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2010年4月16日

(つづき)

 閑話休題。

>…村山談話を、その成立の事情のいかがわしさをもって批判しても、私は説得力を持たないと思います。

 私は、そもそも政府が歴史談話など出す必要はない、という立場です。なぜなら、歴史的解釈は、様々な要因で、常に動く可能性があるからです。したがって、伝統的な自民党がそうであったように、「歴史的評価は、後世の歴史家の判断に任せる」という立場を貫くのが妥当であり、ましてや党内事情の解消にこれを利用することなど、愚劣極まりないと考えています。

 また、村山談話はどう見ても国内向けの形式になっており、対外的な談話としては、意味不明であるだけでなく、有害でしかありません。「反省していると言うのなら、行動で示せ(要するに、金を出せ)!」というのが国際社会での常識でしょう。したがって、あの談話の出自のいかがわしさと相俟って、少なくとも欧米では、まともに相手にされていないことが、不幸中の幸いというべきです。

 もっとも、特定アジア諸国や欧米諸国内の各種団体や政治家がこれを悪用しようとする弊害は、常に存在しますし、実際に過去にもありました。

>一読者さんが、この村山談話に代わる大東亜戦争を総括する言葉をお持ちであれば、…

 一国が国運をかけて戦争という究極の行動を起こしたこと、ましてや世界中の国々が、それぞれの国益を追求して相争った先の大戦を、簡単に『総括』することなど不可能です。また、少なくとも私の立場からは、そうした発想自体が出てきません。
もちろん、局面局面については、現在分かっている範囲内で、その是否を論じることは可能でしょうし、かつ必要なことだとは思いますが。

 また、とくにここ10年は、新資料の発掘などで歴史解釈自体も大きく変化しつつあります。
ソ連崩壊後の資料の流出だけでなく、2005年には、アメリカが膨大な戦時下の資料(公文書10数万頁分。押収していた日本の公文書やその写しを含む)を公開しています(その分析もほとんど手付かずではないですか)。
また、その一方で、アメリカやオランダでは、一部の資料の公開を30年延期したりもしています。
さらに、問題によっては、中国共産党崩壊まで待たなければ、中国側からの資料の流出が期待できないものもあるでしょうし、日本側の資料で未発表のものも少なくないかもしれません。

 元来、歴史的評価というのは、関係諸国や各当事者の証拠や資料を突き合わせてみて初めて、ある程度の信憑性が出てくるものですから、非常に手間がかかるものです(陰謀論や主観的な歴史観なら別でしょうが)。

 現在の私には、到底こうした動きをフォローする時間も能力もありません。したがって、歴史解釈は基本的には歴史家に任せるしかない、と思っています。

>…村山談話は自民党内閣が継承したのです。このことは安倍政権も福田政権も麻生政権も同様なのではないですか。

 いったん政府の立場で出された声明は、適切な機会を捉え、適正な手続を経なければ、担当する政党が変わっても継承しなければなりません(今の民主党のように馬鹿をやれば別でしょうが)。まさにこのことが、村山談話や河野談話の弊害そのものではないでしょうか。

 安倍政権でも、結局は河野談話の破棄までには至らず、「但し、旧日本軍の強制性を認め得る証拠ないし資料は存在しない」という一文を新たな閣議決定で付け加えるだけで、あれほどの騒動になったことを慮るべきだと思います。

 しかし、将来的には、機会を捉えて村山談話を実質的に破棄し、「歴史的評価は後世の歴史家に任せる」という原則に立ち戻るべきだと考えています。

>前回の選挙は、民主党が選ばれたのではなく、自民党への落胆票だということが言われます。

 まさに、“おQ層”と言われる所以ですね。しかし、そのような投票行動は、中選挙区制でなら許されても、小選挙区制においては妥当しないということは、今まで一知半解さんのところで、何度もコメントしたので繰り返しません。

>…それは、政権党である自民党に対する国民の信頼が地に墜ちたことの表明だったのです。

 確かに、テレビや新聞が主たる情報源である場合、当時の自民党や麻生政権が何をやっていたのか、なぜそうした行動を取るのか、まったく分からなくなるのは当然だと思います。正確な情報が無ければ、正確な判断はできないのですから。

 たとえば、リーマン・ショック直後の日本政府の外交的行動については、私も日本のメディア情報からはほとんど得るものがなく、ネット上で、ロイターやブルームバーグの関連記事を読み、それに対応する情報を官邸や外務省のサイトなどで直接確認せざるを得ませんでした。

 また、当時の日本のメディアは、解散総選挙を煽るニュースで埋め尽くされていましたが、最低限の国会手続に関する知識と過去の民主党の行動、そして世界的な金融恐慌の深刻さを理解していれば(本来はマスコミが報道すべき事柄です)、“まともな政府”なら、あの時点で解散総選挙を行なう確率があまり高くないことは容易に想像できたはずです(私は3割も無いと思っていました)。
また、暫定予算を年内に提出せず、本来は1月下旬に召集される通常国会を、1月5日に前倒しした意味も理解できたでしょう。

 なお、鳩山邦夫氏や東国原知事などの騒動は、基本的にはワイドショー・ネタ、スタンドプレーないし茶番でしかなく、瑣末的な問題で、私は興味がありませんでした。

>要するに、自民党の政治思想的一貫性が一体どこにあるのか、見えなくなってしまったのです。

 もともと自民党は、「伝統的な政治文化の上に乗っかってるだけ」と指摘したのは山本氏でした。これを私は、伝統的な意思決定システムの上に乗っかっていると理解する一方で、政治思想的には、悪く言えば“鵺”のような存在、良く言えば、状況に応じて非常にプラグマティックに対応をすることこそ、自民党の持ち味だったと考えていました。そして、この両面の特色を壊してしまったのが小泉政治だった、とも考えています。

 そもそも新保守主義(新自由主義)というのは、アメリカの特殊な歴史的背景においては保守主義としての意味があっても、それをそのまま日本に持ち込めば、保守主義としての意味がないばかりか、却ってラディカルな改革思想になってしまうということは、佐々木毅教授の「アメリカの保守とリベラル」を読めば、よく分かります(だからこそ、左翼的な洗礼を受けた人の評価も高かったのでしょう)。

 また、グローバリズムも、歴史上何度も繰り返される理念ではあっても、必ずしも普遍的なものではないことは、すでに崩壊して緩やかな保護主義に向っている現在の国際情勢を見れば明らかでしょう。
規制緩和も同じで、アメリカではすでに金融関係を中心に規制強化に動き、再び銀行と証券の分離が政策課題になっているようです。こうした状況に応じて柔軟に対応する姿勢は、さすがにプラグマティズムの本家の面目躍如で、日本も見倣うべきかもしれません。

 以上のような観点を基に、現在の自民党内部を政策的に分類すると、経済・財政政策的には橋本・小泉ラインと小渕・麻生ラインに分けることができ、前者はいわゆる財政再建派であり、後者は経済成長派と言うことができると思います。
また、構造改革(地方分権を含む*)や規制緩和(及び民営化問題)に対する態度は、前者は教条的、後者は実際的と考えることができるのではないでしょうか。
なお、その他の政治・外交的には、安倍・麻生ラインが主流になりつつある、という風にも見えますが、正確にはよく分かりません(ただ、外交的な麻生ラインへの即時復帰は、民主党が無茶苦茶にしてしまったので、簡単ではないと思いますが)。

*ただし、民主党やみんなの党がいう「地方主権」は、明らかな誤り。

 そして、政策的妥当性においては、現在のようなデフレ経済下においては、小渕・麻生ラインが妥当で、橋本・小泉ラインが失敗だったことは、すでに数値による結果が出ている問題ですし、以前にも何度かコメントしています(逆に、景気が過熱しインフレ率が高まってバブルに向うような状況なら、橋本・小泉ラインの政策が妥当するでしょう)。したがって、今後の自民党は、少なくとも経済的には、小渕・麻生ラインで行くことになるのだろうと、個人的には考えています。

>これが、自民党が小党分裂せざるを得ない理由です…

 マスコミは、必死にそれを煽っているようですね。
私自身は、テレビや新聞をほとんど視たり読んだりしなくなっているので、ほとんど実感はありません。

 また、最近自民党から脱落しているのは、特定の選挙事情を抱えた財政再建派や教条的な構造改革派が多く、少なくともネットを見る限り、こうした動きには自民党支持層でも冷ややかで、むしろ好都合という意見も少なくないようです。また、グズグズ言うなら舛添も早く出て行けという意見も、最近はよく見掛けるようになりました。

 おそらく地方もそうで、“第二自民党”を期待した(要するに、本音では小泉政治に対する反発)民主党に対する失望は大きく、実際の支持率は相当に下落しているように思えます(マスコミの世論調査は、かなり前から民主党に“下駄を履かせて”いて、実際の投票行動とは結構乖離があることが指摘されています)。

 その証拠に、マスコミは全国的にはほとんど報道していませんが、1月の名護市長選挙を境に、地方選挙で民主党がほとんど勝てていない、という事実があります。確か30近い首長選でも、相乗りや無投票、自民系の対立候補がいない場合を除くと、勝率は1割有るか無いかだったと思います。つまり、少なくとも7,8割は自民系候補が勝っているということです。
さらに、小沢氏がテコ入れしたところは漏れなく全敗、現役閣僚が応援しても惨敗、自民系が分裂しても2位にもなれないという選挙が相次いでいます。

 「民主党の看板を掲げれば殺人犯以外は当選する」と言われた状況は確実に終わり、とくに地方では、民主党を否定するには、第三党ではなく自民党に投票する他なく、マスコミが必死に持ち上げているみんなの党にしても、比例が少し伸びることを除けば、よほど強力な候補者でもいない限り、大勢に影響はないのではないでしょうか。

 政治学で一般に言われているように、小選挙区制の下では小党分裂や政界再編は起こりにくいのが現実ですから、それに期待するなら、中選挙区制に戻すことから考える必要があるかもしれません。

 前回の安倍政権時の参議院選挙直前の最終支持率は30%前後、その前の数カ月間の地方選挙の勝率がほぼ5分でも、実際の選挙では、1人区の小選挙区効果で自民37:民主60でした。来る参議院選挙で、この逆、あるいはこれ以上の差がついたとしても不思議ではない、と現時点では考えています。

 逆に、民主党については、もともと選挙互助会的な体質から、参議院選挙の結果と小沢氏の動向次第で、一気に瓦解する可能性があるという見方もあり、私もその可能性が高まっていると考えています。

 私は、ここ数年の政治的混乱の責任の7,8割はマスコミにあると考えています。それだけ、ここ数年(とくに3,4年)のテレビを中心にしたマスコミの劣化は著しく、かつビジネスモデルとしても成り立たなくなっていますから、来る参議院選挙も、その崩壊・再編成のキッカケになってくれることを、内心では期待しています。