社会保障と勤勉の哲学

ブログ「一知半解」コメント / 2009.7.23

参照 「伝統的規範」と「社会の変化」を一致させることの難しさ
    社会保障が完備された社会があったとしたら、それははたして「理想郷」たり得るだろうか
    社会保障には人間性を破壊する負の面があるのでないだろうか
 社会保障に関する山本七平の意見について一言付け加えておきます。
 山本は日本の社会を武家政権確立以来「器量絶対=実力主義」の社会とみており、それが江戸期に「労働即仏行」とする「勤勉の哲学」が確立したことによって、明治の西欧資本主義に基づく近代化に対応し得た、と考えているのです。
 従って、 この「器量絶対」と「勤勉の哲学」という思想的・倫理的伝統が失われるなら、日本の社会が何時崩壊してもおかしくない。例えば戦後ソ連権に組み込まれていたら、この両者は当然消滅していたでしょう。
 運良く、資本主義を選択し得て、「器量絶対」を”あたりまえ”とする社会を維持し得た。では、そこにおける「勤勉の哲学」はどうなったか。
 戦後の復興期=経済成長期はこれを会社共同体のなかで維持し得た。しかし競争のない官公庁では「器量絶対」を無視した年功制が組織の植物化を招いた。しかし低成長期を迎えてこうした組織の経済合理性を図らざるを得なくなった。それが今日のグローバル経済の中で一層強く求められるようになった。
 おそらく、グローバル経済の中で、日本人の「器量絶対」は再び力を発揮することになるでしょう。では「勤勉の哲学」はどうなるか。これは”自分に与えられた社会的役割に対する献身的態度”と云いかえることができますが、これを”自己実現”を超える価値としてはたして共有できるかどうかが、今後の課題になると思います。
 社会保障の負担を担わされる若者世代は当然不満を持つ、一方年寄りはそれを当然とする、このギャップをどう埋めるか、この問題を思想的、制度的にどう問題解決をはかるか、それが今日問題となっているのではないでしょうか。
 が、まずは、グローバル経済の中における日本の通商国家としての宿命を自覚することが必要ではないかと思います。