうのは、とても残念なことですが、それと並んで、言われてちょっと悔しいのが「大した事じゃないから」です。

「ああそうか、大したことじゃないなら気にしなくてもいいんだな」と真に受けてて、後になって「あん時最後にボソッて言ってたじゃないヨ」なんて注意されることが良くあります。

そういう経験から生まれた格言が「人の話は最後の一言が一番大事」なんですが、人曰く「考え過ぎ」なんだそうで。。

後年知ったんですが、最後の一言ってそれ自体は大したセリフじゃないんですが、まぁまぁ参考にはなるってことなんですよね。

別のケースとして、、
目の前でみんなが楽しそうに話してるんですが今ひとつ内容が良く判らないんで聞き直しますと、「まぁ、大した話じゃないから」って言われます。で、そこをあえて食い下がって聞くと、驚くことに大抵はチットモ大した話じゃないのです。大した話じゃないって言ってるんですから、別に驚く話でもないのは理屈では判るんですが、こちらにしてみると、変な話ですが全くの驚きです。何でその内容で楽しく笑えてたのか、どこがどう可笑しいのか、何だか良く判らない。謎だけが残ります。

これはつまりおそらく、その時その時の「流れ」というか場の空気みたいのがあって、リアルタイムだから面白いんであって、後から言い直してもその瞬間の面白みは蘇らないのでしょう。そして、それを後から一つ一つ順を追って述懐するのもシンドイ話なわけでして。。
とまぁ、だからこそ「大した話じゃない」んですが、しかしながら内容が判ってるのと判らないのとでは大きな違いがあるんですよ。

だからどうして欲しいってワケでもないですし、言ってもしょうがない、まぁ愚痴ですけど、「大した事じゃない」話って中度難聴者の見果てぬ夢かもしれません。
言葉の内容は大した事じゃないのかもしれませんが、そんじゃー大した事ないから別に聞かなくても構わないのかっていうと、そんな事はないんではないのかなぁと思うのです。

聞き取れなかった「大した事じゃない」話の数だけ、何か大きなモノをなくしてるような気がしているのです。