山本七平の朝鮮人理解について

tikurin 2010/04/03(土)

 一読者様 横レス失礼します。いつも大変興味深くご意見を拝聴させていただいております。

さて、日本人と韓国人や中国人との今後の交渉のあり方についてのご意見ですが、外国人地方参政権が話題に登っている時期でもあり、お説についても勉強したいと思っているところです。

ところで、一読者さんは、「私は、山本七平氏の愛読者ですが、ごく稀に違和感を感じるのは、韓国・朝鮮人(以下、朝鮮人)と中国人に対する評価に関する点なのです。」とおっしゃっておられます。具体的に述べられているわけではないのでよく分かりませんが、興味がありますので、もう少し説明していただけませんか。

私は、山本七平の朝鮮人理解については、氏の『洪思翊中将の処刑』を参考にすべきだと思っています。それは「反日だとか親日だといった単純なレッテル貼りの次元では見えてこない深みのある韓国理解の術を示してくれた」ものだからです。(以下 田中明氏の同書解説参照)

その洪思翊中将に見る生き方の要諦は「自らの決断への忠誠」ということで、これによって、「いかなる韓国人も天皇に忠誠ではありえない」と言い切る朝鮮出身の旧日本軍将校たちが、一方では非の打ち所のない帝国陸軍軍人であり、その戦死率が極めて高いということ(陸士五十、五十二、五十七期は全員戦死)も矛盾ではなくなる、といいます。

こうした「自らの決断への忠誠」は、「侵略者に占領されても、じっと自己の文化を持ちこたえていけば、やがて侵略勢力は去って行く。だから、その日まで生き続けるため、真剣に生きなければならぬ」という歴史的経験から分泌された思想であり、現在というものは、長い歴史の中の「一つの時期」として眺めるものである。そういう人たちにとって、忠誠の対象は「自己の決断であって(変転常ならぬ)他者への一辺倒でも依存でも滅私でもない」ものだ、というのです。

こういう、おそおらく儒教思想に由来するのであろう「自己の決断への忠誠」という考え方は、一読者さんが言われるように、戦後生まれの私たちの共有するところではありませんが、朝鮮人は、こういう思想の延長上に生きており、かってそのために帝国陸軍軍人として命をかけて戦ったこと。洪氏の場合は、戦犯裁判で死刑判決を受けても一言の弁明も発することなく慫慂として死刑台に立ったこと、そういう生き方が彼らにできた、ということを知ることは、私たちの表面的な朝鮮人理解を打ち破る上で極めて重要な指摘だと思います。

私は、山本七平の朝鮮人論については以上のように理解しているのですが、一読者さんのこの件に関するご意見をお伺いいたします。