教育基本法改正問題について

伝統文化の継承と発展

2007年1月17日 (水)

 本稿は、昨年末12月15日に成立した「教育基本法改正」の問題点を指摘するために書き始めたものです。すでに成立したものを批判しても無駄ではないか、という意見もあると思いますが、大切なことは、そこに重要な問題点が含まれている場合には、それをしっかりと議論し対象化しておくということです。そうしない限り、その問題を克服をすることはできませんから。

 今回の教育基本法改正の問題点は、まとめていえば、私は、大体次のようなものだと考えています。

 まず、第1に、第2条(教育の目標)で教育理念を法定したこと。そのねらいは、旧教育基本法が個人主義に偏っていたので、それとバランスさせるために「公共の精神を養う」こと及び「伝統・文化の尊重とそれらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」ことを教育理念として挿入し、それに法的拘束力を持たせようとしたこと。

 第2に、これを受ける形で、第16条(教育行政)において、教育は「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」とし、その第2項で国が教育施策を総合的に策定する、地方はその範囲内で地方の実情に応じた教育施策を策定する、としたこと。

 第3に、第17条で、政府が「教育の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図る」ため教育振興基本計画を定め、これを国会に報告する、としたことなどです。

 「第1」の問題点は、民主制下における法律の基本的な性格は、国民の外面的行為を規制するものであって、個人の内面的思想・心情を規制するものではありませんから、教育理念を法定化すること自体問題ではないか、ということ。

 「第2」の問題点は、教育を「法律に定めるところにより行われるべきもの」と規定できるのか、ということ。「教育」ではなくて「教育行政」ではないのかとも思いますが、第2条で教育目標を法定化した以上、こうなるんだろうなという感じ。

 「第3」の問題点は、この規定ぶりを見る限り、今までの「教育における地方分権」という教育改革理念は一体どこにいってしまったのか、ということ。さらに、教育の政治からの相対的自律性はどうなるのか、ということです。

 そこで、私は、「第1」の問題点に見られるような「教育理念を法定化することを怪しまない」風潮は、実は、我が国の儒教的伝統文化に根ざす「治教(政治と教育)一致」の政治的伝統によるものではないか、ということを指摘しました。

 そして、幕末から明治期、この弊害に最も早く気づき、それを克服するため「独立自尊」という個人主体の確立による人間性解放と、それに基づく新たな社会秩序の形成及び近代国家の確立をめざした人物が福沢諭吉であった、ということを指摘しました。

 では、福沢諭吉は、この「一身にして二世を経るが如き」革命の時代をどのように生きたか、彼は、確かに儒教主義に対する苛烈な批判者としてスタートしました。しかし、彼の胸底には個人的な儒教倫理のエートスが生きており、彼はその上に「独立自尊」の個人主義原理を打ち立てることで、伝統を、明治という近代社会の時代精神に創造・発展させようとした。これが私の福沢諭吉の言動の「矛盾」を解くおおよその見当なのです。

 ここで福沢諭吉の言動の「矛盾」というのは、一つは、彼の儒教主義に対する態度で、これが後年に至って変節・保守化したのではないかということ。もう一つは、彼の対外政策=清国及び李氏朝鮮に対する最強硬の「タカ派」姿勢と、日清戦争後の排外主義に対する批判とが矛盾するのではないか、という疑問を指しています。

 このことについて、丸山真男は次のように批評しています。

 「福沢の対外政策についての論考を綿密に辿ると、彼が滅亡とか衰退とかいう悲観的言葉を語るのは多くの場合、その実質的な対象が中国や朝鮮の人民や国民に対してよりは『満清政府』あるいは李氏政権に向けられていたことが容易に判別される。福沢はこれら旧体制の政権が帝国主義列強の集中的な浸食に自力で抵抗する可能性を果たしてもっているか、そうした抵抗のために不可避な近代国家への自己変革(自由と独立への道)を自力できりひらくことができるか、という展望について、悲観的になっていたことは否定できない。そうした悲観や失望はあくまで旧体制の政府に対して発せられていた。だから、日清戦争について最強硬の『タカ派』であった福沢は、戦勝後の日本の中に、中国と中国人とを侮蔑し軽視する態度が生まれていることに対し、憂慮し警告することを忘れなかったのである。

 『儒教主義』にたいする福沢の根深い敵意と反対も、上に述べたような区別の立場を考慮せずには理解できない。すなわち、彼の攻撃目標は、儒教の個々の徳目に向けられたというよりは、体制イデオロギーとしての『儒教主義』の病理に向けられたのである。国内的には夫子君臣の上下倫理の絶対化によって、対外的には華夷内外の弁という階層的国際秩序観によって、政治権力と儒教とが構造的に癒着するところには、体制の停滞と腐敗がくりかえし再生産される、というのが福沢の確信であった。」(『福沢諭吉の哲学』「福沢諭吉と日本の近代化」序p285)

 まんざら、私の見当もはずしてはいなかったな、と思いましたが、そんな安堵よりも、この福沢諭吉の努力を無にしないよう、彼の伝統思想の継承と創造的発展を、どう受け継ぎ発展させていくかということが、私たちに問われているように思います。