教育基本法改正問題について現行「教育基本法」の問題点
では、その20項目に及ぶ資質とはどのようなものか見てみよう。 確かに、文句のつけようもなく立派なものだが、しかし、「心がまえ」ならばともかく、これが「国民の義務」といわれると、ここに使われている言葉の定義一つ一つを明確にしなければ収まりがつかなくなる。結局、何がなんだか判らなくなり「よけいなお世話」のような気がしてきて、誰も、こんな総花的な法律規定に依拠して子供の教育をしようという気は起こらなくなってしまうのではないか。 実は、このことは現行「教育基本法」の問題点でもあるのである。一体、どれだけの人が教育基本法の内容を知りそれに基づいて子供の教育をしてきたか。確かに、そこに盛られた理念は立派なものだ。だが、「教育によってそれらの理念を教え込めば、生徒がそれらの理念を体得するとは限らない」「このことは私など戦時中に教育勅語や軍人勅諭を叩き込まれた者の体験に徴しても間違いない」(『教育基本法を考える』市川昭午P25) 問題は、こうした徳性や理念はそれを法律に書いて強制しようとしても身につけられるものではなく、それを教えるものが「その思想を自分の自我構造の不可欠の一環として体得しており、教育されるものが教育するものを尊敬し、自分と同一視し、その思想を自分の自我構造の一環として取り入れ」ようとしたときにおこる極めて例外的なケースだということである。(前掲書P26) 問題は、そういった個人的な人格的感化力を持った思想への信頼がなくなっているということで、それが、日本人をして、教育の理念や徳性の涵養を法律にゆだねて怪しまない精神構造を形作っているのである。そもそも「教育の目的は、すっかり完成している法律を人々に賞賛せしめることではなく、この法律を評価したり、訂正したりする(主体的)能力を人々に付与すること」ではないか。(前掲書P187) 「日本の伝統文化が失われた」ことを嘆くより、それを歴史的・思想的レベルで解明し、日本において主体的な能力や人格の形成がどのようになされてきたのかを、冷静に評価し直すことが求められているのではないだろうか。山本七平氏のこの分野における前人未踏の学問的業績を紹介せんとする所以です。
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