教育基本法改正問題について

民主党の改正案も徳目だらけ

2006年11月28日 (火)

 ここまで自民党の教育基本法改正案を見てきたが、それに反対している民主党の改正案も、この「教育理念や徳性を法律で規定する」ということについては抵抗感はないらしく、自民党案に負けず劣らず多くの教育の理念や目標とすべき徳性が規定されている。その前文は次のようになっている。

 「我々が目指す教育は、人間の尊厳と平和を重んじ、生命の尊さを知り、真理と正義を愛し、美しいものを美しいと感ずる心を育み、創造性に富んだ、人格の向上発展を目指す人間の育成である。
更に、自立し、自律の精神を持ち、個人や社会に起る不条理な出来事に対して、連帯で取組む豊かな人間性と、公共の精神を大切にする人間の育成である。
同時に、日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に想いをいたし、伝統、文化、芸術を尊び、学術の振興に努め、他国や他文化を理解し、新たな文明の創造を希求することである。」

 当たり前すぎて、何がおかしいの?という感じだが、しかし、教育基本法のように教育の理念や国民が身につけるべき徳性を定めた法律は、政治的イデオロギーのはっきりしている国以外の民主主義・自由主義の国(イギリス、アメリカ、ドイツ、フランスなど)にはなく、お隣の韓国には確かに「教育基本法」はあるが、それは理念法ではなくて、施策法であることが第1条(目的)ではっきりしている。

 第1条(目的)この法は、教育に関する国民の権利・義務と国家及び地方自治団体の責任を定め、教育制度とその運営に関する基本的事項を規定することを目的とする。

 私は先に、教育基本法は「占領軍の指示に基づくものではなく、日本側の自主的発想による」ものであると述べたが、「それは逆に言えば教育の理念や目的を法律に規定しようなどということは、およそアメリカ占領軍スタッフの考え及ばないことだった」(前掲書p178)というのが真相なのであり、つまり、教育基本法というのはそれだけ日本にユニークな法律だったということができるのである。

 そしてそのユニークさはどこからきているのかというと、いうまでもなくそれは教育勅語である。このことは、この教育基本法制定に中心的役割をはたした田中耕太郎が、「法が教育の目的や方針に立ち至ったのは、過去において教育勅語が教育の目的を宣明する法規範の性格を帯びていた結果として、それに変わるべきものを制定し以て教育者によりどころを与える趣旨にでていたのである」(『教育基本法の理論』田中耕太郎p68)と述べていることで判る。

 そこで、この教育勅語だが、これは全体で315文字しかなく、文節は三段に分かれている。前段ではこれらの道徳律をもととする教育の淵源が天皇と臣民の「忠孝一本」(日本民族は全て天祖の末裔で、皇室はその直系であり、従って天皇は日本民族の家長であり、忠と孝は本来一本であるという水戸学派の説)の伝統に基づく事を述べ、後段では、この道徳律が歴史的に見てもまた、世界的に見ても普遍的なものであると述べている。

 しかし、この中段に述べられた道徳律は、もともとは中国の儒教の五倫(父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信)の教えに基づくもので、日本オリジナルではなく、あくまで中国の朱子学(儒教思想)にもとづくものなのである。つまり、江戸時代から戦前(いや戦後?)に至る日本人の教育は、国の枠組みを超えた中国の普遍思想によって行われてきたのである。

 それが、江戸時代を通じての儒教思想の受容と変容を過程を経て、忠孝一致を説く新しい尊皇思想となった。つまり、国家に対する忠誠と父母への孝行とが一致するという考え方であり、国家を宗族または家族とみる見方である。この考え方が、教育勅語という言葉は消えても、私たち日本人の心に潜在して残り、それが一国の国内の政治的ルールに過ぎない法律に、個人の教育理念や徳目を規定して怪しまない心的態度を育てたのである。

 少し冷静になって考えれば、個人の思想信条に関わる教育理念や道徳といったものが、国家の政治的枠組みを超えるものであることは判るはずである。もし、それができないとしたならどうなるか、それは近隣の国のありさまを云々するまでもなく、自らの歴史体験として学んだはずである。一部の軍国主義者の話しではない。日本人全体が陥った思想的閉塞状況だったのである。