松本徹三さんがここで表明されている小泉評については、私も全く同感です。その後どのような反応が出てくるか注目していたのですが、不思議と沈黙ですね。私見は私ブログ記事lに書きましたが、氏の世襲容認が国民に与えた落胆は極めて深刻なものがありました。
なぜなら、それは上杉鷹三のいう(1)国家は先祖より子孫に伝候国家にして、我私すべき物には無之候、という訓戒に反していたからです。その訓戒が守られてこそ刺客騒動も許されたはず。このことは、私の周辺の普通の人たちに例外なく共通する慨嘆でした。これが「小泉構造改革」(これは小泉氏のものではなく日本国民のためのものであったはず)の信用性ひいては自民党の信用性を毀損したことは間違いありません。”なあーんだ、遊びだったのか”といった感じです。
この小泉氏の犯した罪は決して小さくない。せめて、その罪を自覚してかって見たようなパフォーマンスはしないで欲しい。そう願うのは私だけではないと思います。そういう意味では進次郎氏の露出はその罪を贖う「責め苦」のようにも、私には見えますね。
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