教育委員会制度論改革論

私の教育再建策

2006年11月23日 (木)

 2005年12月に「中央公論」が「私の教育再建策」というテーマで論文募集しましたが、その時の私の応募原稿の草稿です。(応募原稿はこれを要約した)長年、教育行政に関わってきた経験をふまえて、私の教育行政制度改革に関する提言をまとめました。どうもマスコミ受けはしなかったようですが・・・。

私の「教育再建」策(2005.12「中央公論」懸賞論文草稿)

1 教育界の「戦後」は終わったか?

 「もはや戦後ではない」という言葉は、昭和31年の経済白書において使われた。また、「戦後政治の総決算」という言葉は、昭和57年末に成立した中曽根内閣のスローガンだった。この時「戦後教育の総決算」も企図され、首相直属の臨時教育審議会が設置され、「教育の自由化論」が話題を集めたが、結局、「自由化」論は「個性化」論に変身した。最終答申を受けとった中曽根首相は大層不満であったという。

 そのとき露呈した認識のズレを埋めるためか、その後、「中教審」や文部(科)省より打ち出された教育改革に関する諸提言は目まぐるしく、文字通り教育界はそれに翻弄されてきた。「新しい学力観」「生きる力」「ゆとり教育」「選択科目の拡大」「総合的学習の時間の創設」など。また、これらの諸提言の根底には、「個性主義」イデオロギーとでもいうべき、個人の価値を至上のものとする考え方があったと指摘された。

 一方、この「個性主義」は、教育界に根強く存在する「平等主義」の圧力をかわし、「個性重視の名の下に実質的な(学校教育の)多様化・多層化を進めること」がその本当のねらいであるとも指摘された。確かに、こうした観点から見れば、いわゆる「学力低下」批判を契機に出された「学びのすすめ」や「指導要領の最低基準化」が、文科省の従来の教育改革方針を転換するものではないと説明されたことが納得できる。

 問題は、この「平等主義」であるが、実は「臨教審」で話題となった「教育の自由化論」も、この「平等主義」の克服を目指していた。それは、いじめや登校拒否、校内暴力等「教育荒廃」の原因を、それがもたらす「学校教育の画一性・硬直性」にあると見ると同時に、それを制度的に支えてきた文部省中心の中央集権的な教育行政システムを「解体」し、学校単位の経営システムに改変することを提起したのである。

 だが、その「自由化論」は、学校単位の経営を「市場原理」のもとに競わせることによる「万能薬的効果」を期待するものであり、今日の、公教育体制下における教育委員会制度の学校経営のありかたについて、積極的な提言をなすものではなかった。そのため、戦後の民主的教育行政の中心原理である「教育の機会均等」の理念との相克関係を制度的に調整する視点を持ち得ず、「個性化論」に席を譲ることになった。

 一方、「個性化論」は、この「平等主義」の克服を、「個性主義」の名のもとに上から「学校教育の画一性・硬直性」を打破すると称して実現しようとした。「新しい学力観」で教師の伝統的指導観を「支援的」なものとし、「生きる力」や「ゆとり教育」で「自ら学び、考え、判断し、行動する」個性を育てることを求め、教科の選択の幅を拡大し、さらに教科の枠を超えた「総合的な学習」の時間を設定した。

 だが、こうした文部(科)省主導の教育改革が、教育現場に多大な負担と混乱をもたらしたことは否めない。こうした状況の中で、地方6団体は、教育行政の地方分権化を実現するため義務教育費国庫負担制度の廃止を求めた。これに対して文科省は、その地方裁量の幅を拡大する「総額裁量制」を打ち出した。しかし、依然として、現行の「地教行法」下の教育委員会制度(その形骸化は周知の事実)を守る姿勢は崩していない。

 問題点は二つあるであろう。一つは、戦後教育においてあたかも不可侵の教育理念と化した「平等主義」をどう克服するかということ。もう一つは、戦後教育改革の一環としてアメリカが持ち込んだ教育委員会制度をどう改革するかということである。そのいずれも、日本国の「敗戦」によってもたらされたものであり、その意味では、教育界における「戦後」は、いまだ、「終わり」を告げていないのである。

2 戦後の奇妙な平等主義

 「平等とは何か、それはこの矛盾をまず意識することであって無視することではない。従ってこの言葉を口にすることは、この矛盾を克服する方向を提示することであって、その提示が『平等』の内容であり、その内容なしに平等という言葉はありえない。」つまり、

 平等という言葉は「平等化を強行すれば各人に恐るべき不平等を強い」「各人を平等に取り扱えば不平等の承認を助長する」という矛盾をはらんでいる、という。

 確かに、日本人は極めて平等意識の強い民族である。だが、こういう社会は必然的に能力主義にならざるを得ない。事実、日本人は、能力がありかつ努力したものが経済的・社会的優位に立つことを決して不平等とはしない。これが本人の能力以外の、例えば家が貧乏であるとか、血縁関係や門地・門閥等で決まるとなれば、日本人は許し難い不平等と感じる。つまり、日本人の平等主義は能力主義を肯定しているのである。

 そうであるならば、ここにおける平等主義は、児童生徒の学習環境を整備してできる限りその能力向上に努めるはずで、「児童生徒の学習能力を無視して」画一的な「平等教育」をすることは、各人に不平等を強いることになるはずである。一方、能力がすべてで、それによって生じた不平等はこれを甘受すべし、というのであれば、これは、「不平等を承認し助長する」ということにならざるを得ない。

 問題は、こうした平等主義と能力主義の間にある矛盾した関係をどう克服するかということであり、その具体的な解決法を提示するということであろう。この点、戦後の教育界における平等主義が、能力主義に対する強い警戒感を前提としていることは、日本人の「能力主義」の伝統から見れば奇妙なことといわざるを得ないが、おそらくこれは、伝統的な「能力主義」を制御する知恵が失われたためではないかと思われる。

 近年、陰山英男氏は、日本人の伝統的な「読み・書き・計算」の反復学習、古典文の音読暗唱(=素読)の重要性を指摘して注目を集めている。また氏は、早寝早起き、朝食をしっかりとること、テレビは1時間以内、家の手伝い、机の整理整頓、朝夕のあいさつ等の日常的な生活習慣を身につけさせることが、児童生徒の学習に向かう忍耐力と集中力を養い学力を向上させるうえで不可欠の条件であると指摘している。

 つまり、伝統的な教育で説かれてきた「自己抑制」は、決して、「自分自身の能力開発を抑制する」ものではないことが実証されたのである。それは、人間が本能的に持っている自己中心的な感情を抑え、他者の存在を素直に認め、同時に自己の持っている個性的能力を真っ直ぐに伸ばすためのセルフコントロール術なのである。論語はこのことを「教えありて類なし」「教えなければ禽獣に近し」といっている。

 いうまでもないことだが、「日本人に平等意識が極めて強い」ことはすばらしいことである。だが、この平等主義が反面で「能力主義」をもたらしていることも事実なのである。また、この場合の「能力」とは、個人的な知識力・技術力・身体的能力を意味するだけでなく、平等社会において他者を組織する「人望力」ともいうべき、他者の信頼を得てリーダーシップを発揮していく人格的能力をも必要としているのである。

 日本人はこうした知恵を、中国の古典である「大学」「中庸」「論語」「孟子」などによって学び教育の方法としてきた。だが明治以降、こうした厳しい自己修練法は公教育制度の中では軽視されるようになり、科学的知識教育一辺倒になった。戦後教育は、こうした自己修練法を「封建道徳」として否定し、さらに「個性主義」の名のもとに伝統的な「自己抑制を教える」教育を排除するに至ったのである。

3 教育委員会制度の表と裏

 戦後の教育委員会制度を考える際の最も重要なポイントについて―確かに、これはアメリカが占領政策の一環として持ち込んだものだが―それを現在のような全市町村の義務設置としたのは、昭和27年当時政権党であった自由党だったということである。その目的は、当時、都道府県レベルに設置されていた教育委員会制度の中で、教育委員の公選制等を通じて勢力伸長著しかった日教組勢力を、市町村レベルに分断掣肘することにあった。

 その後、昭和31年に旧「教育委員会法」が廃止され、今日の「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(地教行法)が成立した。これによって、市町村教育委員会は名目上残されたが、実態的には文部省を頂点に都道府県教育委員会、市町村教育委員会と系列化される中央集権的教育行政システムの末端の学校管理機関となった。教育委員会の形骸化が指摘されて久しいが、これを中央集権組織の末端と考えればおかしなことではない。

 実際、この文部省主導の中央集権的教育行政システムは、戦後における全国一律の教育行政施策の展開という意味においても、また、日教組対策という政治的意味においても、十分にその機能を発揮した。確かに、昭和50年代までは、文部省対日教組の対立抗争は熾烈であったが、純粋に教育問題といえるほどの問題はほとんどなく、客観的な評価としては、当時の日本の初・中教育に対する欧米諸国の評価は、国内の評価とは対照的に極めて高かったのである。

 本稿の冒頭に触れた臨時教育審議会は、この年代の末期に設置された。しかし、この頃より、教育行政をめぐる争点は、従来の「教育をする側」内部の問題から、「教育をする側」と「教育を受ける側」の関係のあり方の問題へとシフトし始めていた。「臨教審」の提起した「教育の自由化論」が爆発的な関心を集めたのはそのためである。だが、冒頭に述べたように、「自由化」論は「個性化」論に変身し、改革の主体は文部省に委ねられることになった。

 その後の経緯は先に述べた通りだが、この時期、文部(科)省が取り組むべきであった教育行政改革上の主たるテーマは、この「教育をする側」と「教育を受ける側」の関係をどう整理するかという問題だったはずである。いうまでもなく、それは、保護者や地域住民と学校及び教育行政機関の関わり方の問題であり、それはとりもなおさず「地教行法」下の中央集権的な教育行政システムをどう改革するかという問題であった。

 確かに学校の説明責任の条文化や学校評議員制の導入、最近では学校運営協議会の設置も提起されているが、不思議なことに、これらの改革提案は文科省が学校を直接指揮する形で行われており、学校の直接の管理機関である市町村教育委員会の存在を無視している観は否めない。

 また、学校の自主性・自律性の確立といっても、その上位機関である教育委員会の学校管理運営における自主性・自律性の確立ということについては、「地教行法」第49条(都道府県教育委員会の、市町村立学校の管理運営に関する準則案の制定権を定めた条項)が廃止された程度で、それ以上の具体的な提起はなされていない。教育行政組織の末端機関であって文科省の指示に従えばよいということだろうが、地方自治体側にイライラ感が募るのも無理はない。

4 教育委員会制度をどう変えるか

 ではどうすればいいか。以下、私の考える教育委員会制度改革の基本的な考え方を思いつくままに述べてみたい。

(学校教育の経営管理体制の確立)

○ まず、公教育サービスにおける「教育をする側」と「教育をうける側」の権利義務関係を明確にすべきである。その際、家庭で責任を持つべき領域、学校で責任を持つべき領域、地域社会で責任を持つべき領域をできるだけ明確にすることが必要である。

○ 合併後の広域自治体に専門的な公立学校経営機関を設置すべきである。その際、学校教育と社会教育を分離し、社会教育は生涯学習課として自治体事務の一環とし、自治体の長が直接責任を負うものとすべきである。

○ その上で、学校毎に、地域学校協議会等を設置して、学校、家庭、地域が共同して児童生徒の健全育成について、責任を分担し協力しあえる体制を確立すべきである。その組織の長は広域自治体の教育委員を兼ねるなどしてその活性化を図る。

○ 家庭教育に対する支援機関として、自治体の福祉事務所等の整備充実を図り、専門的な職員の配置やネットワークの形成、施設設備の整備充実を行い、きめ細かな家庭教育のサポート体制を確立すべきである。

○ 教育委員会を住民代表による学校経営の評価機関とすべきである。教育委員会はその評価結果を自治体の長に報告し、自治体の長はそれにもとづいて学校経営機関の長に対し所要の勧告を行うものとすべきである。

○ 教職員の給与や教材費、施設設備費等の整備に要する財源を確保するため、義務教育国庫負担制度の維持・拡充を図ること。また、学校経営の自主性・自律性を確保するため、フレーム予算等独自の会計制度を適用する。

(都道府県教育委員会と学校経営機関との関係)

○ 教職員の任命権は学校経営機関の長が持つものとすべきである。ただし、教職員の採用試験の実施は都道府県教育委員会とし、合格者の名簿登載のみ行うものとする。その中から、各学校経営機関が教職員の採用を行う。

○ 教職員の給与表の作成、勤務条件の基準の決定、職務の評価基準の作成等は県教育委員会が行うものとする。各学校経営機関はこの基準に基づき服務監督や職務評価を行い格付け及び給与の決定及び支払いを行う。

(教職員制度のあり方)

○ 現行教職員制度の最大の問題点は、教職の専門職としての排他性と、終身雇用にもとづく年功制が癒着している点にある。そのため、人材の適材適所の配置が極めて困難となっている。この問題の解決のためには、免許制を前提とする教職の専門職としての職の開放性を高めると同時に、教職員の職種間の移動も行えるよう、統一的な教職員制度を確立すべきである。

 当然のことながら、学校と専門的学校経営機関との人事交流やこれらの機関と自治体間の教職員の異動は、都道府県教育委員会の調整を経て自由に行うことができるようにしなければならない。また、教職の免許制度については、大学が単位を認定し、都道府県教育委員会が免許状を発行するシステムではなく、国が免許状を発行するものとする。そのための統一的な検定制度を導入すべきである。

○ 校長の資格については、かって免許制度が適用されていたことがあるが、新しく設立される専門的学校経営機関の設置と共に、学校の経営権も確立することになるので、教育長及び校長の資格についても、一定の資格条件を設定し、公募制による採用が行えるようにすべきである。なお、教育長は自治体の長、校長は教育長の権限とする。

(学級編成及び教科書の採用)

○ 学級編成は学校長の権限とする。これに伴う教職員の配置については学校経営機関に対する内申権を有するものとする。また、臨時職員等の配置に伴う予算要求権を付与する。教科書の採用については、教職の専門性を尊重し、検定に合格した教科書について学校が採用するものとする。

(学区の決定及び学校選択の自由)

○ 小中学校は義務教育であり、その通学区は近隣制を原則に設定すべきである。但し、保護者が通学区外の学校への入学や転学を希望する場合は、特別の理由がない限り、保護者の学校選択の自由を認めそれを許可すべきである。

○ 最後に、義務教育に対する国の責任についてであるが、その全国的な水準の維持向上、先進的な教育行政施策の立案と展開及び実施、教育課程や教育内容及び方法の研究・開発・改善等において、文科省の果たす役割は極めて大きなものがある。その意味でも義務教育国庫負担制度は、教育費全般についてその拡充が図られてもおかしくはない。但し、そうした施策展開が地方自治体の学校経営権を否定するようなものであってはならない。この件については公立小中学校の設置者管理主義を明確にし、その学校経営の主体性が第1義的に尊重されなければならない。

(おわり)