山本七平をめぐるいくつかの話題について

ブログ「一知半解」/ g21.5.29

 一知半解さん、こんばんは。いろんな議論があって賑やかですね。今日は少々私見を申し述べさせていただきます。
 まず、「物量でなく思想の違いで敗れた日本」ですが、私も山本七平の軍隊論のポイントはそこにあると思っており同感です。この問題は軍人だけの問題ではなく、日本人一般の思想の問題として次の三点が指摘されています。①可能・不可能と是非論の区別ができない②組織の名誉を守る、あるいは時代の空気に逆えずホントのことを言えない③事実認定と思想・信条の区別ができない。
 私も昭和史を自分なりに点検していますが、まさにこうした日本人の思想上の問題点が不可解極まる昭和の戦争の主因をなしていると思いましたね。
 それから、トラウトマン工作の評価についてですが、昭和12年12月2日に蒋介石が広田外相が示した講和条件を受諾した、これは「ポツダム宣言の受諾に等しい」というベンダサンの評価について、史実としては異論があるのは当然です。しかし、ここでのベンダサンの主題は、「日支事変を世界はどう捉えたか」であり、世界はこの戦争を「満州国承認」を戦争目的としたプロシャの「七年戦争=シレジア領有確認戦争」と見た、ということなのです。こうした観点から見れば、蒋介石はこの時の条件受諾で「満州国の黙認」を覚悟したでしょうから、日本は戦争目的をほぼ100%達成したことになります。そのことをベンダサンはポツダム宣言受諾に比しているのです。残念ながら日本はさらに条件を加重し交渉を駄目にしてしまいましたが、要するに何のために戦争しているのかが分かっていなかったのです。このことは自分の思想さえ明確に把握していなかったということになります。つまり、思想より先に行動がある、しかし、それはそういう思想の結果だと言うことがわからなかったのです。思想以前の問題ですね。
 それから浅見定雄氏の「にせユダヤ人と日本人」ですが、後に山本七平は浅見の批判にどう答えるか問われて、「この本については編集上協力したが著作権は持っていない(分かってもらえずいいあきた)」「あれはエッセイですから楽しんで読んでもらえばよい。学術論文として見たら非常に欠陥があることぐらいは私だってよく知っている。本というのはそういうものなんです」といっています。この点が多くの人に全く理解されていませんね。
 ところで、この本が楽しめるかどうかですが、例の「全員一致の議決は無効」についても、これは何もサンヘドリンでの議決ルールの専門的解釈を問題にしているのではなくて、「人間には真の義すなわち絶対的無謬はあり得ない」という西欧の伝統的思想を日本人に紹介しているのです。こういった考え方が私たち日本人にどれだけ啓発的であるか、このことを評価すべきで、それが専門家の目から見て間違いがあったとしても、適切な助言を与えればいいことなのです。(小室直樹の言)そうした観点からいうと浅見さんの批判は実にいただけませんね。とくに彼のイデオロギッシュな口吻、ベンダサンを批判しさえすれば一度落第点を与えた生徒にあらためて及第点を与えたと公言するのですから、私はこんな先生にはつきたくないと思いました。ただ氏の指摘にも学ぶところは多いと思いますので、今後ゆっくり勉強させていきたいと思っています。
 それから、山本七平と司馬遼太郎の対談は三本あって、全て「山本七平全対話」に収録されています。これには秘話があって、関川夏央氏によると、二人の対話は必ずしも噛み合わず、三度目の対談「日本に聖人や天才はいらない」では、司馬は司会役の編集長だけに顔を向けて話すという露骨な態度を示した、といいます。まあ、ベンダサンの三島切腹時の司馬批判がありますからね。私は、山本は司馬が書けなかった昭和を、司馬のように日本史の非連続として切り離さないで連続と捉えて書き尽くそうとした、そうした山本の仕事を唯一のものと評価しています。あくまで個人的な楽しみでありますが・・・今後ともよろしく!