mugiさんとの論争5(mugiさんよりの返信) 山本七平の戦友を見る目4

2001.7.5

tikurinさん、レスを有難うございました。山本ファンとそうでない者では所詮見解が異なるので、今回で私からもレスを終わりにさせて頂きます。

>無名人だから無責任な発言をしても良いということにはならない、といっているだけです。

 もちろん仰るとおりですが、人の口に扉は立てられないのが人間社会。発言の責任を喧しく追及することこそ、異論や言論抑圧に繋がるのでは?『日本人とアメリカ人』に目を通したのですが、例え相手の言葉遣いや態度が悪かろうが、発言は許すのがアメリカだと山本が書いていたのを憶えています。

「ペンネームについて」なら以前拝読したし、その感想も書いています。貴方は理解する必要があると仰いますが、理解度は個人によって異なるのをお忘れではないでしょうね。そして踏み絵についての例えも、正直にいわせて貰えばおかしい点があります。これはブログネタになりそうで(笑)。

>では、多神教or汎神論の日本人にはこれができるかというと、難しいようですね。

 個人的にインドに関心がありますが、ヒンドゥー文化圏もまた多神教or汎神論。もちろん日本と違い、多民族、多宗教国家で社会背景は全く異なるけど、あれだけ多様な思想を認める文化圏もない。日本の場合、横並び傾向が異様に強いのは確かです。イスラム圏はまだマシですが異端審問、魔女狩りを西欧が行っていたのは遠い昔ではありませんでしたし、儒教圏は19世紀までキリスト教徒迫害は続きました。

>ご自分の”正確な記録”は疑っていませんね

 そこまで私は絶対的な自信はありませんよ。山本も含め人間誰しも間違いを犯すし、だから「正確に書いた“つもり”」とコメしました。間違いがあると感じられたなら、是非指摘して頂きたかったです。貴方も山本とユダヤ人との版権問題を挙げて、「事実は次の通りです」と断定形で明記されましたが、これも“事実とされていること”であり、真実は実際の所、第三者には確認できません。

>これは山本をレイシズムの持ち主=レイシストと決めつけた言葉ですね。

 ああ、そうでしたね。山本教徒からすれば大変な不敬発言で失礼致しました。mottonさんというのは時々拙ブログにコメントされる方で、勇み足気味の私に対し、鋭い指摘をされる上、私より学があるのでこの方の意見は尊重しています。貴方は不快でしょうけど、彼のコメントを改めて挙げておきます。
-一兵卒の視点から日本(日本軍)の問題を日本人論とからめて書いているのですが、一言『貧すれば鈍す』でほとんど終わる話です…「敗れたのか」ではなく「敗れるのか」かなんですよね。ということは、その原因から当時の環境(貧しさ)に起因のものは除かないと意味がない。ところが全てを日本人(日本社会) に原因をもってきているように見えました。これは科学的思考ではなくレイシズム的思考でしょう…

 さらに彼は、こうコメントされてました。
「日本人とユダヤ人」などを読んで思ったのは、日本人が情で動くとか控えめとかとんでもない誤解なんじゃないかということです。むしろ日本人は合理的で利に敏いのではないかと。
「空気を読む」にしても、短期的には損をしても集団内での長期的利益を確保するための計算された合理的行動ですし、舶来崇拝も、栄えている(と伝え聞いた)国のものは良いもの(利益になるもの)であろう、ということじゃないかと思います。
(山本七平によると「日本人は政治の天才」だそうです。)
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/ee4cedff4b3e7bc0ddaabd9435195690#comment-list

>貴方の欧米キリスト教観やイスラエル観についてとやかく言うつもりはありません

 とやかく言ってくださっても結構ですよ。「言葉の力」を信じている貴方なら、鋭い反論が出来るはずだし、私の浅はかな誤りを指摘されるのは有難いことです。

 左翼が議論する時、彼らの決まり文句は次のパターンでした。「無責任な発言」「~を理解する必要がある」「甚だ穏当を欠く」「十分調べもしないで」「やめるべき」「勝手な論」…
私からすれば、彼らこそ責任を欠く発言をし、理解というより願望解釈、よく調べもせず穏当を欠く勝手な発言を繰り返す。要するに己自身は棚に上げ、感情的に他人を糾弾、説教している狭量さ。なお、相互理解というの社会主義用語だったと書いたブロガーさんもいました。貴方はまさか左翼ではないと思われますが、本当にお互い気をつけましょう。

 以上、不躾な非信者のコメントに真摯にお相手をして頂き、有難うございました。貴方の多神教or汎神論への見方は、実に興味深く参考になりました。