韓国人への伝言

tikurin 2010/04/06(火)

一読者 様へ

お返事ありがとうございます。
>山本七平氏の『洪思翊中将の処刑』・・・これを現在の「韓国理解の術」として評価できるかと言うと、そこにはやはり世代の問題がある、ということではないかと思っています。

tiku私たちの韓国理解に歴史的観点を入れるべき事の重要性を提示しているのではないでしょうか。つまり、横軸の情報ばかりでなく縦軸の情報も考慮し総合判断することが必要だと。

>私が「ごく稀に違和感を感じる」と申し上げたのは、・・・その時々の時事コラムなどで、「(一般に)韓国人あるいは中国人は○○○だから…」と述べた部分について「エッ」と思うことがあったという意味で、・・・

tiku見つけたら、参考までに教えて下さい。

>確か「政治が宗教になる国(?)」といったサブタイトルで、明代末期(?)に自らの思想に殉じた高官とその一族の問題を取り扱った評論があったように記憶しています。

>ただ、このような歴史評価と現実の情勢分析がある程度一致するためには、歴史的連続性や共通する価値基盤が必要で、それが双方から失われてしまうと、過去に妥当したやり方も必ずしも上手くいかなくなる・・・

tiku「現人神の創作者たち」の見出しに「政治が宗教になる世界」があります。ここでは、浅見絅斎の『靖献遺言』に登場する人物の、自らの「大義」に生きた生き方が紹介され、それが、幕末の志士達の生き方に「革命のエトス」を注ぐことになったことが指摘されています。

この本には、中国の歴史において「自らの政治的大義への忠誠」のためには、「一族ことごとく皆殺し」されても意に介さなかった政治的殉教者たちが紹介されているのですが、山本は、この思想の「殉教者自己同定」の危険性を指摘しており、また、こうした政治的絶対主義が現在の中国や韓国にあることも指摘しています。

戦争中、東条首相が「死して以て悠久の大義に生きる」といいましたが、この言葉がどこから来たのか誰も分からず、何となく抵抗できず拘束されてしまった。それは明治が『靖献遺言』を消したためで、「消す」ことくらい恐ろしいことはない、それなのに戦後はまた、戦前を「消す」ことではじめている、と言っています。

では、こうした「悠久の大義に生きる」という生き方と、洪中将の「自らの決断への忠誠」という行き方はどう違うか。氏は、自らの決断がもたらした結果について、一言の弁解もせず、日本帝国陸軍人として受けた戦犯死刑判決を慫慂として受け入れた。これは、上記の「政治的大義への忠誠」とどう違うか、ということですが、私もいろいろ考えましたが、結局、前者は”一人よがり”で、後者は、捕虜虐待という部下の罪(あくまで戦犯法廷の認定)を担った、ということではないかと思います。下線部追記7/4

洪中将の処刑には、帝国軍人としての責務、朝鮮民族として誇り、連合国から戦犯として裁かれることの悲劇等々、いくつもの苦難が折り重なっています。この過酷な運命を、一言の弁明もなく死刑台に立ち得た。処刑台にあがる直前、氏は、立ち会いの片山氏に「私は悪いことはしなかった。死んだら真っ直ぐ神様の所に行くよ。だから何も心配するな」といったそうです。

この人物を、山本は、韓国の人びとに紹介する義務を感じていたのではないかと思います。一人の歴史に誇るべき韓国人がいたということを、かって同じ戦場で戦った日本人の一人として。その彼を、反日か親日家かで歴史的人物評価をしているようでは、氏を韓国の歴史に生かすことはできないのではないでしょうか。それが韓国流の「政治的絶対主義」なのかも知れませんが。

>漢字教育が廃止された結果、中堅の研究者ですら自国の歴史文書の原文を読むことが困難になっているという現実・・・

tiku韓国の古典は漢文でしょうが、それをハングルだけにしたと言うことは、中国の呪縛から解放されたいと思ったからでしょうか。それにしても、漢字は日本のように残して漢字ハングル混じり文にする方が良かったような気がします。日本人も読めますので。東アジア共同体でお互い文字を共有すると言うことは大変いいことですからね。

>私は、韓国や中国に対する差別的な感情的反発は非常に問題があると思っていますが、それと同様にこれらの国々に対する歴史的な観点からの情緒的な対応には実害が大きいと考えています。このことは、いわゆる「従軍慰安婦」に関する河野談話が出された経緯を調べて頂ければ、ご理解頂けるのではないかと思います。

tikuその歴史的観点が「自虐的」であってはダメだということですね。同時に、韓国人には韓国人の「歴史的観点」があるわけで、それが「被害者意識」だけではダメだ、ということだと思います。

それぞれの歴史にそれをどう位置づけるか、これは民族の生存の問題に関わっていますので、その観点にずれが生じることはやむを得ないと思いますが、最近出された「日韓歴史研究報告書」のできばえは、私はまだ見ていませんが、中国との共同研究よりも客観性の乏しいものになったとの評ですね。

なお「従軍慰安婦」の問題については同意見ですが、村山談話については、私はおおむね妥当だと思っています。だが、中国のねらいはもっと政治的なもので、日本の世論誘導による内政干渉なのです。それには明確にNOをいわなければならない。

だから私は小泉談話も支持しますし、靖国問題については中国の干渉には反対します。(A級戦犯の合祀だけが問題なら打つべき手はあるでしょう)ただ、日本人自身による戦争責任者の追求はきっちりやっておくべきだと思っています。あくまで歴史家の手によってですが。もちろんそれが将来覆ることもあると思いますが、時代のけじめとしてやっておくべきだと思います。