教育改革の行方山崎正和氏、次期「中教審」会長に内定
読売新聞(1月29日)によると、「伊吹文部科学相は29日、1月末で任期が切れる中央教育審議会(文部科学相の諮問機関、中教審)の鳥居泰彦会長(70)の後任に、劇作家で評論家の山崎正和氏(72)を起用することを内定した。」そうです。 この山崎正和氏は、一週間ほど前の読売新聞(1月21日)『地球を読む』シリーズのエッセイで、「愛すべき現在の日本」と題して、次のように述べています。 「新しい教育基本法が制定されて学校は従来にない課題を背負うことになった。・・・『伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛する』心の涵養が求められているからである。もっともこの理想はきわめて穏当であって、政治思想の点で右傾化したとかの心配を誘うものではない。・・・そのせいか国会の論戦はイデオロギー的にはきわめて低調であった。」 だが、「教育現場にとって真に困難でもあり、混乱を招きそうな課題は・・・愛郷心や愛国心といい、いずれも人間の内面の問題」だということで、こうした個人の価値観や規範意識にかかわることがらを、近代の制度的・組織的な学校のなかでどうして教えられるか、ということである。 「論点は大きく二つに分けられる。・・・現代では・・価値の多元化がさらに進み、その多様性を認めることこそ倫理的だと広く考えられている」こと。もう一つは多くの内面的な価値は教える人の人格に結びついていて、教壇から組織的に伝授することは不可能に近いということである」 前段でこのように述べた上で、中段では、新基本法が敬愛する「日本の伝統」そのものも、時代によってまた地域や階層によって違いがあり、時には価値観の上で衝突を招くことさえあった、と述べ、さらに、価値観の多元化の深刻な現代において、倫理問題について、平均的な教師が学校で教えられる事は限られている、と注意を促しています。 そして後段では、「このさい私が提案したいのは、内面的な価値としての倫理を学校で教えることはあきらめ、もっぱら客観的な順法精神の寛容に徹すべきだ」として、次のように結論づけています。 「こうして学校で教育できることが倫理ではなく法的正義だとわかれば、そこで教えられる愛国心」とは「法と法で定められた制度からなりたつ国への愛情であり、いいかえれば、合理的な近代国家への愛情であるほかはない」 「端的にいえば、愛されるのはたとえば『和の心』や『日本的協調』ではなく、比較的犯罪が少なく納税意識が高く、衛生や交通の秩序が守られている現在の日本であるべきなのである。」 ところで「この日本という政治単位が初めて誕生し、全ての住民がそれに帰属意識を覚え始めたのは、近代以降のことで・・・今日では、その版図は世界的な範囲に起源をもつ芸術や社会風俗をうちに含んでいる」 そうした「現在の多元的な日本文化のあいだで、例外的に近代国家の成立とともにつくられ、結果として国民を一元的に統一している文化は、共通語としての日本語しかない」ように思われる。 つまり、それは「異質な価値観を媒介して、日本社会を分裂から守る最強の防波堤に他ならない。しかもこれは十分に制度的な学校教育になじみやすい対象だから、愛国心はまず思いきった国語教育の充実に徹するべきだろう。」 氏が、このエッセイで最もいいたかったことは、この最後の部分、「愛国心はまず思いきった国語教育の充実に徹するべきだろう」ということだろうと思います。こうした山崎氏の主張を見れば、今回、氏が中教審の会長に選出されたことは、私は、政治とのバランスをとる上で大変いいことだと思います。 私は、本来、文部大臣というポストは、氏のような見識を備えた文化人が引き受けるべきで、戦後のイデオロギー対立の激しい時代はやむを得ないとしても、もうそろそろ、政治主義に対して文化主義を対置しうる人物を据えるべきではないか、と考えます。 いずれにしても、今回の「教育基本法改正」は、政治の力で道徳教育をやれるという思い込みを具現化したものですから、私の予想では、これは次第に保守に対する信頼を失わせるひとつの契機になるのではないかと思います。 もちろん、私は、このような議論をするからといって、日本人の愛国心やそのよって立つ歴史・伝統・文化を否定的に見ているわけではありません。それは、自分たちの言葉を大切にするという意味で当然のことだと思っています。 それ故にこそ、それは決して法律でもって国民に強制するものではないということをいっているのです。福沢諭吉の言葉を借りれば、それは独立自尊の精神と分かちがたく結びつく「哲学の私情」ということになります。 ところで、最近の朝日新聞(H19.1.25)の世論調査によると、日本に生まれて良かったと答えた人が、男女とも全ての年代で9割を超し、愛国心があると答えた人は78%に上ったといいます。 おそらく、これは、北朝鮮や中国など、日本を取り巻く国際的な政治環境が厳しさを増していることによるものと思われますが、一方で、「愛国心」をしっかり持つ人の方が過去の戦争に対する反省も強いという結果も出ています。 また、近年、蔭山英男氏や斉藤孝氏によっる、日本の伝統的な教育法である「読み・書き・計算」を生かした教育や、古典の暗唱教育などが注目を集めています。また、「早寝・早起き・朝ごはん」などの国民運動も始まろうとしています。 こうした動きを見ると、一国における伝統・文化の創造的発展は、決して、権力による画一的強制によって生まれるものではないということが分かります。おそらく、今後は、国語教育から歴史教育の充実へと人々の関心が移っていくものと思われます。 山崎正和氏は「愛されるのは・・・比較的犯罪が少なく納税意識が高く、衛生や交通の秩序が守られている現在の日本であるべき」といっています。しかし、それは偶然の産物ではなく、あくまで歴史的に形成されてきたものです。 それだけに、安穏だからといって現状を無批判に肯定したり、またそれがいつまでも続くかのような錯覚に陥らないようにしなければなりません。歴史的思考法及び比較文化的思考法を学ぶ必要があります。私が「山本七平学」をすすめる所以です。 |