一読者

2010/04/03(土)

>tikurinさん

私の方も、いつも山本七平氏に関する解釈を興味深く拝読し、かつ参考にさせて頂いています。

今回、山本氏の書籍からいくつか引用しようと思ったのですが、うまく見つけることができなかったので、記憶を頼りに簡単にお答えします。
誤解・誤用があった場合には、補完・修正をお願い致します。


まず、私も、山本七平氏の『洪思翊中将の処刑』は名著だと思います。「反日だとか親日だといった単純なレッテル貼りの次元」のものではない、というのもその通りでしょう。
ただ、これを現在の「韓国理解の術」として評価できるかと言うと、そこにはやはり世代の問題がある、ということではないかと思っています。

私が「ごく稀に違和感を感じる」と申し上げたのは、こうした歴史的人物を取り上げた評論についてではなく、その時々の時事コラムなどで、「(一般に)韓国人あるいは中国人は○○○だから…」と述べた部分について「エッ」と思うことがあったという意味で、その場合、山本氏の世代とその文章が書かれた年代を考慮して、その背景を理解するようにしています。

また、『自らの決断への忠誠』というテーマは、山本氏がしばしば取り上げるもので、儒教就中朱子学にはそうした要素があり、中国の場合においても、確か「政治が宗教になる国(?)」といったサブタイトルで、明代末期(?)に自らの思想に殉じた高官とその一族の問題を取り扱った評論があったように記憶しています。

ただ、このような歴史評価と現実の情勢分析がある程度一致するためには、歴史的連続性や共通する価値基盤が必要で、それが双方から失われてしまうと、過去に妥当したやり方も必ずしも上手くいかなくなるということを、前回のコメントでは“中国の古典的教養の有無”に仮託して述べたつもりでした。

例えば、甲申事変を起こした金玉均の愛国心と開明思想、あるいは日韓併合時の李完用の苦渋の決断等を、日本側が歴史的事蹟を掘り起こして再評価することは別に問題はないでしょう。
しかし同時に、現実の韓国では、国定教科書において両者とも唾棄すべき売国奴として扱われ、事実上再評価することが認められず、かつ再評価しようにも、漢字教育が廃止された結果、中堅の研究者ですら自国の歴史文書の原文を読むことが困難になっているという現実も見なければ、実際の韓国に対する対応を誤ることになるのではないでしょうか。

また、洪思翊中将に対しても、現在の韓国でどのように評価されているかは分かりませんが、盧武鉉政権下において成立したいわゆる「親日法」によると、もし財産を残しそれを子孫が相続していた場合には国家による没収の対象になるのは確実で、それもまた、韓国の現実だということでしょう。
こうした状況は、山本氏の「歴史や伝統を自ら断絶させてしまうと、むしろその歴史や伝統に呪縛され、その悪い面だけが出てしまう」という趣旨の記述(?)を想起させます。

私は、韓国や中国に対する差別的な感情的反発は非常に問題があると思っていますが、それと同様にこれらの国々に対する歴史的な観点からの情緒的な対応には実害が大きいと考えています。
このことは、いわゆる「従軍慰安婦」に関する河野談話が出された経緯を調べて頂ければ、ご理解頂けるのではないかと思います。