mugiさんとの論争再4 「トーキング・マイノリティー」
mugi さんへ
mugiさんとの論争は、「mugiさんとの論争1~6」で終了したつもりでしたが、再度「一知半解」さんのブログでの私論を批判されましたので、「mugiさんとの論争再1~4」を行うことになりました。mugiさんは3の反論をmugiさんのブログ「トーキング・マイノリティー」の「山本七平信者との対話」のコメント欄にupしましたので、私の反論4はそこにupしました。
>> 前回、貴方は一知半解さんに迷惑なので自分か私のところで議論を続けようと書いていたのも関らず、あっさり撤回されたとは。言いだしっぺがそれをしないのこそ、自分の言葉と自分の思想即ち行動を一致させることに反します。
tiku その後「再びtikurinさんへ」が「一知半解」さんのブログにupされたのでそれに応答しました。
>> ネットでは異論を出されただけですぐ“批判する”といじける人がいますが、貴方もその類かと思いました。反論が怖いなら議論になりません。人に言われたことをいちいち “批判”と気にしていたら、現実生活はもちろんネットでも孤立しますよ。
tiku 貴方が私が”批判”という言葉をつかったのを”被害妄想”といったのですよ。議論で批判はあたりまえと言っているでしょう。
>> 『聖書思想辞典』三省堂は未読なので論評できませんが、この辞典だけで全て網羅するものではないでしょう?・・・ヒトラーは大変な負担を強いられた、迷惑だったと、ネオナチあたりなら庇うかも。
tiku 素人がこうした専門的概念を扱う場合は評価の定まった専門的”辞典”の解説を踏まえた上で議論した方がいい、といっているのです。モーセ等旧約の預言者とヒトラーの「負担」を一緒にされるのですか?
>> 貴方はキリスト教の「罪の意識」についての議論と言われますが、それは貴方の主観であり、私は議論とは思っていません。
tiku 議論と思わなければそういっていただければ良かった。
>> ”あわれみや慈しみ”を最重要視するはずの宗教が、なぜ異端審問に血道を挙げたのか矛盾の極み。その背景を解明しない限り、理解は不可能なのです。
tiku 貴方のように「一神教文化」を「一神教」ゆえに危険視する人が日本には多いですね。しかし、あなたの感じる「矛盾」の背景を理解するためにも、そこに止まっていてはなにも解らないと思います。だから、「一神教」にはこういう考え方もある、ということを説明したのです。といっても、私が「一神教」を完全に解っているというつもりはありません。
>>「クリスチャンが何か悪いことをしましたか?」!世界史を見ればいくらでも悪業はあるし、そちらは黙殺するとは。私はインド、中東史に関心があるので、逆にクリスチャン“が何か良いことをしましたか?”とお尋ねします。
tiku クリスチャンから見れば、あなたのクリスチャン批判をきけば、そう答えるだろう、といったまでです。”クリスチャンが何か良いことをしましたか?”という言葉は不用意な言葉だと思いますが。
>> 私の手元にある国語辞典(小学館、金田一京助編)、には「レッテルを張る」とあります。ただ、20年以上前の書なので気になり、ネット検索したら「レッテル貼り」で出ました。これには大変失礼致しました(汗)。正しい表現を知るきっかけを頂いて、感謝します。国語辞典にも間違いがあるのだから、『聖書思想辞典』も万全とはいえませんね。
tiku ご自分の誤りだけを認めればよろしいと思います。
>>「~を引用するべきではない」というのは、私は言論・表現の自由への妨害に当たると考えています。
tiku 貴方は不適切な引用だったと認めていましたね。
>> 親兄弟、友人でも理解し得ないこともあるのに、民族や宗教が異なる者が容易に「相互理解」出来ると考えているなら、それこそ貴方の思想を疑います。
tiku 相互理解のはじめは、お互いの考え方の違いを、お互いに認め合うことからはじまります。そのために議論しているのです。
>> 結論 ・・・私は歴史ブログなので、聖書よりもキリスト教の歴史を重視します。これまでのやり取りから、日本人同士でもいかに「相互理解」が難しいのか、いい見本になったことでしょう。
tiku 旧約の歴史と新約の歴史(これはユダヤ人の文書、新約の中にユダヤ教主流に対する批判・攻撃があってもそれはユダヤ教内部の批判でその全否定ではない)と、キリスト教成立期の教会史(キリスト教の聖典となり諸文書が絶対的規範となり、それらが「聖なる文書」となりその言葉が「言葉=word」でなく「聖なる文書=The Word」となった)における旧新約文書理解は区別しなければいけません(『教会史』エウセビオス:訳者はしがき:秦剛平)。三位一体という言葉も新約聖書にはなく、これは「教会史」期のニカイア公会議(325年)以降に正統教義とされたものです。異端審問も教会史の話です。mugiさんはその区別がついていないようですね。
なお、今後必要と思ったときには時間があれば反論させていただきます。
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