(痛い・痛い・助けてくれ)
何も見えない暗黒の中で、感じるのは貫かれる激しい痛み。銃声が鳴る度に、耐え難い苦痛が左腕をのたうち回る。すがるものを求めて振り回した右手は何も捉えず、助けを求めて彷徨う両目は闇の色を確かめることしかできなかった。では、この口から発している筈の叫び声も……?
(痛い・痛い・助けてくれ・左腕が痛いんだ)
……かり……もしもし…………しっかりして……さい……
(助けて・助けて・左腕が・左腕が痛いんだ)
ドオオオォォォンンンンッ!
駆け抜けたエンジン音が、暗黒を吹き飛ばした。
「ハッ! ウグゥッ!!」
「キャッ! あっ、大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
「だ、誰ッ……あッ!? たっ、助けてくれ看護婦さんッ!! 左腕がッ! 左腕が死ぬほど痛いんだよッ!!」
「……気を確かに、ズィー・ズィーさん。落ち着いて。貴方が痛いのは、どの左腕ですか?」
「これだッ! これだよッ! この左……う……で……」
痛みと恐怖に震える右手で差し示そうとした左腕は、しかしその二の腕から先が無くなっていた。
「まだ軽い記憶喪失があるようですけれど、だんだん良くなってきていますから。それほど心配することはありませんよ、ズィー・ズィーさん」
「……あぁ、悪かったね、看護婦さん。いや、そういえばアンタはまだ見習いだったっけ?」
「ふふっ。ほら、ちゃんと忘れてないこともあるじゃないですか」
「本当だ、ウヒャホハ! ……なんて言ったっけ、この『左腕が』痛いのは?」
「『ファントム・ペイン』……まれにあるんですよ、無くなった筈の部位が痛むという症状……」
「精神的なものなんだろ?」
「そうとも言い切れないそうなんですけれど……」
その若い看護婦見習いの少女が話しながらベッドを整えるのを見つつ、ズィー・ズィーは記憶を整理していった。
あの時……もう4日も前になるのだが……あの『死刑執行人』との最後の戦いの時。『運命の車輪』の前部に取り込んでおいた、もう1台……そう、ぶつけられたパトカーの半分だ……その車体と『運命の車輪』のスタンドパワーが、手榴弾の爆発からズィー・ズィーの命を救うことになった。もっとも、身体中に傷を負い、骨折箇所も両手の指で足りないくらい……両手も何も、左腕は失われてしまった。
そういえば、アイツ……『死刑執行人』はどうなったのだろうか。名前……知っていたと思うのだが、思い出せない。
「まだ深夜の2時ですから、ぐっすり休んでくださいね」
「ありがとう。すまないね、こんな夜中に」
「いいえ。それじゃあ、お休みなさい」
「あぁ、お休み」
看護婦見習いが去り、一息ついてから照明を消すと、再び闇が辺りを覆った。ベッドに埋もれながら、ズィー・ズィーは不思議と恐さを感じないことに気が付いた。先程までの恐さに代わってあったのは、あの痛みに悩まされることはもうないだろうという奇妙な安堵、そしてちょっとした喪失感。何故だろう……? ズィー・ズィーは首を捻ったが、やがてその意識は安らかな暗闇の中へと沈んでいった。もう銃声も、聞こえない。
(痛い・痛い・だがこれしきのこと)
暗黒の中にいるのは分かっている。ずっとそうだった。あの御方を失ってから、オレはずっと暗黒の中にいた。そんなことはかまわない。全身が張り裂けるように痛むが、それも知ったことではない。あの御方を失ったことの痛みに比べれば、我が身の痛みなど気に留める程でもない。
(痛い・痛い・この痛みを・あの御方の痛みを奴等に)
時間をかけ過ぎた。一刻も早く、奴等のこの暗黒に引きずり込まなければならない! あの御方の為に! 奴等の運命を! 全てを!
ドオオオォォォンンンンッ!
エンジンの爆音とともに、暗黒に光が射し込んだ。
「……ジョンガリさん」
「うくっ! 誰だ貴様ッ! ……女かッ!?」
白く眩しい光を背に、女……いや、少女が立っている。光と同じ白い服は、看護婦のそれだ。栗色の瞳が、自分を見つめている。
「ウグッ、ウゥ……この程度の痛み、オマエ達の世話になる程のものではないッ! オレにはやるべき事がある! 奴等を、そして承太郎をッ!! そこをどけいッ! オレはゆくッ!!」
「……いいえ、ジョンガリさん。貴方が行く必要はないんです。聞こえませんか……?」
「なん……だと……?」
「貴方をずっと、待っていたんですよ……」
ドオオォン、ドオオォォンンッ! ドオオオォォォンンンンッ!!
エンジン音に包まれて気が付くと、そこは車の中だった。自分は助手席に座っている。フロントガラスの向こうに真っ赤なボンネットがあって……『跳ね馬』のエンブレム……その向こうの光の中で、彼女が耳に手を当てていた。
「そう……毎晩毎晩、この音が響いていて……貴方はその中で苦しんでいたんです…………覚えていないのですか、貴方も……」
「うっ、うぅ……い、痛い……グクッ……ま、まさか……」
「思い出したんですね……それじゃあ……」
ギランッ!
ギャギャギャギャアアァァッ! ドォン、ドオオォン、ドオオォォーーーーーッ!
「……う……う、うわあああああぁぁぁぁーーーーーーーーーッ!!」
ヘッドライトを煌々と灯し、急旋回した『運命の車輪』が闇を走り去っていく。
エンジン音が、彼方へと、幽かに。
オオオォォォーーーーーーーーーー…………
「……さようなら、ジョンさん」
そういって、少女は病室の扉を閉じた。