まる2日間、ズィー・ズィーは車を走らせ続けた。その間、出来る限り車外に出ないよう行動した。食事は主にドライブスルーの店を利用したし、生理現象のために車外に出るときは、手短に済ませる努力をした。
そして今、橋の入り口で車を止めて、ズィー・ズィーは迷っていた。この川沿いの遊歩道をほんの少し行ったところに、誰にも秘密にしている部屋がある。そこにはパスポートやある程度まとまった現金が置いてあり、再び海外へ高飛びするには不可欠だった。
しかし、そこに「あの男」が辿り着いていないだろうか。2日前、最初の電話で『黄の節制』の男がその名を語った、あの「死刑執行人」が。誰も知っているはずがない、ましてその男が見つけられるとは思えない。知っていたとして、2日間全速力で走ってきた自分に追いつけるとも思えない。しかし……しかし……。
車を止めて2時間、時間を無駄に消費していることに気が付いたズィー・ズィーは、覚悟を決めてハンドルに手をかけた。1分でも、1秒でも早く支度を整えて、この場を去らなければならない。さらにこの国を抜け出すのだ。この道は遊歩道、車の進入は当然禁止されているが……非常事態だ、突っ切らせてもらう。
エンジンキーに手を伸ばしたとき、2日ぶりに携帯が鳴った。思わず息が止まる。液晶画面には……「Temperance」とある。生きていたのか!? しかし、あれから連絡の無かった男がどうして今頃? 安堵、戸惑い、不安、そして祈り。訳が分からなくなりそうだ。着信音は続いている……スイッチを、押した。
『奇遇だな……オレも今来たところだ……』
男の低い声が言った。初めて聞く声だった。
『……「行き止まり」だ……お前の車輪は……『運命』という道を駆けることはもうない……』
首を左右に振り、見開いた目で窓の外を探す。橋の向こう、車の後方、そして川沿いの道……カップルの後ろ姿が見える。違う。首を振ろうとしたとき、カップルの先にいる別のカップルが目に入った。少女が手をかけている軍服の男。右手で杖をついて、左手は……携帯電話をかけている! こちらを見て、ニヤリと口を歪めた。顔を引きつらせて、ズィー・ズィーはうめいた。
「アイツなのか? ウヒッ! アアア、アイツが『ジョンガリ・A』なのかあぁーーッ!」
電話を切って、ジョンガリ・Aは肩に添えられた少女の手をそっと払った。
「一つだけ分からないので確認しておきたいのだが、川の深さはどのくらいだ?」
「川ですか? そうですねぇ、雨のおかげでちょっと増水してますから、5、6メートルくらいだと思います」
「そうか」
「やっぱりお友達でした?」
「あぁ、そのようだ。ありがとう、世話になった。もう一人で大丈夫だ」
そう言って、少女にチップを握らせる。あわてて少女が手を振る。
「あ、あああ、こんなのいりませんよ! それに、お友達が来るまでは案内続けますから……」
ジャキンッ! ガシャッ! カシッカシッ! ガリッ! ガシャッ! キリキリキリッ!
「ここから先は地獄と決まっている……それでも案内してくれるのか?」
「ヒッ! ヒイイィィーーーーッ!」
杖を瞬時に小型のライフルに組み替えたジョンガリを見て、腰を抜かした少女は手足をばたつかせて後ろへと下がっていった。
「右は……コンクリートの壁……マンションか……木造のアパートもある……。道幅……7から8メートル……中央から右……ほぼ9メートルおきに街路樹が並ぶ……」
肩のバッグを担ぎ直し、ジョンガリはその白い瞳を左に向けた。
「川幅は……33……5……8……36メートル前後というところか。風は左から右へ……2.3メートルの微風。鉄製の柵、高さは83センチ……」
次に正面を見据える。
「……来たな」
『ウソポルシェ』の外装が音を立てて波打ち、二周りほど大きくふくれる。赤かったボディーは黒くくすんで迫力を増し、丸いヘッドライトの外側がつり上がって、攻撃的な表情を浮かび上がらせた。バンパーが反り返り、昆虫の口を思わせる形状に変化する。外面の至る所から、鋭い角のようなものが突き出した。
「ウヒヒ、ウヒ、ウヒャホ……『運命』? 『運命』だって?」
爆音を轟かせて、本来の形態を現した『運命の車輪』が飛び出した。遊歩道の入り口にある鉄の柵を、いとも簡単に踏みつぶして侵入する。
「限界だッ! もう我慢ならねぇッ! オレの『運命』はオレのものだアアァァーーーーーッ!!」
「う、うわっ! ななななんだあぁーーっ!」
「きゃああーーーっ!」
遊歩道を全開で走ってくる『運命の車輪』。それから逃れようとしたカップルの2人は、逃げ場を川に求めることとなった。水柱が二つ上がる。
「前方の男女は川に落ちた。ヤツとの間には、他に誰もいない……。ヤツとの距離……92、91、90……フフフ……我が『運命』は、DIO様に捧げられる。貴様らの『運命』も、DIO様に捧げられなければならない……見出していただいた、我が『才能』によって……」
街路樹をなぎ倒しながら迫り来る『運命の車輪』に、小さなスタンド『マンハッタン・トランスファー』が川の上を追走した。