mugiさんとの論争4 山本七平の戦友を見る目4

ブログ「一知半解」コメント /2001.7.3

mugiさんへ 
貴方の言葉
”私自身は「言葉の力」をあまり信じておりません。ブロガーがこんなことを書くのは意外に思われるかもしれませんが、ネットやブログは私にとって趣味であり、情報収集のツール以上のものではありません。ハンドルからしていい加減な人間だし、己の言葉に力があるとは思ったことはないのです。”
と書いたので、これ以上の議論は必要ないと思っていました。今回で終わりです。

mugi著名人の発言は無名人とはその影響力が格段に違い、特権に伴う責務もあると思います。無名人も著名人も一緒というのは、あたかも日本的平等思考のようですね。

tiku 私は著名人の発言が無責任であって良いと言っているのではありません。ただ、無名人だから無責任な発言をしても良いということにはならない、といっているだけです。

mugi そして、著作がユダヤ人との共同作業だったとしても、存在しないユダヤ人ベンダサンというキャラクターの名で本多との論争を行ったのならば、左翼が偽ユダヤ人と糾弾するのは当り前なのです。ファンならそれでよいとするでしょうが、非ファン、まして敵ならそう思わない。何故本名で論争をしなかったのか、これは実に残念です。当時の言論界は山本のような発言を許さなかったから?ならば、彼もまた空気に屈したとなりますね。ユダヤ人の威を借りた文化人と見なされる可能性もあるのに。

tiku ベンダサンが『諸君』に「日本教について」というエッセイを連載していて、その中の「朝日新聞のゴメンナサイ」という記事に対して本多勝一氏が論争を挑んだのです。
また、ペンネームは偽名でも匿名でもない(「山本七平学のすすめ」参照http://www7b.biglobe.ne.jp/~sitiheigakususume/goroku_bendasan.html#ペンネームについて)、ということを理解する必要があります。議論は本論で堂々とやればいいのではないでしょうか。

 mugi貴方が仰る「自己絶対化」という概念が、私にはよく分らないのです。自己正当化なら分りますし・・・

 tiku mugiさんは聖書にお詳しいようですが、私は、それは、唯一絶対神と人間との垂直の契約関係を基軸にして、人と人の横の関係のあり方を述べたものと理解しています。「自己絶対化」とは、神ならぬ人間である自己自身を絶対的な位置に置くことです。私はその危険性を指摘しているだけです。mugiさんは一神教が「自己絶対化」につながることを心配しておいでですが、聖書における神と人間との関係は基本的に律法的契約関係であって(それも新訳では隣人を慈しむことを第一義としている)、人間の方から神に接近しそれと無条件に臨在感的に一体化することではありません。いうまでもなく後者は日本的な神人関係ですね。ただ日本の場合は神概念そのものが絶対神ではないので危険性もないのですが、これが平田篤胤のように日本神話を(イザナギ、イザナミをアダム、エバに擬し)創造神話化すると、その末裔に、神と人が万世一系でつながっているゆえに、自分自身を絶対化するものが現れるのです。これが昭和の超国家主義の源流となったのです。

 mugi「思想というものは、自分がそれで生きられれば十分のものであって、他人に強制するものではない」と、山本は常々いっていたそうですが、これは一神教なら難しいでしょうね。

tiku  では、多神教or汎神論の日本人にはこれができるかというと、難しいようですね。

>要するに、「正確に記録して後世に残す」こと。

 mugi人間は嘘をつく生き物であり、世に出回っている“正確な記録”なるも必ずしも信用は出来ません。

tiku 完全に正確な記録は誰にも書けませんが、複数の”不完全な記録”をもとにより真実に近い事実に迫ることはできます。mugiさんは次のパラグラフで”私は事実を正確に書いたつもりです”と言っているではありませんか。ご自分の”正確な記録”は疑っていませんね。

 mugi他にいささか不可解だったのですが、貴方は以前私の言葉に「他をレイシストと批判しつつ、自らに特定の民族に対するレイシズム的断定があるように思われました」と指摘されましたね。この理由が分らないのです。確かに“特定の民族”に私は芳しいことは書いていませんが、私は事実を正確に書いたつもりです。私はレイシストの言葉を使った覚えはありませんし、他のレイシズムを列挙したに過ぎません。白を黒と書けばレイシズムですが、黒を黒と書いたことがレイシズム的断定となるのでしょうか?山本が親近感を抱いた“特定の民族”の不都合な事実を挙げることが、お気に召さなかった?これまた貴方のレイシズム的断定となりませんか?

tiku そもそも私が今回貴方に異議申し立てをしたのは、貴方の次の文章が甚だ穏当を欠くものだったから、事実関係を説明して誤解を解いてもらおうと思ったのです。

 「日本社会には手厳しい非難をする山本は、欧米人キリスト教徒の悪行には所詮何もいえなかった人物だったのですね。クリスチャンの居直りと擁護といったところ。元から私は山本を全面信用できず、眉唾で見ていましたが、彼の意見には失望しました。イスラエルのご意向を元に書いた御用文化人。レイシズムと見抜いたmottonさんは正解でした。」

 tikuこれは山本をレイシズムの持ち主=レイシストと決めつけた言葉ですね。なお、あなたが「特定の民族に対するレイシズム的断定がある」と言われることを忌避されるなら、同様に、十分調べもしないで他をレイシスト呼ばわりすることはやめるべきです。また貴方の勝手な黒白論議はご自身のこととされますよう。なお、貴方の欧米キリスト教観やイスラエル観についてとやかく言うつもりはありません。 

 mugi左翼のような“自己絶対化”こそ、他山の石になさいませ。

tiku お互い気をつけましょう。